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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第十八話 人は心の拠りどころを求める生き物

人は心の拠りどころを求める生き物

茶々様の妊娠は、秀吉に喜びと活気を与えました。
秀吉は「よくやったぞ、茶々」の感謝を込め、山城淀城を茶々様に与えました。
この城に茶々様が移って以降、茶々様は世間から淀様と呼ばれるようになりました。
わたしの中では相変わらず、茶々様ですけどね。
口さがない世間は
「愛人に子どもができて、正妻の寧々は肩身が狭かろう」
と言っているようです。

「北政所様、くやしいです」と歯を食いしばる侍女達から世俗的な反応を聞いても、わたしは鷹揚に「ほっておきない」と笑いました。おかげで「なんと心の広い北政所様!」とわたしの株は上がりました。わたしは心の中でこっそり笑っていたのです。誰も知らないでしょう?
もともとわたしと秀吉がプラトニックで、一度も肉体関係がないことなんて。

そんなこと、想像できますか?
わたしが妊娠できずお気の毒、と世間は思っているんでしょう?
妊娠できなくて、当たり前ではないですか。
処女受胎など、そんなことありえないでしょう。
わたしは、秀吉が伴天連追放令で長崎に追いやったイエズス会のルイス・フロイスに聞いた聖母マリア様ではありませんよ。

ルイス・フロイスに聞いたイエズス会のお話は、本当に不思議でした。処女受胎の母、マリアから生まれたキリスト。人々の苦しみを癒す、と言われています。海の向こうには、そのような神様がおられるのですね。
わたしはその話に、強く心を惹かれました。
天下人の妻としてキリスト教になるわけにはいきませんが、秀吉に追放された彼らをこっそりサポートしました。
伴天連追放令も出されましたが、事実上キリシタンは黙認されていました。
わたしはそこに救いは求めませんが、侍女の中にはキリスト教に改宗したものもおります。
人は心の拠りどころを求める生き物なのです。

茶々様のお腹の中で、秀吉の希望はどんどん育っていました。
そして天正十七年五月二十七日、茶々様は秀吉の嫡男を出産しました。
秀吉、五十三歳。
待望の我が子、跡取りの誕生です。秀吉は顔を真っ赤にして喜びを爆発させその場で踊り出しました。その時、わたしはずっと欲しがっていたおもちゃをようやく手に入れ、大喜びする子を見るような眼差しをしていたでしょう。彼の喜ぶ姿を見る事が、わたしの幸せでした。

浅井と織田の血筋を持った我が子を得た秀吉は、長寿を願いその赤子に「棄(すて)」という名をつけました。どうしてそのような名を?と尋ねたわたしに、秀吉は歯を剥き出して笑いました。
「棄て児はよく育つと、巷では言われておる。
わしはこの子に長生きし、末永く豊臣の繁栄を託したいんじゃ」なるほど、そのような意図があったのか、と納得しました。

きっと茶々様は、この名前が御不満だと存じます。
けれど秀吉がそう決めたら、そうなのです。
茶々様お一人の子ではないことを、しっかり覚えていてもらわねば困ります。
棄様は、豊臣の子です。
茶々様がどんな子種を受け取ったとしても、秀吉が認めたらそうなのです。

やがて秀吉は茶々様と棄様を、わたし達のいる大阪城に迎え入れました。
子供の名前は「棄」から「鶴丸」に変わっておりました。
茶々様は「棄」と言う名前を忌み嫌い、早く変えたがっていたからでしょう。
秀吉はすでに鶴丸様を、自分の後継者に決めていました。

天正十七年九月十三日、茶々様と鶴丸様は山城淀城から大阪城まで、豊臣の権勢を誇るよう絢爛豪華な大行列を従え、やってまいりました。
茶々様はそこで女王様のように振舞っておりました。まるで自分一人で手柄を上げたように胸を張っておりました。その姿に唇の中が粘つき、ざらり、としました。

華やかな輿から降りた茶々様は鶴丸様を乳母に預け、わたしと秀吉のところにやってきました。
秀吉は上機嫌で、彼らの到着を今かいまか、と待ちわびておりました。興奮した様子で、茶々様と鶴丸様を迎えに出た秀吉のそばにはわたしもおりました。
秀吉は茶々様をお迎えし、乳母に両手を差し出し鶴丸を奪い、抱っこしました。
「おお、鶴丸、ようやく来たか!!ほれ、ほれ!!」
顔じゅうをデレデレに崩し、お爺ちゃんと言われても仕方ない年ごろなのに、秀吉は本当にうれしそうでした。
わたしも愛おしい子を包むような眼差しで、秀吉を見つめました。

そして目線をずらし、茶々様を見ました。相変わらずお美しい茶々様でしたが表情は硬く、秀吉ではなく鶴丸様だけを目で追っておられました。秀吉が鶴丸様の頬に唇を寄せたのを見て、一瞬片頬がピクリと嫌そうに動いたのを見逃しませんでした。
どうやら茶々様は、秀吉に対して愛はないようです。
それはいいのです。
けれど秀吉は茶々様に、豊臣の跡継ぎを産んでくれた母として最高位の権力と地位を与えました。それは感謝して欲しいものです。わたしは心の中で小さく舌打ちをしました。

