レディー・ドラゴン セックスレスな妻たちへ
心と体から、女の時間が流れ出ている・・・~レディー・ドラゴン⑲~
同窓会の会場は、ラグジュアリーホテルとして有名な場所だった。
そのホテルの宴会部門の責任者が幹事ということで、一流ホテルでありながらお得な値段でリッチな気分を味わえる。
外国人の行きかうロビーに足を踏み入れただけで、これまでの同窓会と違うゴージャスな雰囲気に胸が高まる。十年ぶりの同窓会は、「五十歳を迎え行く年&来る年」がテーマだ。
中学時代の同窓会はこれまで何度か開催されていた。
独身の二十代の頃は、もしかしたらすてきな出逢いや再会があるかも?と胸をふくらませ出席したこともあった。が、特に胸弾む再会もなく、いつも仲のいい女子メンバーと楽しくは話して終わりだった。
結婚してからはいつも家に帰る時間や子供達のことが気になり、たいして美味しくないビュッフェをつまみ、弾まない会話に疲れ、会場を出たらホッとすることが多かった。
けれど今回の同窓会は、以前から行きたかった素敵なラグジュアリーホテルと過去に囚われず前だけ見る自分になったことで、変わった自分を試したかった。
事実、夫に言いたいことを伝え、本当に欲しいものも受け取った。
これまでと変わった新しい自分で挑む気持ちでエレベーターに乗った。
この日に備えて、赤のニットワンピースに白のコットンパールのロングネックレス、そして上に黒の白のハウンドトゥース・チェックのジャケットを羽織っていた。ロエベの黒のアマソナのバッグに足元は黒のフェラガモのリボンパンプスだ。
会場となる広間には、すでにたくさんの同級生たちが集まっていた。
中学、そして高校で一緒だった仲間達の姿もある。
周りを見渡し、久しぶりに会う同級生の姿を見て璃宇は愕然として、一瞬踏み出す足が止まった。
男性は頭が薄くなり、お腹もぷくんと出ている人がほとんどだ。
見るからにデザインが古いダブルのスーツを身に着けている男、愛想をふりまきながら名刺を配っている男。
「む、無理、同級生に心のトキメキを求めるのは・・・・・・」
同じクラスだった男性に旧姓で名前を呼ばれた璃宇は、とっさに作り笑顔をして、心の中で大きなため息をついた。自分の番号の書かれているテーブルに進みながら、璃宇の目はチラチラとある男の姿を探していた。
町田啓介。
璃宇が高校二年生の時に付き合っていた男子だ。
中学、高校と同じ学校だった。中学三年の時に同じクラスになり出席番号も一つ後ろにいた啓介は、中学、高校とバスケットボール部のキャプテンだった。
中学時代からすでに身長が185cmあり、笑顔がさわやかなイケメンの啓介は人気者だった。
同じ高校に進学してまもなく、啓介から交際を申し込まれた璃宇は有頂天だった。
部活が終わりミーティングや着替えをする啓介を待つのは、校庭の大きな樹の下。二人で手をつなぎ駅までの道を歩いているだけで、幸せだった。
だが璃宇と付き合い始めても啓介はモテモテだった。たくさんの女子が璃宇と言う彼女がいる事を知りながら、果敢に彼にアタックしてきた。
その中の一番熱心でポニーテールの勝ち気で可愛い女の子が、二年生の三学期ついに啓介を振り向かせた。
啓介は「ごめんな」と謝って、璃宇の元を去って行った。その夜、璃宇はベッドの中で泣きじゃくり、翌日泣き過ぎで目が腫れて学校を休んだ。それくらいショックだった。
その後啓介はバスケットボールのスポーツ推薦で、県外の大学に進学した。だが彼が同窓会に顔を見せたことは一度もない。
噂では、大学在学中に足の怪我をしてバスケットボールを辞め、大学に居づらくなり中退。
それから海外に渡った、という話しや、自分で事業を起こしたがうまくいかなかった、という話もちらほら聞いたが、どれも人づての噂だった。
