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今日の出来事を正直に表現するならば、それは不注意が重なった玉突き事故だと私は言うだろう。

今日あったことを素直に話してみようと思う。
まず大前提として、夫は今会社の立ち上げで忙しく、非常に余裕がない。
しかも今組んでいるスポンサーさんがとんでもない気分屋で日々攻撃されている、という状況だ。

この1週間ほど、私はベッドからほぼ出られない状態が続いている。
でも希死念慮もほとんどないし、シャワーは1日に1回は浴びれていて、ご飯もおそらく二食くらいは食べられていた。

昨日はやむを得ずウーバーイーツにコンビニへの買い出しを頼んだけど、それ以外は1日1回スーパーに行けてもいた。

つまり私の見立てでは非常に軽い鬱状態だという認識があった。

朝目が覚めると娘が「ママ起きたの?」なんて言って近づいてくる。
私はまた家族で1番最後に起きたなぁ、今日も鬱だ。なんて思いながらベッドでゴロゴロしていた。
躁の時は4時から5時に起きて活動しているのだ。非常にわかりやすい。

すると夫が近づいてきて、「コンビニ行く?」と聞いてきた。
「何しにいくの?」と返すと、「領収書をコピーしにいく」とのこと。
夫は私に“朝1時間の散歩をするといいらしい“と言うことを再三言っていた。夫がメンタル疾患について調べた時に、それがメンタル疾患に効くと書いてあったそうだ。

つまり、『“朝だし一度は外に出よう“と言う意図で言っているんだな。』と思った私は、「行く」と返事して、夫はのんびり起き上がる私を手伝うために手を取って起き上がらせた。

体が鉛のように重い。それでも重い体を引きずって私はお風呂場に行って顔を洗い、乳液で整えて化粧下地を塗った。
出かける時の儀式だ。この手順を踏むことによって私は【外に出られる私】になることができる。

そうして準備が整った後に部屋へ戻ると、夫がすれ違いざまに「じゃあコンビニ行ってくるね」と言った。え?私は??そう思った私は、「一緒に行かないなら起こさないでほしかった。まだ寝ていたかった」と夫に伝える。

すると夫は、「じゃあ今すぐ来て」と言うので、散歩ではなく急かされてただ歩くだけになりそうなので、「いや、いい。置いていって。」と伝えた。
夫はその私の言葉に大変憤り、イライラした様子で家を出ていった。
私の非はどこにあったんだろうか。元々行かない、といえば良かったのかもしれないけど、彼なりの治療方針を受け入れたかったにすぎないし、私も散歩がいいことは知っていたから、行かないと言うのはつまり【良くなることを拒否している】ことになると思って行こうとしただけなのだ。

そしてその出来事のだいぶ後に夫が娘を連れて出かけようとした時(今日は元々その予定だった)、「病院行きなよ。ずっと寝たきりなんだから」といった。

病院はあと4日後に行ける。私としては今までもあったこの寝たきりの状態に希死念慮がないだけ随分マシだと思っていた。
1日でもいいから1人になれればエネルギーは回復して、行動できるようになると。
だから行かなくてもいいと思っていたのだが、夫はどうしても行って欲しかったようで、私に病院へ電話をかけさせる。

『あと4日後にはまた病院に行くのに。今までよりずっと軽い鬱なのに』そう思って、今日は無理だと言ってくれ、と思いながら打診すると、「13:30なら可能」だと言われてしまった。

私はただ1人になって寝ていたいだけなのに、そんな簡単なことがなんで叶えられないんだろう。
悲しくて悲しくて仕方なかった。
それで泣いていると、夫が「気づいてないかもしれないけど、今泣いてるよ。すごいやばい状況だよ」といった。
「私は悲しくて泣いてて、それを自覚しているよ」というと、「何が悲しいの?」と言った。

私はただ1人で寝ていたかっただけだと言うと、「じゃあ今すぐ降りて家に帰れば?」だそうだ。
この重い体で、20分も歩いて帰れと言うのは、私にとってはかなり難易度の高いことのように思えたし、それだけじゃない。メンタルクリニックに断りの電話も入れなきゃいけないし、また予定を変えさせられたことに対する疲れで今日は何もできなくなってしまう可能性があった。

だから、「病院に行くと決まったら行きたい」と行って、病院へ行くことになった。

そこでまた朝のコンビニに行く話が再燃したんだけど、「私は行くと決まった予定が直前になってなくなることがすごく疲れるから、行くか行かないかは確認して欲しい」と言ったら、「朔楽がすごく行きたくなさそうだったから1人で行くのを決めた。それって悪いこと?」と言われる。

そうじゃない。それも悪くない行動かもしれないけど、私に事前に言って欲しかっただけだ。「朔楽が嫌そうだから1人で行くね」と。
そう確認されたら、「嫌なんじゃなくてしんどいだけだよ」と言えたけど、「行くね」と宣言だけされると反論する気力も無くなるのだ。なぜなら「行くね」だけだと覆らない決定事項に思えるから。

だから、夫に「行く?」と聞かれた時には「何時までに出発しなきゃいけないの?」と確認することになった。その時間に間に合うか否かを自分で判断して行くか行かないかを決定してほしいと。

つまり、全容は、『夫は今日予定に時間制限があり、コンビニにかけられる時間は少ししかない。でもせっかく外に出るなら朔楽ちゃんにも声をかけよう』と思ったが、『朔楽はイヤイヤ出ようとしている。しかも準備も遅い。このままでは後の予定に支障が出てしまうし、家に居させてあげよう』と思った夫は『1人でコンビニに行く』と決意した。のだ。