秀吉は乳母から鶴丸を抱き上げ
「ほれ、これが豊臣の跡継ぎの鶴丸じゃ」
とわたしに抱かせようとしました。
わたしは鶴丸様を抱くために、腕を伸ばそうとした時です。わたしの手は空に浮きました。

「関白様、そろそろ鶴丸君はお乳の時間でございます」
茶々様の乳母の大蔵卿局が、さっと秀吉の手元から鶴丸を奪ったのです。

「おお、そうじゃったか!鶴丸、お腹がすいたか。さぁ、たんと乳を飲んでこい。」
秀吉は鶴丸様を抱こうと腕を出そうとしたわたしに向けた身体を、大蔵卿局に向け、鶴丸様をお渡ししました。

わたしは空に浮かんだままの手を、何もなかったようにすぐに下ろしました。わたしも鶴丸様を抱っこしたかったのですが、茶々様が冷たい目でわたしを見下している姿も見ておりました。
きっとわたしに鶴丸様を抱かせたくなかったのでしょうね。
わたしは鶴丸様をどうやって抱っこしたらいいのか、わからなかったので、少しホッとしていました。
だって、そうでしょう?
生まれたばかりの赤子の抱き方など、わたしにはわかりません。わかるわけなどありません。
あんなにあたたかくふんわりした生き物、一度抱きしめたら離したくなくなるでしょう。茶々様は鶴丸様をわたしに取られ、愛する我が子と引き離される事を恐れていたのでしょうね。

そんな生き物を産んだ茶々様とこれから同じ城に住むことは、わたしを苦しめます。真綿で首を絞められるように息苦しいです。
それは茶々様も、同じ気持ちだったようです。

茶々様は早速秀吉に提案しました。
「この大阪城は、窮屈です。
ここには、寧々様を始め他の側室たちもたくさんいます。
あなたがわたしのところに足しげく通えば、他の者たちの機嫌は良くないわ。北政所さまも、いい気分はしませんわ。
どこか、他の城に移りたいわ」

「他の城、と言ってもなぁ。
せっかくここで、お前や鶴丸と一緒に暮らせるようになって、わしはすごくうれしいんじゃが・・・・・・」

「それは、男と女のちがいですわ。女にはいろんな事情がありますのよ。
一人の女が特別扱いされるのを近くで見ることは、よくありませんの。
それに・・・・・・」
「それに?」
「もしそんな女たちの嫉妬が、鶴丸に恨みの念となって向けられ鶴丸がどうなるか、と思うとわたしは夜も怖くて眠れませんの」

茶々様は泣いたそうです。
まぁ、よく言ったことです。わたしは立ち上がらんばかりに驚きました。
誰がこの大阪城で、鶴丸様に恨みを抱くでしょうか。そんなものがいたら、秀吉に首を切られる事必須ではないですか。
茶々様のその言葉は、わたしに向けての嫌味と牽制ですね。

そのようなこともありましたが、天正十八年のお正月、わたし達は揃って大阪城で迎えました。
秀吉は鶴丸様を抱きしめ、両脇にわたしと茶々様を置き、たいそうご機嫌でした。他の側室たちもズラリと並び、その場に華やかさを添えておりました。けれど茶々様は、それが気に召さなかったようです。
早々に鶴丸様を抱き、退出されました。

他の側室達も自分勝手な行動を起こす茶々様に、眉をひそめました。
茶々様と他の側室たちに確執が起こることは、秀吉にとってよろしくありません。
わたしは茶々様の望み通り、彼女たち親子を聚楽第に移すよう秀吉に進言しました。
秀吉はわたしの意見に従い、茶々様と鶴丸様を聚楽第に移しました。
彼女達が大阪城を出ると、わたしも肩の荷を下ろしたように楽な心地になりました。けれど一つ気がかりなことがありました。
鶴丸様が咳をしたり、どことなく顔色があまりよろしくないようにお見受けしたのです。
けれどわたしが何を言っても、茶々様は受け入れないでしょう。
鶴丸様は自分一人のモノだ、と思い込んでいるようですから。
わたしは茶々様にハッキリ申し上げたいです。
茶々様は確かに豊臣の跡継ぎを産んでくれました。
でもそれはあなたがご自分の役割を、果たしただけでございます。
鶴丸様はあなたのお子様ですが、あなた一人のものではなく豊臣の子です。
あなただけの心の拠り所ではありません。
みなの期待を背負った、心の拠り所です。

いつかあなたにも、それがわかる日がきます。

わたしはそう心の中で茶々様に書けない手紙を書きながら、空を眺めました。不吉なほど真っ赤な夕暮れが大阪城から見えました。

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