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「シャイニング・ワイルドフラワー~千だって~」第十話 切ない最後のキス
切ない最後のキス
砂漠に散った花びらの残骸を懐に抱え、わたしは大阪城に帰った。
万策尽き城に戻ったわたしを、秀くんが笑顔で迎えてくれた。
何の役にも立たなかったわたしは、泣きながら秀くんに抱きついた。秀くんはすべてをわかっていたように、わたしの背中を優しく撫でてくれた。その時決めた。秀くんと一緒にここで命を断とう、と。
わたしはようやく顔を上げ、秀くんを見た。彼はわたしの瞳の中にある決意を掬い取ったように、わたしの手を取った。やがてやってくる死に向かい
ブルブル震えている手を、彼はしっかり握りしめた。
あたたかい手。秀くんがいるなら、怖くない。わたしは大きく深呼吸をした。ほんのわずかに残された日々、わたしはできるだけ一緒に過ごした。
やがて徳川の攻撃が始まった。どんどん、という大砲の音が聞こえ、戦火が近くまで来ているのがわかった。わたしと秀くんは手を握り合い震えた。鼻をつく煙の臭いがした。あの世に行く時間が近づいてきた、と覚悟を決めたその時だった。淀ママが口を開いた。
「千姫、あなたはもうこれ以上ここにいる必要はありません」
わたしは、驚いて反論した。
「お義母様、わたくしは秀頼様の妻です。最後まで一緒に居させてください。それにわたしは何の役にも立ちませんでした!
お義母様と秀頼様の命を救うことができなかったわたしは、この世に生きていく価値などありません!」
わたしは、泣きながら叫んだ。
いやだ!わたしだけここから逃げるなんて、いやだ!!身体全体が拒否した。「お願いです!どうぞ一緒にいさせてください!」
そう叫んだわたしに、秀くんは海のように静かな目をしわたしを見つめ言った。
「もうそれ以上、何も言わなくていい」
死を覚悟した彼の言葉は、なんの濁りもなかった。
言霊が目に見えたら、それは美しく透き通っていただろう。
駄々っ子をなだめるように、淀ママがわたしに言った。
「何を言っているのですか、千姫。あなたはまだ若い。
あなたは、わたし達のために本当によくやってくれました。
あなたは家康様の孫娘。
家康様も孫娘のあなたが、城内に出れば喜んで迎えるでしょう。
秀忠様も、江もあなたの無事を祈りながらきっと待っています」
わたしは、いやだ、いやだ、とぶんぶん頭を振った。
頭を振りながら、おじいちゃまやママの顔を振り払った。
そしてわたしは淀ママと秀くんに向かい正座して、頭を下げた。
「お義母様、わたしは、もう徳川の人間ではありません。 豊臣の人間です。お義母様が、わたしのことをずっと疎んでいたのは知っていました。
でも、それは仕方のないことだとあきらめていました。
けれど、最後は・・・・・・最後くらいは、豊臣の女として秀頼様とこの世を去らせて下さい!」
お願い、わたしだけ一人にしないで!
一人で取り残さないで!!
焦ったわたしはありったけの思いを込め、必死に淀ママに訴えた。
淀ママは正面からわたしの言葉を受け取った上で、辛抱強く言い聞かせた。
「千姫、あなたにはわたしと江の母、浅井家と母上の実家、織田の血も流れています。
秀頼も、わたしもそうです。
豊臣はこれで終わりです。
秀頼の父、秀吉は一代で農民から天下人に成り上がりました。
ですから、その家系がここで尽きるのは仕方ないことです。
けれど、浅井と織田の血は絶やしてはいけません。
それは徳川の血といっしょになり、後世につながっていくでしょう。
わたし達の中に流れているご先祖様の命を、無駄に殺してはいけません。
わたしと秀頼は、家康殿に引き渡されたとしても、殺される運命です。
それを江や初に見させるわけにはいきません。
二人ともわたし達のために、どれだけ尽くしてくれたことか。
あなたの寿命はここで尽きてはいけません。
生きるのです!
生きて、後世の人たちに正しく伝えてほしいのです。
あなたと秀頼のこと。
大阪城での暮らしのこと。
誰も本当のことを知るものがいなくなったら、人はおもしろおかしく書き立てるでしょう。
だから、千姫。
生きるのです!
生きて、命を伝えるのです」
それは命令だった。でも淀ママの言葉は、弾丸のようにわたしの胸を貫いた。たしかにわたしが伝えなければ、このまま淀ママのことも秀くんのことも、伝えることはできない。
それでも、まだわたしは自分だけがここを去るのを躊躇していた。
いいの?本当にいいの?
わたしだけ大阪城を出て行っても・・・?