その時間制限を知らなかった私は、『気まぐれに予定を立てられて気まぐれに予定を無くされた』と思ったので、『次回からは時間制限があることは伝えて欲しいし、行くか行かないかの判断も私に委ねて欲しい。』と言ったら、夫の誘いに時間制限があるか否かを毎度確認することになったのだ。

夫は割と興奮気味に話していたので、普通の話し合いではないなと感じた私は、ひと段落した後に、「今私のことを話が通じない状態だと思って話してる?」と聞くと、「話の裏の裏まで読むのは今のスポンサーと一緒だ。話が通じない。話をしても裏の裏まで読まれて全て悪い方向に捉えられるから疲れる」と言われた。

つまり、『今の私はまともに話そうとしても話の裏の裏まで読んで悪く捉えようとするから話にならない状態』になっているのか。と納得すると、「俺の話が捻じ曲げられている」と言う。

「どこが捻じ曲げられてるの?」というと「俺(夫)が話したくないから話すのをやめたと思ってるかもしれないけど、朔楽が話したいなら話せるよってこと!」と言う。
「でも朔楽が話せる状態じゃないから話をやめたんでしょ?」とのこと。

ここらで私はちょっとよく分からなくなってしまったが、『朔楽は話が通じない状態』だと言うことは共通認識だと思ったので、「だから、夫くんは朔楽が今話が通じない状態だと思ってるんだよね?」と言うと、いささか納得できていないようだった。

詳細は省くが、夫君的には『親切心で言っていることが全て裏目に出て俺が悪者にさせられている』と思っているようだった。
ちなみに私は鬱期の自分の感覚を全く信用していないので、夫への質問で自分の状態を測っただけだった。でもこれが良くなかったらしい。

『その話をするタイミングが悪い』『俺の言葉が捻じ曲がって伝わっている』『表現の仕方が悪い』『それは今のスポンサーと一緒だ』とのこと。
夫君の身の回りには、時折そういった人物が現れているのでその度にその人と同じだと言われる。

会社員時代は部下の女の子、その次は同僚?のおばさんだった。今回はスポンサー。彼は彼の身の回りの彼にとってよろしくない人物を私に当てはめるのが好きだ。多分例えがわかりやすいから。

ここまで来て、『ああ、恐らく夫君は怖いのだ』と言うことに思い至った。
今までの私の素行を考えれば納得がいく。鬱期の中における躁状態の私は酷いもので、口論に関しては理論もへったくれもないので必ず勝つのだ。
勝つために話しているので、その人の傷を抉るためならなんでも言うし、しかも希死念慮も手伝って何をするか分からない。
しかも夫君は私を傷つけたくない。夫君側は喧嘩が始まった時点で完全に“詰み“なのだ。

夫君は今まで私がゲームマスターの『黙っても喋っても詰む一触即発デスゲーム』に散々付き合わされてきているのだ。

つまり、鬱期の私の吐く言葉は『返答すると朔楽が死ぬ迎撃型地雷の発言』でしかないのだ。これなら彼が混乱して自己弁護に走る気持ちが分からなくはない。

自己弁護、と表現したのは、「俺(夫)の親切心で行っているのに伝わってない」とポロっとこぼしたからだ。
比較的軽い鬱状態である私はそれを分かっていて『自分はまともなのか否か』を夫を通して確認したのだが、『まともではない=悪意を持っている』と取られかねないと危惧した夫は必死で自己弁護的な発言を繰り返していたのである。

「自分の言葉が捻じ曲がって伝わっている」か否かは私の脳内を切り取って見ない限り分からないはずなのに、これまでの経験が彼に確信を与えているのだ。
そして、「自分のために今は朔楽と話したくない」といった彼を見て、『ああ、彼にとっての私は今は毒でしかない』と思って、病院へ向かう車を降りて、電車に揺られて病院へ向かったのだった。

今の家から病院へは約2時間。
約束の予約時間より20分遅く現れた私の話を主治医は辛抱強く聞いてくれた。

『今まであった鬱期よりも軽いと感じている』ことは、『会社員をやめてスケジュールが自由になったので、今まで見ることがなかった(話には聞いていた)朔楽が寝たきりになっているのを目の当たりにしている夫』にとっては、『鬱病患者の戯言』としか写っていなかったであろう。

でも私は4日後には病院に行けること、希死念慮がほとんどないこと、今までの鬱期は『死にたくて死にたくて仕方ないのに死ねないことについて泣いて過ごしていた』のに対し、『1日中小説や漫画を読んで寝てさえいれば1日1度は外出できる状態』と言うことでむしろ回復を感じていたのだが、それを伝えるのは目の見えない人に草原の草花の育ち具合を表現するほど難しい。

荒廃していて草花が何もない状態なら表現は容易いけど、荒廃している中にも微かに草花は芽吹いていることを前向きに表現するには、定点観測が必要なのだ。

私は以前の荒廃した草原を、「死にたい」という言葉で片付けてしまっていた。だから今の荒廃した草原の中の多少の草花より、それ以外の荒廃した部分を治さねばならんと思わせてしまったのだと思う。

そう、私に必要なのは第三者の定点観測だ。それを普通の人間の言葉に直して夫に伝えるメッセンジャーが必要だ。
そのメッセンジャーをどう見つけるかが問題だけど、とりあえず今は置いておこう。

夫は今落ち着いたみたいで、「朔楽ちゃん少し1人になる?」と言って、今は病院の近くのカフェでこれを書いている。

私に書く習慣があってよかった。頭の中がスッキリしたし、今回のことはどちらかが悪いのではなく、単にコミュニケーション不足が招いた事故だと思わせてくれるから。

もちろんこれは私の主観の物語だから、夫にとっては私に都合が良すぎる何かなのかもしれない。恐ろしいけど、そう言うものだと思う。だから私は恥を忍んで書く。正しさは置いといて、自分で後々確認するために。

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