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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第十六話 女はいつもどこかで、人生をリセットしたい

女はいつもどこかで、人生をリセットしたい

翌日秀吉は大そうご機嫌で、ニコニコしながらわたしのところにやって来ました。そしてわたしの手を取り、両手で包みました。
「さすが寧々じゃ。茶々をわしのものにしたぞ。
これも全部、寧々のおかげじゃ」

やっぱり、と一瞬目を閉じた後、すぐに笑みを作りました。
「それは、よろしゅうございました」
わたしは自分の手を握っている、秀吉の手に目を向けました。
皺が寄りシミが浮かんだ五十男の手。
この手に、茶々様は抱かれたのです。
自分の父親を滅ぼし、自分の母親と継父を自害させた男に抱かれたのです。
まぁ、お気の毒、と思いながら、心のどこかでほくそ笑む自分にゾッとしました。

こんなわたしのどこが菩薩なのでしょう。わたしほど菩薩から程遠い女もいないでしょう。解脱したと思っていたのに、まだまだ現世の女として生身の女の感情に振り回されています。秀吉が去った後、わたしは両手で頭を抱え座りこみました。黒いすすになってもグズグズわたしをさいなむ女の業が、わたしの子宮を攻撃します。
おお、いやだ!いやだ!!わたしはお腹に差し込む痛みに耐え、唇を噛みました。
なぜでしょう?龍子殿には波立たない気持ちが、茶々様には波立つのです。
茶々様がわたしの中の眠っていた嵐を呼び覚まし、子宮を刺激します。

ついにわたしは畳にうつ伏せ、畳に爪を立てました。心も体もナイフで試し切りをされたようなヒリヒリした痛みで、わたしを傷つけます。今まで、そのような痛みが出た時は、お母様に胸の内を聞いてもらっていました。お母様は黙ってわたしの話を聞き、やさしく抱きしめてくれました。それだけで十分痛みが和らいだのです。
でも今お母様は、わたしのそばにおりません。

豊臣の姓をもらう少し前、秀吉は徳川家康様を上洛させ自分に屈服させようと、幾度も試みていました。
けれど徳川様はいっこうに応じず秀吉は焦れ焦れしておりました。秀吉は講和を前提に自分の妹の旭を、徳川様の空いていた正室の座に送り込みました。

徳川様は若い頃ご縁のあった今川様の姪の瀬名様を、正室に迎えられました。嫡男の信康様は、信長様の長女の徳姫様と結婚されました。
ところが瀬名様と徳姫様が不仲になり、徳姫様がそれを信長様に訴えました。瀬名様が武田とつながっている疑いもあり、信長様は瀬名様と信康様を討つよう、徳川様に命じました。
徳川様は信長様とのご縁を重んじ、泣く泣く正室の瀬名様と嫡男の信康様を討ちました。
それ以降、徳川様の正室の座は空席でした。

秀吉はそこに目をつけ、農民時代に結婚していた旭を無理やり離縁させ、徳川様に嫁がせたのです。
これも秀吉が徳川様を何としてでも上洛させたいあまりに、わたしに何かいい案がないか、と聞かされた時に、思いついたことでございます。
豊臣の身内で徳川様の正室になれそうな年頃の女は、秀吉の妹の旭しかおりませんでした。
旭を離縁させ徳川様に嫁がせることを提案したのも、わたしです。

なぜ、わたしがそのようなことを思いついたと思います?
旭と夫の間に子どもがいなかったからでございます。
旭は、この時四十四歳。
徳川に嫁いでも子が出来る可能性など、ほぼありません。
ましてやプライドの高い徳川様が、秀吉から押し付けられた農民出の年増を抱くこともないでしょう。
わたしは諸大名の中で一番の強敵は、徳川様だとにらんでおりました。
何としてでも今、徳川様を屈服させておかねば、いつか大変な事になる気がしていたのです。
これもすべて、豊臣のため。
そのために旭には、捨て石になってもらいます。
同じ女性として長年連れ添った夫と引き離され、一人敵の城に入るのはつらいでしょう。
ですがそれを承知の上で、旭には徳川に行ってもらうしかありません。
それが豊臣の母となった、わたしの決断です。