生きていっても・・・?罪悪感がわたしの心を針でつつくように、チクチク刺し血を流させる。その時、流れる血をふき取るように、秀くんがやさしくわたしの身体を抱いた。迷う気持ちを見透かすし、耳元でささやいた。
「千、よく聞いて。千には大阪城を出て、生きて欲しい。
おじいさまのところに行きなさい。わたしは千と一緒に過ごせて、本当に幸せだった。
千の笑顔を見ているだけで、わたしの心は癒された。
もし今度平和な時に生まれたら、もう一度一緒に生きよう。約束する。
その時は共白髪になるまで、ずっと一緒にいる。
だから、今は生きて欲しい」
秀くんはキッパリ言い切った。
そして誰の目をはばかることもなく、わたしにキスした。
それは、切ない最後のキスだった。
このキスが終わると、わたしは永遠に彼を失う。
と同時にわたしに「生きよ」と命じるキスだった。
やるせなさに涙がこみ上げる。
今度っていつよ、今度って。
ちゃんと100年後、とか200年後、とか約束してよ!!
秀くんの言葉を拾い上げ、文句をつけることで、わたしはその場に座り続けた。そんなわたしの未練を断ち切るように、淀ママが叫んだ。
「千姫の支度を!」
そばでじっと控えていた刑部卿局は、その言葉を待っていたかのように、すぐさま立ち上がり、慌ただしく動き始めた。
徳川から来た侍女や家来たちも、わらわらと準備を始めた。
荷造りはほとんどできあがっていた。
その様子を呆然と見ていたわたしは、自分以外のみなが、何もかも知っていたのに気づいた。わたしだけが蚊帳の外に置かれ、何も知らされていなかった。自分の無力さにも打ちひしがれ、その場に泣き崩れた。
守られているばかりで、わたしは誰も守ることが出来ない。
それを目の当たりに見せられた自分が情けなかった。
どれだけ周りに人がいようと、わたしの心は荒れ果てた砂漠だ。
人は誰かにために役に立たないのなら、生きている甲斐がない。
人にあてにされないわたしは、生きている甲斐のない女だ。
自分を責め続けブスブス心にナイフを突き刺していると、ふいに背中があたたかくなった。
秀くんが、わたしの背中をやさしく撫でていた。
「大丈夫だ。大丈夫だ。
千がどこにいても、わたしは君をあたためる日差しとなり、風となり、見守っているからね」
秀くんは死を目の前にしながらも、わたしのことを案じている。
この場においてこんなことが言えるなんて、秀くんはやっぱり、他の星からやってきた王子様だ!わたしは泣きながら思った。
生き残るのは、こういう人だよ、神さま。
あなた、極楽浄土に連れて行く順番、間違っているよ!!目いっぱい、神様にガンを飛ばしてディスった。
それが神様まで届かないのがまた悔しくて、泣き続けた。
わたしが秀くんにあやされ続けていると、刑部卿局が声をかけた。
「千姫様、お支度ができました」
淀ママが凛とした声で言った。「千姫、行きなさい」
秀くんが叫んだ。「千、生きるんだ!」
二人の声に何も答えることが出来ず、わたしはもう一度正座をし直した。
そしてありったけの愛情と感謝を込め、深くお辞儀をした。
あまりに長い間そのお辞儀が続いたので、両腕を刑部卿局と侍女につかまれ、ふらふらと立ち上がった。
そして家来たちに囲まれ、その場から引き離された。
もう声は出なかった。涙で秀くんの顔がぼやけた。どんどん離れて行くわたしの王子様。
秀くん、秀くん さようなら。
淀ママ、さようなら。
十二年年間暮らした大阪城よ、さようなら。
大阪城という鳥かごは、ガラガラと崩壊し始めた。
飼われていたつがいの鳥の片方は、鳥かごの中で朽ちていく。
後を託されたわたしは、朽ちることも赦されていない。
なら散り去った花びらと共に、悔しさや悲しみをそこに埋めよう。
荒涼とした砂漠に、豊臣の千姫、という墓標を立てよう。
わたしは死んだ。
そして、もう一度そこから新しい花を咲かせる芽を出すの。
そうするしか、ないじゃない。
そうしないと、生きていけない・・・
流れ落ちる涙をぬぐいもせず、心の中で叫び続けた。
神様のばかやろう!
秀くんが
秀くんが
本当に大すきだった。
秀くんと過ごした夢見がちで世間知らずのわたしは、埋葬され、もういない。
さようなら、秀くん
さようなら、千姫
さようなら、大阪城
城の外に出て後ろを振り返ると、大阪城が赤く燃えていた。
砂漠に咲くワイルドフラワーも、きっと同じくらい赤いはず
もう泣き叫ぶ力もないわたしは、ぼんやりそう思った。
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