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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第二十七話 お金の問題の根っこには、愛がしっかり絡みついている

お金の問題の根っこには、愛がしっかり絡みついている

わたしは自分のまちがいに気づきながら、ずっと目をそらしていました。聖母になるフリをし、自分の罪を見ないふりをしていたのです。
人は、まちがいを犯しやすい生き物
確かにそうです。
わたしもその一人です。
逃げ続けていたのです。

わたしが犯したまちがいは、自分に向き合わなかったこと。

自分に向き合うことを避け、秀吉と正面から向き合うことを避けました。そして都合のいい、今の自分と現実を創りました。
わたしは自分の気持ちより、秀吉の気持ちを優先しました。
激しく傷ついた自分の心を振り返ることを、しなかったのです。
なぜだと思いますか?
その方が楽だったからです。

秀吉の野心や我儘を叶える方が、傷ついた自分を認め愛しむよりも、はるかに楽だったのです。
自分を責めすべて自分のせいにする方が、事実の根源を見極めるより、ずっとずっと楽でした。

神様は、何度もチャンスを与えていました。
この世の果てまで行った時には、前世の自分まで見せてくれました。
それは、納得せよ、ということではありませんでした。
もっと自分に向きあい、秀吉と向き合え、ということでした。
なのにわたしはスルーし、自分がこれ以上傷つかないよう、楽で都合のいい出来事にねじ曲げました。

わたしが正直に自分自身と向き合えないのに、どうして秀吉と向き合えることができるでしょう?できるわけがありません。

秀吉は亡くなる時、わたしに感謝こそしてくれましたが、わたしを案じる言葉はかけてくれませんでした。
すべて秀頼様のことだけでした。
この女は一人になっても大丈夫だ、とでも思ったのでしょう。
そう思わせたのはわたしです。
聞き分けのいい聖母の仮面をかぶり続けた、わたしのなれの果てです。

もっと自分自身の気持ちに寄り添い、自分に向き合うのを逃げなければ、わたしと秀吉の関係も変わっていたでしょう。
自分が女としてかたわかもしれない、という恐れや不安が、いつも心にありました。それを認める事は気が狂うほど、苦しく辛い事でした。だから逃げました。自分の心をさらけ出し、開くことから逃げ続けたのです。

自分が女として可能なのか、他の男と試す勇気などありませんでした。
そんな自分のコンプレックスを、野心にすり替えたのです。
世間的には北政所という称号を与えられ、皆にうらやまれる地位を持ちました。お金も有り余るほど持ちました。地位も権力も手に入れました。
でもわたしが心から一番望んでいたのは、そんなものではございません。

わたしが一番望んでいたもの。
それは、自分がお腹を痛めて産む秀吉との子どもでした。
秀吉によく似た元気な男子です。

いえ、もう一つ正直に開きましょう。

秀吉に抱かれることです。
秀吉に抱かれ、女としての悦びを感じさせてもらうことです。
子を産むのが無理だったら、せめて睦あい悦びを感じながら、共に果てることでした。

これがお金でも地位でも名誉でもない、本当の望みです。
馬鹿な女だと思いますか?

秀吉の野望に乗っかっり、女として最高位の地位と名誉を手に入れました。
けれどそれがどうした、というのでしょう?
そこに何があるのでしょう?

お金や贅沢など目に見える幸福は、目に見えない幸福に勝るとは思いません。
天下を極め、富も地位も権力もすべて手に入れたからこそ、しみじみわかるのです。
なんと憐れな女でしょう。
本当の妻にも母にもなれず、自分の心からの望みに目をつむり、独りぼっちになった今わかるとは、大いなる誤算です。

それに比べると、自分の望むものに必死に手を伸ばし、つかみ取った茶々様は、したたかで素晴らしい女です。
あの方は、亡くなった母のお市様に織田と浅井を背負わされた上で秀吉に抱かれ、どんな手段を使ったのかわかりませんが、二度も子どもを作りました。
産み出したのです。

茶々様は子どもを産むことで、自分の激しい感情や怒りや哀しみの膿みも一緒に、自分の外へ吐き出しました。
産み出しは、膿み出しなのです。

わたしは産み出しも膿み出しも、しませんでした。全部自分の中で飲みこみ、閉じたままでした。子宮を閉じたように、わたし自身も貝のようにピタリと閉じたのです。閉じた口からは何も入りません。そんな人生を選んだのです。

そうやって高台寺で一人わたしが自分に向き合う時間を過ごしている内、豊臣と徳川様の溝はどんどん深くなりました。
家康様の嫡男の秀忠様は一時、人質として豊臣におりました。
そのご縁もあり江様との再婚につながったのですが、秀忠様は時折わたしのを訪ねて来られました。
彼は真摯に、豊臣と徳川の将来を考えて下さっていたのです。
本当にありがたいことでした。けれどそれは父家康様と意見の違いを産み、秀忠様を苦しめておりました。
豊臣を退いたわたしは、秀忠様にお伝えしました。
「どうぞ、わたしのことは気にせず、秀忠様の良きようにお進み下さいませ」

秀頼様の妻となった秀忠様の娘の千姫様も、よくわたしに会いに来てくれました。
秀頼様が側室を持っていることに、悲しんでいましたが
「正室であるあなたとは、立場が違います。
あなたは堂々としていればいいのです」
と、アドバイスするとお顔がぱぁっ!と笑顔になりましたよ。
茶々様と、あまりうまくいっていないのでしょうね。
茶々様は秀頼様を、まるで恋人を見る様なまなざしで見ていたので、千姫様がうとましいのでしょう。

人の世というものは愛が絡むからこそ、より複雑になります。
お金の問題の根っこには、愛がしっかり絡みついています。
その愛を解きほぐすことで、お金や富、地位や権力にしがみつく思いも、解きほぐされます。
わたしは自分の愛を解きほぐすことを怠たり、地位や権力に固執しました。
愛に目をつむり、他のもので埋めようとしたのです。
膿み出しを止めたのです。

今、こうやって自分の気持ちを開き、認めておかなければ、わたしは自分の一生に悔いを残したでしょう。
自分の気持ちにふたを閉めたままあの世で、秀吉に会うわけにはまいりません。あの世で彼に恨み言ばかり言ってしまうでしょう。

わたしは自分の気持ちを開きました。
けれど開いたパンドラの箱の中を見ると、さらにもっと深い思いが横たわっておりました。

それを知ったのは、茶々様と秀頼様が自害し、豊臣が滅びた時でございました。
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その問題の根本をよく見てみましょう。

そこに愛は絡んでいませんか?

一見関係ないように見えますが、ずっと過去から解きほぐすと愛の過不足が見えてきます。

それがお金と絡み合います。

問題の根本、そこに目を凝らしてみましょう。

それが解決の糸口になりますよ。



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