「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第四話 がんばれ、私!女が嫁ぐということ
がんばれ、私!女が嫁ぐということ
嘉永六年八月、私は生まれ育った薩摩を後にした。
父上や母上、兄上達は家臣として皆と並び膝まづいたまま、私を見送っていた。
お義父上の配慮か、前列で顔を合わせられるほどの距離で私は泣きそうな胸を押さえ家族を見つめた。せめて一言でも別れを告げたい。そう思うのは娘として当然の気持ちだろう。
だが言葉を交わすことはできない。
父上は涙をこらえ眉間に皺を寄せ、母上の目には涙を光り両手を握り締めている。
兄上達も心配そうな顔で私の姿を目で追う。
お義父上の屋敷を出て輿に乗るまでのわずかな距離、私は目で家族に精いっぱいの感謝の気持ちを込め、わずかに頭を下げた。それが今の私に許されたギリギリの限界だった。輿の乗ってからも、小窓を開け皆が見えなくなるまで姿を追った。見えなくなると私は声を殺し、涙を流した。
私の生まれ育った愛おしい薩摩を私は旅立つ。さようなら、薩摩。
桜島を擁する愛すべき大らかな土地。
ここで生まれ育ったことを誇りに思い、私は引かれる後ろ髪を断ち切り、江戸に旅立った。
この時が私の人生で見た最後の故郷だった。それ以来私は終生、この地を踏むことはなかった。
長い旅を経て、ようやく江戸の薩摩藩邸に着いた。
心も体もぐったり疲れ背を丸めていた。早く狭い輿から降りて、のびのびと手足を広げたかった。その時、出迎えの列に姿勢がいい髪に少し白髪の出始めた女性を目についた。もしや、これが噂の教育係の幾島?!と思わず私は背筋を伸ばした。
彼女は輿から降りた私を、厳しい目で上から下まで品定めするように、じっと眺めた。
無遠慮で冷たく鋭い目つきに、額や脇から嫌な汗がにじみ出た。
立場的に私の方が上なのに、なぜか見降ろされている感が半端なく身震いした。
が目をそらせたら負けだと思い、目を精いっぱい開いて、視線を外さなかった。私達は二人でにらみ合うような形になった。周りに緊張が走った。
「初めまして、篤姫様。幾島でございます」
何の感情も込められていない声だった。
顔もその声にふさわしく無表情だ。
この時の幾島は、確か四十八歳。
幾島も薩摩出身で薩摩藩お側用人の娘だった。
伯母上の郁姫様が、五摂家の内の一つ近衛家の近衛忠煕様に嫁いだ時、上臈として共に京都に上がり近衛邸で生活していた。
当時は「藤田」という名前だったそうだ。
郁姫様死去に伴い出家し得浄院という名で、そのまま近衛邸で忠煕様にお仕えし、郁姫様の菩提を弔い生活されていた、とのこと。
今回徳川将軍家に私の輿入れが決まり、お義父上の目に叶い幾島、と名を改め今小路孝由様の養女という形を取り、ここにやってきたそうだ。
幾島が選ばれた理由は、京都の所作や作法に詳しかったことだという。
これまで徳川は京都の公家から妻を迎えていた。薩摩の田舎娘を徳川に送り込む私をファーストレディーにふさわしく仕立てるのが、彼女の役目だ。
「篤子です。どうぞ、よろしくお願いいたします」
と、頭を下げようとした時
「みだりに頭を下げるものでは、ございませぬ!!」
ピシリッ!とナイフのような鋭い言葉が投げかけられた。
「あなた様は、これから家定様に嫁ぎ御台所様になるお方。
そのようなお方が、目下の者に軽々しく頭など下げるものではござりませぬ」
「わ・・・わかった」
「わかりました、でございます。」
「わかりました」
な・・・何なん?!この女!!私は心の中で猛烈に反発した。その思いが顔に表れていたのだろう。幾島は私の目の前にぐぃ、と近寄りねめつけた。
「よろしいですか、篤姫様。
将軍家に嫁ぐ、ということは、大奥に入る、ということです。
そしてあなた様が、大奥のことすべてを仕切っていく立場になるのです。
他の大名のところに嫁ぐことと、まったくわけが違います。
五百名近い大奥の女達を束ねるのは並大抵のことではございませぬ。
ただ人形のようにその場に大人しく座っているお飾りの御台所様など、必要ございません。
大奥には家定様のご生母様の本寿院様や御年寄の滝山様という手ごわい方々もおられます。
あなた様はそのような方達と互角に渡り合っていかねばならないのです。
ましてやあなた様は、島津斉彬様からの大切な命を受けております。
立派な御台所様におなりあそばし家定様と仲睦まじくなることが、斉彬様の命を叶える近道なのです。
そのためにこの幾島、全身全霊を込めて、あなた様を立派な御台所様にさせていただきます。
さぁ、今すぐ薩摩のことをすべて忘れください。
言葉も思いも身なりも行儀も何もかも、お捨て下さい。
あなた様はここ江戸で、新しい篤姫様に生まれ変わるのです」
「ちょっと待って!あなたも薩摩の出身でしょう?
あなたも郁姫様と一緒に近衛家に来た時に、すべて捨てたの?」
「そうでございます。
郁姫様も私も薩摩を出て京に参りました時、すべて薩摩を捨てました。
嫁ぐ、ということはこういうことでございます。
ですから篤姫様にもその覚悟を持って、御台所様への道をしっかり歩いていただきます」
女が嫁ぐ、というのは、こういうことなのか。私は茫然とした。
そして、私は家定様に嫁ぎ御台所様になる「覚悟」を試されている、と瞬時に悟った。
幾島はにらむような目つきで、私から目を反らさない。
蛇ににらまれたカエルのように、私の薄っぺらい覚悟をあざ笑うように、手のひらからも汗がにじんだ。口の中がカラカラになった。
でも私も幾島から目を反らさない。カエルにはカエルの意地がある!
がんばれ、私!自分で自分の背中を強く押し、ようやく言葉を絞り出した。
「私は家定様の御台所になります。そのためによろしく頼みますぞ、幾島」
「ははぁ!!」
幾島は頭を下げた。
自分の部屋に案内された時、ようやく解放される、と思ったが幾島は部屋にもついてきた。この生活が毎日続いていく、と思うとクラクラした。
江戸での御台所修業はこうして始まった。
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