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レディー・ドラゴン セックスレスな妻たちへ

桃色の翼~レディー・ドラゴン⑫~


フラワーアレンジメント教室のレッスンが終わった夕方、璃宇は疲れと空腹に耐えかね、買い置きしていた菓子パンに手を伸ばそうとした。
けれどだめだ、と自分にブレーキをかけ、伸ばした手をすばやく引っ込めた。
食べ物から意識をそらすため、小走りでベッドルームに走る。そしてクローゼットを開き、一枚のワンピースを取り出した。
バストからウエストまでなだやかなカーブを描き、くっきり体のラインが出る膝丈の黒のワンピース。
胸元は深いVネックに開き、ラインストーンが輝いている。
着るだけで女であることを思い出すワンピースだ、と惚れ惚れしたが問題があった。
このワンピースが今璃宇が着ているサイズより、サイズダウンした服だという事だ。
ワンピースを両手で持った璃宇は、はぁ、と大きくため息をつく。そしてこのワンピースを買った時のことを思い出した。

一週間前、薫子とランチをした後、薫子にすすめられ一緒にショッピングした。
ダイエットをしてきれいになり、夫以外の男とセックスする!
と宣言した璃宇に、薫子はダイエットしスマートになった時に着る服を先に買うように勧めた。
「ダイエットするには、勢いも必要よ。
決心する、とか覚悟する、とか口では何とでも言えるの。
だけど、大事なのは行動よ!
いくら口当たりのいい言葉を並べても行動ができなくちゃ、何も変わらないからね!」
強い口調に背中を押され、一緒に服を見て回った。

これまでの璃宇はデパートの婦人服売り場の大きいサイズで、店員にすすめられるがまま服を選んでいた。特にお気に入りの服を選ぶのではなく、太ったお腹周りや下半身を隠すようなチュニックタイプのダボッとした服ばかり選んでいた。奈々香と暮らしていた時は何度か一緒に買い物に行ったこともあった。が娘のすすめるおしゃれな服に尻込みし、試着はするものの買うまでに及ばなかった。
何度かそういうことが続くと、おしゃれを冒険しない璃宇に奈々香はイライラし
「ママとの買い物は面白くない」
と一緒に出掛けなくなった。

そんな璃宇にとって、おしゃれなセレクトショップに入るのは勇気が必要だった。
「こんな太ったおばさんなんて、お呼びじゃない!て思われないかしら?」
店の入り口で弱気になった璃宇は、小声で薫子にささやく。
「あのね~、セックスするて、肌を見せるのよ?
服を脱ぐの。
足を開くの。
その肌をラッピングする衣装を決めるのに、怖気づいてどうするの?」
薫子はため息をつき、あきれたように言う。
「大丈夫よ、ここ、私の行きつけの店だから」
薫子が璃宇を前に立たせ、ほら、というように背中をドン、と押す。
その勢いで、璃宇の手が店のガラス扉を押し二人は中に入った。
「いらっしゃいませ」
扉が開いたとたん、ショップの店員達の目が一斉に自分に集中した気がした。
「なによ、この太ったおばさん。
あんたの着る服なんてここにないわよ」
そう非難されている気がして、足が震える。
一方薫子は平気でずんずん店内を歩き、ディスプレイされている商品を見定める。
そして一枚のワンピースの前で、足を止めた。
「ねぇ、このワンピースは何号?」
黒いニットとモノトーンのゼブラプリントのタイトスカート、首元にもゼブラプリントのスカーフを巻いた三十代の女性スタッフが、こんにちは、と笑顔で挨拶し薫子に近寄る。
「そちらは九号ですが、インポートサイズになっていますので、日本サイズでだいたい十一号くらいになります」
「ふーん」
「お客様には、少しサイズが大きいかと思いますが」
スタッフに言われた薫子は、恐るおそる他の洋服を見ていた璃宇を呼ぶ。
「ちょっと、璃宇!これ、どう思う?」
薫子に呼ばれ、彼女が手にしているワンピースを見て璃宇は
「あら、素敵じゃない?でも薫子の雰囲気とはちょっとちがうみたいだけど」
「そりゃそうよ。だって私のじゃないもの。
璃宇、あなたの着るものよ。
気に入ったのなら、これを試着してみて」
命令するように、薫子は言った。
どうみても今の璃宇の体に入らなさそうなワンピースを見て、璃宇は固まる。
そばにいたスタッフは
「もうワンサイズ大きなワンピースを探してまいりましょうか?」と薫子に言うが、薫子は彼女の言葉を無視し、璃宇に言った。
「着る、というか、体に当ててみて」
「な、何言っているの?
どうしたって、私が着れるわけないじゃない!」
璃宇が叫んだが、薫子はなんでもないことのように言う。
「今の璃宇に合わせて、選んでいるわけじゃないの。
ダイエットした後の璃宇に向けて、選んでいるの。
今すぐこれが着れるとは思っていないけど、雰囲気はわかるわ。
さぁ、鏡を見て自分に当ててみて」
スタッフがワンピースを手に、璃宇を鏡の前に連れて行く。
「これからダイエットされる予定ですか?」
「え、ええ。十kgは落としたいと思っています。」
「まぁ!十kgお痩せになったら、すごくスッキリしますよね。
どうやってダイエットされるんですか?」璃宇は口ごもりながら答える。
「ファ、ファスティング・・・・・・」

