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自分を見つめ直す子育ての時間

前回の記事では、子育てを通じて自分自身の課題に気づく大切さを考えました。今回は、1週間の帰省を経て、改めて自分のあり方を見つめ直した出来事についてお話しします。

帰省中に気づいたこと

1週間の帰省中、改めて自分の子育てについて考え直す時間がありました。
ついつい子どもの望ましくない行動(物を投げる・不適切な発言など)に対して、注意ばかりをしてました。もちろん、良くないことをそのままにするのは親としてよくない事。ですが、本人がわかっている(わざとやっている)場合や癇癪を起してる場合は【注意することが間違い】ではないかと感じるようになりました。そんな気持ちを夫に打ち明けたところ、彼から思いがけない言葉をかけられました。

夫からの厳しい指摘

「君には家族の誰も強く言えない、とお義父さんが俺にこっそり話していたよ。よその人間から見たら明らかにみんな君に気を使っている。君は周りからどんなふうに見えているかわかっているの?」

夫の言葉は、私の心に深く突き刺さりました。確かに、私は自分が周りからどのように見えているかを自覚しています。だからこそ、直そうと試行錯誤を繰り返してきました。でも、思うように変われない。そんな自分に焦りを感じていました。

夫から直接その言葉をぶつけられたとき、どうしようもなくショックを受けました。夫からしたら何気ない言葉だったのかもしれませんが、私にはとても衝撃的でした。

母の反応と気づき

翌日、そのことを母に相談しようか悩みました。母は夫の考えに共感して、私を諭してくるのではないか。母も夫と同じで私を腫れ物のように感じているのではないかと思っていたのです。これは私が変われるチャンス!頑張るしかない。と自分を鼓舞しました。でも、一人で考えているうちに、どんどん自分自身はもちろん、子育てに対しても自信を失っていきました。

どうしても一人で抱えきれず意を決して母に話してみると、思いがけず強い反応が返ってきました。

「なにそれ!!そんなこと言われたなら、帰っておいで。明日すぐに子どもを連れて帰っておいで。」

母の言葉を聞いた瞬間、心の奥底にあった気持ちが和らぎました。「この人は私の味方でいてくれる」と感じるだけで、安心できたのです。
あぁ、こんなことを言われた私は怒っていいんだ!と。
自分で自分を良くするために自覚することと、他人を傷つけるために放つ言葉は違うと。

守ってくれる存在の大切さ

以前、園長先生が言っていたことを思い出しました。「何かあったら、この人は守ってくれると思える存在がいることは、心の安定にとても大事」だと。

実のところ、母は私の子どもの頃は守ってくれる存在ではありませんでした。何か失敗すると怒られ、自分は拾われた子どもだと本気で思っていました。
母も変わり、守ってくれる存在となった今はとっても安心できます。心の安定は大人でも感じることができるのだと、私は実感しました。

これからの歩み

そんな心が安定した私は、娘とのかかわり方も少し変わってきました。
以前は何かこぼすと、「どうしたらいい?」など間接的に責めてましたが、自然と「大丈夫よ。」という言葉だけが出てきました。
まだ、変わり始めたばかり。習慣化するまで時間はかかりそうですがゆっくりと成長していきたいです。

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