見出し画像

ルミナリエ


2007年作品テーマ『光の紀元』

闇の恐怖を打ち消す光の誕生

震災という闇と闘ってきた神戸の街と人々を
やさしく照らした眩い光は
新たな紀元の象徴

その輝きは
過去への誘いとともに
人と人との出会いを育んでくれる

驚きという
無形の価値は
神戸と世界をつなぐ新たなメッセージとなる

アートディレクター;ヴァレリオ・フェスティ
作品プロデューサー;今岡寛和

***

 阪神大震災の年1995年12月。
 犠牲者への鎮魂と復興・再生への夢と希望を託して開催された光のイベント『神戸ルミナリエ』。
 旧居留地内の仲町通から終着地の東遊園地までの間に設置されていた。

 
 大阪では・・・
 1995年1月17日午前5時46分。
『ドスン!!』
 縦に大きく叩きつけられて目が覚めた。

『え?何?』
と思う間もなく、今度は、ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ、ゆっさ、大きな横揺れというより、ベッドがぐわんぐわん回転している・・・。
 それが阪神大震災と知ったのはかなりあとだったような・・・。
 ベッドの中で夫がすかさず声を出す。

「子供は!?」
慌てて飛び起きた私は子供部屋へ駆けつけたが、男の子二人は悠々と寝ている。

「寝てるわ・・・」

「外は!?」
今度はベランダに飛び出し、周囲を覗いてみる・・・。

「大丈夫やわ・・・」

「ビルは!?」
夫の声が終らないうちに着替えた私は、信号一つ先のビルへと駆けつけた。

 当時、現代アート画廊をはじめたばかりで展示作品も気になっていたのだ。エレベーターは動いている。9階の画廊へ飛び込んだら、数点の作品は床に落ちていたがそう被害もなく一安心。

 8階から順に全室みて回ると、本棚から食器棚まで全滅している部屋もあれば、私の事務所のようにほとんど何も変わらない部屋もある。
 あとでわかったことだが、置いている方向によって差があったようだ。

 しかし躯体の壁や梁には場所によって大丈夫か?と思うほどのクラックが走っていた・・・大阪城のすぐ近くの住まいでの経験だ。震源地がどこでどれほどの被害かは、逐一、ベッドの中の夫からの電話で知った。

 数日後、夫の友人たちと一緒に呑みながら『地震の時にはどうしてた?』という話になり、同じ大阪市内に住む友人が
「布団の中で嫁はん抱きしめて、大丈夫やから、大丈夫やから・・・と言うてたわ・・・」

「へぇ〜私なんか、この人に、やれ子供は?やれ近所は?挙げ句の果てにはビルまで行かされたわ!あんた、ずっとベッドの中で、何してたん?」

「ボク?そりゃぁ〜あんた、TVで情報収集してましたんや、司令塔ですがな」
平然と言ってのけた夫でありました。

***

2007年12月18日記


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?