それは璃宇の生徒の一人が十㎏痩せたダイエットだった。
自分もトライしよう、と思っていたがなかなか覚悟できなかった。が、つい口に出してしまった。
ワンピースを璃宇の体に当てたスタッフは笑顔で言う。
「今、ファスティングはすごく流行っていますよね。
お客様の中でも、ファスティングでダイエットに成功された方が、何人もおられます。
自己流でやるよりも、プロについてしっかりやった方が効果あるようです」
服を当てられ、おどおどと鏡を見ている璃宇にささやく。
「胸元がスッキリして、ラインストーンがアクセントになっているので目線が上にいきます。
お客様はバストがあるので、胸元のラインがとてもきれいに出るはずです。
きっとお似合いになりますよ」
あと、十kg痩せたらね・・・・・・璃宇は、心の中でつぶやく。
そしてプロについてファスティングをしよう!と決心した。

結局、試着しないままそのワンピースを買ってしまった。
こんなことは、初めての体験だ。
最初璃宇は、ダイエットが成功し十㎏痩せたら買うから、と渋っていた。
けれど薫子は許さなかった。
「痩せてから買おう、と言ってたら、いつになるかわからない。
 しかもその頃には、このワンピースは売れて他の女が着ている。
言い訳は、甘えよ。
きっと今までのダイエットも、その甘えで成功しなかったのよ。
欲しいものは、先に手に入れるの。
手に入れて目標を定めてから、進むの。
そうしたらきっと叶うから!」
薫子に断言された時、璃宇の脳内に一瞬、今より十㎏痩せた自分がそのワンピースを着ているビジョンが見えた。
「あ・・・来年の私はあのワンピースを着ている・・・・・・」
何の根拠もなかったが、そうなっていることがわかった。
それは夫と初めて出会った時、この人と結婚するだろう、と思った感覚に似ていた。
そして璃宇はそのワンピースを買った。

ワンピースを包んだ紙袋を持った璃宇を、薫子はそのまま行きつけのランジェリーショップに連れて行った。ビルの二階にある小さなランジェリーショップの壁は、色とりどりのセクシーな下着がディスプレイされ流し目を送っている。
露出度の高い赤いレースのタンガに目が留まった璃宇はギョッとした。
この店はフランスやイタリアのインポートの下着が中心だ。
「大事なのは、下着よ。
せっかくダイエットして痩せても、サイズの合った下着を着る習慣をつけておかないと、服がきれいに着られないのよ」
薫子は璃宇にすすめながら、自分もマゼンタピンクのレースのタンガとお揃いのブラジャーを手に取った。
横目で薫子を見る璃宇は、またあの彼と会う時に着るのかしら、と思うと心がざわめいた。
フランス映画が大好き、という五十五歳のマダムは死ぬほどランジェリーがすきで、すきなものを集めていたらコレクションが何千枚にもなり、三年前に自分で店を始めた、という。
璃宇はマダムにすすめられ、ラベンダーベージュのレースに彩られたブラジャーを持って試着室に入る。
フィッティングはマダムが横に来て手を添える。脇のはみ肉をぐい、と寄せ、ブラジャーに入れた後、乳房のラインを谷間に向け上から下に優しくなぞる。すると使い古したブラジャーの中でだらりと垂れた乳房が、熟れた桃のようにむっちりした谷間が変わった。
マダムがすてき!と歓声を上げる。薫子もフィッティングに首をつっこみ、いいじゃない!と笑顔で親指を上に向けた。
鏡に映った自分の下着姿に照れている璃宇の肩をマダムが両手で押し、肩甲骨を広げた。
「堂々と自慢するように胸を張って!」
その時、璃宇は自分が知らず知らず背中を丸め前かがみの姿勢になっていたことに気づいた。
肩甲骨は天使の羽、とも言う。
女でいることをあきらめ、天使の羽を体に埋めた自分。
人生に卑屈になるように、脂肪がしがみつき両肩が縮こまったおばさんになっていた自分。
そんな自分に喝を入れ、羽を取り戻すため
「これ、買います!」
とブラジャーとお揃いのレースのパンティー、そしてメリハリある女らしいラインを作るシェイパーも買った。
この日一日で、クレジットカードの利用額は十万円近くに及んだ。
家に帰って利用明細を見た璃宇は怖くなり、手が震えた。
けれどこれは浪費ではなく、女を取り戻す自己投資のためだ、と自分に言い聞かせる。
もう一度、自分の背中に翼をつけ女として羽ばたくんだ、とピンク色のリボンと薄紙に美しくラッピングされた新しい下着を胸に抱きしめる。
ピンクウィングス(桃色の翼)それが、あのランジェリーショップの名前だった。

ファスティングも薫子の知り合いを紹介してもらった。
薫子が通っているエステサロンのオーナーが、本格的にファスティングをスカートさせた。
子供も産まず、学生時代からずっと九号サイズをキープしている薫子にダイエットは必要ないが、そこに通っていた薫子の友人は、オーナー指導のファスティングで六㎏も痩せたそうだ。
また十万近いお金がするり、と璃宇の手からこぼれ落ちた。
けれど璃宇はもう躊躇しなかった。
新しい下着を身に着け、文字通り身が引き締まる思いだった。
黒いワンピースをハンガーにかけたまま、目につく場所に置いた。
「このワンピースを着て、私は彼に会いに行く!」
その彼が、誰なのかまだわからない。
けれど、璃宇はそこに行くことを決めていた。

気づけば、食欲も収まっていた。
ファスティングの食事を取れないのは三日間だ。
その間は酵素ドリンクを飲み、白湯を飲む。
今日は三日目だから明日は回復食として、具のない味噌汁が食べられる。
今璃宇の中にあるのは性欲より、食欲だった。


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