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「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第十五話 生まれ育った環境が創るもの

生まれ育った環境が創るもの

やがて江戸城に慶福様が入ってこられた。
私と家定様の養子、という形で、名前も徳川家茂に改められた。
「お義母上様、家茂でございます」
そう言いながら、彼は頭を下げた。
息子、というけれど彼は十三歳で、私は二十二歳。
息子、よりも弟、という感じだった。聡明で年齢よりも落ち着いて見えた。今後私は彼を支え徳川家を守っていくのだ、と背筋を伸ばした。

家定様亡き後、私は落飾し天璋院と呼ばれるようになった。
その頃、薩摩から
「もう徳川とのご縁もなくなったことだし、島津に戻って来てはいかがか?」
という打診もあった。それを聞いた時、正直心が揺れた。私の中にいつでも故郷の面影は残っている。私を受け入れ帰る場所があることに浮き立ちながら、ハッと胸を押さえた。
私はお義父上の斉彬様の命を果たすことはできなかった。
そんな中で胸を張って、薩摩に帰ることはできない。私は浮足立った自分をいさめるように、深呼吸をして目を閉じた。帰れるものなら帰りたい。
だが私はもう龍に乗ってしまった。
龍に乗って江戸に連れてこられた私は、同じように龍に乗ってここに運ばれてきた家定様に出逢った。
運命のソウルメイトに出逢ってしまった。

たった二年間しか、一緒にいられなかった。
けれど私が家定様と共に背負ったものは、年月以上に重く深いものだった。
それは終生、誰にも話せない。
私と家定様だけの秘密の約束だ。
家定様は徳川のバトンを命をかけ家茂様に渡すため、龍に運ばれてきた。

一度龍に乗ったものは、もうその背から降りられない。

私はこのまま、徳川に残ることにした。
私はもう島津の人間ではない。
家定様が命をかけて守った徳川の人間だ。
私も家定からのバトンを家茂様に手渡す為、家茂様が成長し一人前の将軍になれるよう影ながらサポートした。それが家定様との約束だった。

翌年、大老井伊直弼は後に「安政の大獄」と呼ばれる尊王攘夷派に対しての激しい弾圧が始めた。
敵対する一橋慶喜様を推していた薩摩は、隠居させられていたお義父上の父親で伯父の島津斉興が幕府に追随する方針へと薩摩の舵を切り替えた。
幕府の意向に反するものはことごとく処罰され、お義父上様の遺志を受け継いだ西郷は、琉球へと島流しにされた。
たくさんの犠牲者が出た。私も胸を痛めた。
が、私も家茂様も井伊の勢いを止めることが出来なかった。
おびただしい血が流された。彼の強硬な政策は、反対勢力である尊王攘夷派から根深い恨みを募らせた。


そして二年後の1860年三月、春なのに雪が降る中、井伊直弼は外桜田の屋敷を出て江戸城に向かった。その途中桜田門外で、水戸を脱藩した浪士たちと薩摩藩の浪士、十八名に襲われた。
籠の中で銃で撃たれた上、何度も刀を突きさされ、最後に首をはねられる、という残忍な殺され方は、彼が安政の大獄でいかに深い恨みを買っていたかを物語っていた。
井伊の死は、そのまま幕府の政の流れを変えた。
二百五十年以上に渡り日本を治めていた徳川幕府は、天皇家をないがしろにできなくないことに気づいた。
そこで、幕府が考えたのが「公武合体」という政策だった。

公武合体の「公」は公家で天皇をさす。
「武」は、武家で幕府だ。
外国が開国を求めてやってくるが、もはや幕府の力だけでは太刀打ちできないので、幕府と朝廷が共に力を合わせ一つになりこの国を守ろう、ということだ。
がそれは表向きの理由で、要は弱まっていく幕府の求心力を朝廷の力を借りてもう一度立て直していく、というのが本音だ。
そこで浮上したのが、家茂様の結婚だった。

家茂様の年齢にちょうど見合った女性が、孝明天皇の妹の和宮様だった。
和宮様は五歳の時からのフィアンセがいたがそれを白紙に戻された。

日本のため、と天皇に頭を下げられた和宮様に断る道は閉ざされた。生まれ育った京から江戸にくるなど、理不尽な婚姻話だった。
天皇家から何度も強い抵抗にあったが、幕府は粘り強くこの婚姻を進めた。それしか世間をおさめる方法がなかった。
そして1862年二月家茂様と和宮様の婚礼が執り行われた。
しかしその婚礼の様子は、私やこれまでの徳川との婚礼とはまったくちがう異様なありさまだった。
嫁いでくる和宮様が家茂様よりも高い身分の内親王という形で降嫁された。
つまり嫁いできた方が主人で、娶る徳川家が客、という逆転の立場にだったからだ。

しかし同じ女として思う。これは彼女なりのプライドだ、と。
和宮様はこう思ったのではないか。自分は側室の娘だが天皇の妹で、もともと同じ地位にいる幼馴染のフィアンセもいた。
それを引き裂かれこの国のために、と頭を下げられ泣く泣く嫁いできた。
ある意味、和宮様も嫌々ながらも龍の背に乗ってここに運ばれてきたことを意味する。
だが和宮様は龍の背中から落ちて、亡くなりたかっただろう。
私達と同じ徳川の人間になることを認めたくなかっただろう。
そんな自分も赦せなかっただろう。

生まれ育った環境が創るもの・・・・・・その人のプライドだ。

後に私はそれを思い知ることになる。
それは徳川に、主に大奥にさまざまな波紋を呼び起こした。


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