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ワイルド・グレイ〜半世紀分のメンヘラを添えて〜


キャストたちのサイン
ポスター


休日に友人とワイルド・グレイを観劇してきました。一瞬で駆け抜けた割には観劇後なかなか腰が重くなるような作品で、暴風雨のような台詞を浴びて、記憶もメンタルも虫食い状態。この作品を私の語彙で表現してしまうと「ある一人の男がメンヘラに破滅させられる物語」でしかなくなってしまう。あまりの風情のなさに溜息を吐きたくなってしまうのだが、この衝撃をどこかに残しておきたかったのでこの記事を書いています。

私が見たキャストはこちら。
ロバート・ロス 平間壮一
オスカー・ワイルド 廣瀬友祐
アルフレッド・ダグラス 福山康平(敬称略)

【三人の俳優とピアノ、チェロ、バイオリンの旋律で描かれる、韓国発の衝撃作。ついに日本で上演!】

ミュージカル『ワイルド・グレイ』|【公式】ホリプロステージ|チケット情報・販売・購入・予約

そんな謳い文句で売り出されたこの作品。確かに衝撃作。

観終わったあと、どっっっっっと疲れた。
ピアノ、チェロ、バイオリンの生演奏はめちゃくちゃ良かった。バイオリン奏者が作品の中で演奏するシーンが何度もあって、そこも物語の中で不思議と馴染んでいて落ち着いたし、そうあることで心が沸き立つ場面もあったし、こんなに生演奏が聴けてお得だ〜!と俗物的な感想を持ったりもした。この作品を見て、プラスの感情に動いたシーンは以上です。

衝撃でしょう?
でもこの作品を観てよかったと思っている。

このルッキズムが如何やと叫ばれる昨今に、ただひたすら愚直に「美しさとは」を脳に弾丸で撃ち込まれ続けた。芸術とは、フィクションとは。Googleで検索したってAIに聞いてもきっとわからない、正解のない問いをひたすら2時間。脳が疲弊して糖分を求めたので帰り際にブルーシールでアイスを食べた。美味しかった。


チョコミン党員です

話を戻すと、疲弊した理由はその一方的な「〜とは」の問いかけだけではない。むしろこちらが本命であり、記事タイトルにもなっている。「メンヘラ」だ。
メンヘラとは〜なんて語りたくもないので説明を省くが、とにかくこの作品は荒れ狂う厄介ヲタクアルフレッド・ダグラス(以後ボジーとする)」のメンヘラフルパワーでお送りされる。この厄介ヲタクが後方腕組理解者面厄介ヲタクならまだ救いはあったと思うのだが、こいつは自己顕示欲と承認欲求のケダモノでもあったため、僅かな救いもなかった。一応、彼がどうしてこのような刺激的な性格になってしまったのか、作品内でちょっとした説明が入るのだが、それを聞いてもなお「許せない」という感情だけが彼に残る、それぐらいのメンヘラヤンデレかまってちゃんのクソ小童。ボジーに与えられたダメージが大きすぎて、この坊やをどうにかこねくりまわしてやらないと、という感情がこのような記事を生んでいるといっても過言ではない。(観て良かったというのは本心からだが)

廣瀬さん演じるワイルドが期待以上のかなりの色男だったのも、苛立ちの要因かもしれない。「なんでこんな色男がこんなクソ小童を!?」と本当に寸分の狂いなく始めから終わりまで思ったものだった。途中から「早く街灯が来てくれー!」と無機物に救いを求め始めた自分がいた(※街灯をキャストたちが動かしながらの茶番が何度もあったため/コメディシーンのきっかけ)

こんなにロバート・ロス(以後ロビー)とオスカー・ワイルド(以後ワイルド)に言及しない感想記事があっていいのか?と書いている己ですら思うのだが、本当に全ての感情のパワーをボジーに持っていかれた。ボジーを演じていた福山さんがかなり好きな歌声&少年フェイスでなければ限界を迎えていたかも知れない。このキャストに感謝します。

言葉で説明しづらいが、こんなにもボジーが鮮烈なのは、舞台上で彼だけがルールから足を踏み外したところにいる存在だからかもしれない。ワイルドは終盤アレになるとしても、ロビーとともにどこか観客側の存在であったし、家庭もあった故にお遊びの域からは逸脱しない大人だった。ひたすらに唯美主義、自由な芸術を愛していて、そんな芸術から愛されたいと思っているがそれは叶わないことをどこかで理解している。史実だともっとパワフルにイカれているので、事実は小説よりも奇なり。ボジーという芸術に翻弄されるふりをして、作家としての己を俯瞰して見て楽しむような、そんな余裕すら感じてしまう色男。そんな色男をぜひ劇場で体感してほしい。

ロビーは、とにかく報われない男。健気に見えるけれどその実一番恐ろしい。一途と言えば響きはいいが執着心が強く、かといってそれをそのまま表に出すほどの子どもではないため諦めた大人の姿勢を取り、正義や常識を語るストーリーテラー。観客側が一番感情移入するのはこの役だと思う。この作品はロビーが常識や正義、らしさを語らなければ破滅へ一直線してしまう作品であり、作品のバランス感覚が彼次第なところがあるため、没入して作品を観終わった後はただひたすらに平間さん大変だな……と平間壮一さんの健康を願った。それはそうと、恋人の元彼が未練たらたらなくせに恋人の友達ヅラして日々の生活にしっかりと組み込まれていてそれを見ている自分の存在って確かになんなんだろうと思った。時代が時代なので刺すかもな、知らんけど。

ロビー役の福士さんがどこかでワイルド・グレイについて「望むものが手に入らなかった人たちの物語」と表現していた。この世に生きとし生けるものの中で、望むものが手に入らなかったという経験が全く無い人なんていないだろう。だというのに、この物語を見ていて私は共感という感情が一切わかなかった。誰に感情移入することなく、ひたすら観客であり続けられるのは今の時代にはかなりレアな経験だった。これが最も邪悪な魔力でした。




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