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生きがいを見つけて、生活を豊かにしよう

私の人生は、校外活動で変わりました。
世の中にはいろんな生き方があると思います。
がむしゃらに勉強したり、スポーツを極めたり、趣味をとことん突き詰めたり。
その中の一つに校外活動があります。 

小学校の頃の記憶はもうさほどないけれど、以前の私は、特に趣味もなく、明確な将来のビジョンを描いていたわけでもない〝無機質な人〟でした。今回はそんな私が〝自分〟を持つようになった、人生のターニングポイントを3つ紹介しようと思います!


絵画コンクールで自信をつける

みなさんも小学校の頃、経験したことがあるだろう絵画コンクール。夏休みに必須で出されて面倒だと感じる人もいたかもしれません。
私は、6年間で毎年出された7つの絵画コンクールを通して、努力の方法を学んだと思います。クラスの中で特異な能力も、創造力にも乏しかった私は、誰にも負けない自己表現の手段を見つけたくて、不器用なりに過去の受賞作を見て、賞をとりやすい絵は何をテーマにしているのか、どんな画風なのかを見極めて絵を描くスタイルを意識するようになりました。

夏休みの宿題を3日で終わらせて、そのあとは全て絵画に時間を費やしました。なにしろ、不器用なので、どんな作業も人より時間がかかってしまうんです😓

そんなふうに試行錯誤していき、次第に受賞の数が増えていきました。東京にお呼ばれしたり、小学校3年生の時には、広島市の「市民と市政」という広報誌の方から取材を受けたりして、自分の方法と技術に自信を持つようになりました。

将来の夢も、いきなり生まれるものじゃなくて、こうした得意なことを見つけて、自信がつき自己表現の幅が広がった後に持ち始めるというタイプもありなのかもしれません。

夢のきっかけを作った中国新聞ジュニアライター

中学校に上がり、絵画コンクールだけでは物足りない時期に差し掛かり、ちょうど中学受験にも失敗して自信を失いかけていた頃、転機が訪れました。

中学2年のある日偶然、中国新聞でジュニアライター募集の掲載を見つけました。絵だけでなく作文も極めたいと思っていた私は、広島に育って平和に関心を持っていることもあり、応募してジュニアライターになりました。

月に一回、被爆者の方々から直接お話をいただける機会は、本当に貴重な経験でした。学校でも出前授業で来ていただく機会もありましたが、ジュニアライターのように頻繁に会うことはありませんでした。いろんな方と出会う中で、ある方に「平和のバトンを今あなたたちに渡しましたよ」と言われたことが強く印象に残っています。将来のビジョンが明確でなかった私は、取材の中で責任感に近いものを感じるようになり、ただ得意なことを極めるだけではなくて、それを使ってどう社会に貢献するかも考えようと思えるようになりました。また、取材の回数を重ねていくうちに、今まで詳しく知ることのなかった核兵器の現状や、世界の問題について触れることが多くなっていき、自分はその問題の解決に関われないか?と思うようになっていきました。

そして、その問題を解決するために何を目指せばいいのか?ただ平和を訴えるだけでなく、戦争が起こる根本を考えて解決しよう。そう思っていた時、UNRWAの方を取材する機会がありました。身の危険と隣り合わせの中で、パレスチナの支援をし続け、行動にうつす姿勢に感化され、国連職員になりたい!と強く思い始めました。

それから私は、国際協力に携われる人材になれるように、英検の勉強を頑張ったり、学校では生徒会長として独自にウクライナ支援募金を企画するなど、自分から積極的に行動する習慣が身につくようになりました。

アメリカ渡航で視野が広がる

校外活動を頑張りつつ勉強にも努め、県内でトップの高校に合格することができました。それでも、入学後、周りを見ると海外経験が豊富だったり、ネイティブなみにスピーキングができる英検一級の人がいたり、科学オリンピックでメダルを取るなど優秀な人がたくさんいて、自分の努力はまだまだ甘いことを感じました。

国際協力に携わる時、海外の文化や価値観を前もって知っておくことは必須。同級生が留学制度を利用して海外に飛び立っているのを見て、自分も海外に行きたい!と思うようになりました。しかし、自費で行けるほど家計に余裕があるわけでもなかったので、なるべく自己負担の少ないプログラムを探しました。そして見つけたのがTOMODACHIプログラムです。全国で20名という狭い枠だったので、賭けに近いような感じではありましたが、運良く選ばれて、しかも無料でアメリカに行けるという大きな機会を得ることができました。何事もまずは挑戦してみることだと改めて感じました。

ロサンゼルスに行ってはじめに驚いたのは、景色の違いでした。日本とは違って雲一つなく、高速の道路が5車線もあって、移民大国ということもあり街中では英語だけでなくスペイン語、韓国語、中国語、アラビア語など言語や食は多岐にわたっていました。

プログラムの中で特に印象に残ったのはやはり、現地の高校です。号令がなく授業が始まり、数学では問題演習前に24を作る四則演算ゲームがあったり、解くだけでなくスタンディングアクションも取り入れていて、勉強が楽しくなるような工夫がされていました。また、生徒と交流する時間では、中国新聞ジュニアライターとして核兵器への考え方を取材したりしました。その時驚いたのは、平和記念公園を訪問した後も核抑止派は変わらないと主張していた人がいたことです。必ずしも価値観が変わるわけではない現実を目の当たりにしました。その時、私はスピーキングが未熟だったので、その子にどうしてそう感じたのか、どんな平和教育が行われているのかを詳しく聞けませんでした。まだまだ英語の勉強が足りないな、と痛感しました。

ホストファミリーと過ごす時間では、現地のアメフト試合観戦やビーチを訪れて、アメリカをますます感じることができました。その中で衝撃的だったのは、帰宅中に見たホームレスの存在です。青白い顔をした人が道の真ん中に堂々と立っていたり、公園にブルーシートをひいて野外で寝ていたりしていて、日本では考えられない光景だと感じるとともに、格差社会であることを改めて感じらとともに、ホームレス問題にも関心を持ち、帰国後はそれに関する本を読んだり、ホームレスの人たちを支援するフードドライブについて調べ、企業に持続可能なビジネスを提案するSustainable Blands大会では、スーパーにおけるフードドライブのデリバリーシステムについて提案するなど、世界の問題に対する理解や興味の幅を広げることができました!

長文の記事となってしまいましたが、校外活動で感じたことと魅力を一通りまとめることができたと思います。大学生になったら、長期留学やJICAのインターンなどの経験も積んでいきたいと思っています!これからも応援していただけると嬉しいです☺️

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