もちろん旭がすんなりと、そのような無茶な話しに乗るわけがありません。
わたしは心を込め、旭を説得しました。旭と向かい合って座り、彼女の肩に手をかけ、こんこんと説得しました。旭の肩は震えておりました。
「あなたしかおりません。
徳川と豊臣の橋渡しができるのは、あなただけです。
そしてあなたがこうやって徳川と豊臣のご縁を結ぶかけはしになったことは、きっと歴史にも残るでしょう。
あなたは愛する夫の引き離された悲運な妻、として歴史に記されるでしょう」

わたしの言葉を聞いた旭は、目を輝かせました。

「本当に?!」

「ええ、きっと」
わたしは旭の目を見て、うなずきました。

実は旭は高慢で、目立ちたがり屋でした。
秀吉が出世すると共に兄にばかりスポットライトが浴びることが、妹の旭には、たいそう不満でした。
うっかり農民時代に早く結婚してしまったがために、兄の出世でいくらでも大名との婚姻もできたはずなのに、すでに人妻。
もっと遅く結婚していたらよかった、何度もそんな不満をもらしていました。しかも夫との仲はとっくに冷め、家庭内別居。
旭が震えていたのは、農民出身という自分の出自の低さにビビっていただけでした。それは四十四歳で新しい環境に入るのを恐れているだけで、嫌いな夫ともスムーズに離縁できるチャンスを得て喜んでいます。しかも世間的には、愛する夫と引き離された悲劇のヒロインとして注目を浴びるのです。旭にとって自慢に違いありません。
相手は豊臣と肩を並べながらも、家系ではサラブレッドの徳川様。
継室とはいえ、正室でそこに迎えられるのは農民出身の旭にはありえないほどの名誉です。
わたしはそこを、つっついたのです。

悲劇のヒロイン・・・・・・
女性でしたら、一度は憧れる設定ですよね?
愛を引き裂かれ、泣く泣く新しい夫のもとに嫁がされる。

これ以上ないドラマティックな舞台設定。

顔を上げた旭は、すでに勝ち誇ったような顔をしていました。農民出身の女の大下克上。それを女の身で果たすのです。

「いいわ、わたしが行ってあげるわ。兄上のためですもの」
「ええ、豊臣のためですわ」

わたしと旭はにっこり笑い、手を取り合いました。商談成立です。女はいつも自分に得な男を選ぶのでございます。

しばらくし旭は腐れ縁の夫と別れ、悲劇のヒロインになりきり、悲しげな顔で、徳川様に嫁いでいきました。
けれど内心は、せいせいしていたと思いますよ。
女はいつもどこかで、人生をリセットしたいと望んでいます。
わたしは旭に新しい扉を用意し、背中を押しただけです。
これで旭は徳川様の正室として、歴史に名を記す悲劇のヒロインになれたわけです。
よかったわね、旭。
わたしの義妹。

ところが旭との縁組を交わしても、徳川様の上洛はありませんでした。
これにはわたしも頭を抱えました。
どうしたらいいものか?そう悩んでいるわたしの元に、お母様がやってきました。お母様は部屋に入るや否や、人払いをしてわたしと二人きりになりました。厳しいお顔をされたまま、毅然とおっしゃいました。

「寧々、わたしが徳川に行こう。
大政所のわたしが人質で行けば、あの家康も秀吉に上洛するしかなかろう」

突然のお母様の宣言に驚き、口がきけませんでした。
お母様は心のどこかで、自分の再婚で秀吉を見捨てた、という負い目をずっと抱えていたのでしょう。
お母様のお顔には、何とか秀吉の役に立ちたい、という強い決意がありました。驚いた秀吉もお母様を止めましたが、頑としてお母様の決意は変わりません。
わたしは豊臣の真の母として、お母様である大政所の強さと覚悟を見せられました。
こうしてお母様は、旭を追うように徳川様のところに行かれたのです。

ですから今、わたしは独りぼっちです。わたしの胸の内を聞いてくれるものは、誰もおりません。
母、というものは孤独ですね。いくら女王のようにあがめられても、心の内をさらけ出せる人など誰もおりません。
女は三界に家なし、と言いますが、女は嫁だろうと、妻だろうと、母だろうと、みな孤独なのかもしれません。

強くありたい
もっと強くありたい
お母様のような、豊臣の真の母として。

わたしは自分で自分を強く抱きしめました。

茶々様のことで、心に嵐など吹かせるようでは、まだまだです。
わたしはもっともっと強くなり、嵐をも吹き飛ばすほどのハリケーンになります。

そう決心しました。

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