啓介は中学や高校時代の友人たちとほとんど連絡も取っていないようだった。
一度SNSで名前を探したけど、出てこなかった。
璃宇はもしかしたら自分が面白くもない同窓会に毎回参加するのは、啓介に会いたいからかもしれない、と幹事のスピーチを聞きながら、ぼんやり感じた。
乾杯も終わりすっかり場がゆるむと、璃宇は周りを見て気づいた。
すっかりおじさんになった男子同級生に比べ、女子はおばさん化しているゾーンと、年を取るのをどうにかして食い止めようと頑張っているゾーンに、二極化されていた。
中学時代仲が良かった友人達がみな家庭の都合で欠席だったから、璃宇は一人離れて冷静にみんなの姿を見ていた。
そしてふと思う。ここにいる同級生の男も女も、妻や夫から快感を得ているのだろうか、と。
久しぶりに「快感」について思いめぐらせた。
いつものビュッフェより少し美味しい食事、とそれなりの会話を繰り返す内に同窓会はお開きになった。
気の合うものたちは二次会の会場へと向かい、璃宇にも誘いの声がかかった。けれど璃宇はもうお腹いっぱいだった。これ以上、自分の時間を取られるのはごめんだ、とやんわり断りホテルの外に出た。
料理やワインは確かに美味しかった。
食欲は満たされた。
けれど心は穴が開いてスース―思いが漏れているように、満たされていないことに気づく。
このまままっすぐ家に帰るのは嫌だ、一人でどこか飲みに行きたい、と璃宇は思った。
けれど専業主婦が長かったせいで、これまで一度も一人で飲みに行ったことがない。
薫子に連絡したら、どこかいいお店でも教えてくれるだろうが、そこは彼女の好みで彼女のテリトリーだ。
ホストクラブの件を苦く思い出し、それは嫌だ、と璃宇は頭を振る。
今さらながら、自分の居場所が家しかない、と思うと、わびしさがさらに重なり、切なくなり胸を抑えた。
そうしないと、自分の中から何かがどんどん流れ出ていく気がした。
それは「女の時間」だ。
自分の心と体から、女の時間が流れだすのはあまりにも悲しい、と璃宇は顔を歪めた。
交差点で立ち止まった璃宇は泣きそうだった。
ビュンビュンと音を立て、忙しそうに目の目を何台もの車が行きかう。
それは女の時間がどんどん通り過ぎていくのに似ていた。
師走の夜風がワンピースの裾を大きく揺らす。
冷たさだけでなく、わびしさと哀しさに震えた璃宇は両手を自分の体にまわしジャケットの上から自分を抱きしめ、心の中で叫ぶ。「誰か、いっときでいい、誰にも抱かれていない体と心をあたためて」
固く閉じた目の向こうに、赤い夕陽が見えた。
高校生の時、付き合っていた啓介と手を繋いで学校から帰っていた。
クラブ活動も終わり、とっぷり日は暮れていた。
その時、啓介が言った。
「年末から翌年の1月に向けての夕暮れは、なんだか切なくないか?
一年を閉じる「終わり」に向かう夕焼けは、寂しいよな。
でも新しい年が明けると夕暮れもリセットされ、始まりに向かって行くように見えるんだ。
同じ夕方でも全然違うよな?」
璃宇もまったく同じことを考えていたから、よく覚えていた。
あの頃の自分達にとって未来は「終わり」に向かって行くものではなく「始まり」に過ぎなかった。
けれど五十歳という年齢は、四十代を閉じ老いに向かう年代を開く時間の始まりだ。
これまで女として生きてきた五十年間、快感を得られなかった体のまま老いていくのは、あまりにも悲しい。
璃宇は信号は青に変わったが、足が前に進まなない。夜の街はたくさんの人々が行きかっている。
その時だった。後ろから
「前原?」
と自分の旧姓を呼ぶ声が聞こえた。
振り向いた璃宇の目の前に、どこか見覚えのある面影を残した背の高い初老の男がいた。
啓介だった。
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