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レディー・ドラゴン セックスレスな妻たちへ

その声で、今すぐ私を抱いて~レディー・ドラゴン⑳~

「あっ」
と小さく声を出した璃宇は、大きく目を見開きその場でフリーズした。

自分の前に立っている男は、二重の瞳に高校時代の面影を残した啓介だった。白髪交じりの長めの髪、白のタートルセーターに黒いパンツ、その上から着古した黒の革ジャンに足元は黒のスニーカーだ。
女は一瞬で相手の姿を上から下までスキャンする。
それが昔好きだった男なら、なおさらだ。

高校時代よりがっちりした体つきに中年らしい脂肪はついていたが、彼は同窓会にいた男達よりワイルドだった。
がどことなく生活に疲れ、すさんだ感じがした。

今の彼は幸せでじゃないかもしれない、とふっ、と璃宇は感じる。
そして彼が自分の旧姓を呼ぶ声を聞いた瞬間、自分がこの男に会いたくてたまらなかったことに気づく。
「啓介?・・・・・」
小さな声で呟くと
「前原、久しぶりだな」
と男は照れ臭そうに笑った。その笑顔に高校時代と同じように胸がしめつけられた。
嬉しさがこみ上げたと同時に
「ここにいるなら、どうして同窓会に来なかったの?」
と素直な疑問を口にした。

彼は顔をしかめ
「いやなんだよ。人が多いの。会いたい奴だけに会いたい。
前原はこういうのちゃんと出席していそうだから、終わる頃を見計らって待ち伏せしてた」
とまっすぐ璃宇の顔を見て言った。
彼の言葉にドキッとしながら、女慣れしている不快感がザラリと心を撫でた。
「もし私が参加せず、見つけられなかったら、どうするつもりだったの?」
と強い口調で言い放った。

「そうしたら、とっとと誰にも見つからず帰ればいい」
一瞬下を向いた男は、顔を上げじっと璃宇を見た。
「でも俺はきっと前原を見つけられる」
彼の視線に射抜かれそうで、璃宇は目をそらす。
「何言ってるのよ。
あの頃より、私、ずいぶん太っておばさんになったのよ」
「それでも前原は前原のままだ。そんなに変わっていない」
嘘よ!と心の中で叫んだ璃宇は
「私を振って違う子に乗り換えたくせに。彼女も来ているんじゃないの?」
と話をすり替えた。

啓介はからかうような口調で
「お前、知らないのか?
あいつ、大学中にアメリカに留学し、向こうで結婚してずっとアメリカに住んでいるんだぞ」
と言った。
「ああ、そう言えば、そんな同級生もいる、て今日誰かが言ってたけどあの子のことだったのね。
知らなかったわ」
そう言ったが、本当は知っていた。

大すきな彼を奪ったライバルを忘れる女なんて、この世にいるだろうか?
高校卒業五年後、初めての同窓会で、彼女の話しは聞いた。
これで二度とその女と会わなくてもいい、と安心したことを覚えている。
皮肉を込め
「よく知ってるのね、彼女のこと」
と言うと、彼は顔をゆがめる。
「俺もその頃、アメリカにいたからな」
と言うので、驚いた。
「えっ、そうなの?あなた今、どうしているの?」

そう聞いた時、彼はごく自然に璃宇の手を取った。
「このまま立ち話もなんだから、どこか行こう」
握られた手はゴツゴツして、黒い革ジャンで覆われた彼の胸板と同じくらい分厚い。
長い間、夫とも手をつないだことのない璃宇は新鮮な驚きで、男の手を握り返す。
二人は手を繋いだまま繁華街の中を歩き、階段を降り地下にある彼の行きつけだ、という小さなバーに行った。
あめ色になった木の扉にサックスの絵が彫られ、「TAKE FIVE」と黒い字で書かれていた店だった。

その扉の前まで来て、啓介は璃宇に聞く。
「ここで、いいか?」その声は高校生の時にバスケットに夢中だった前途洋々の若者の声ではなく、挫折を経験し五十歳になった大人の男のものだった。
その頃よりハスキーで影のある声が、ため息のように璃宇の子宮を撫でる。
璃宇は一瞬目を閉じ、願った。
その声で、今すぐ私を抱いて。
その声で、私に深く甘い声を出させて。
子宮のうずきをそっけなさに包み
「いいわ」
とかすれた声で答える。
夜のとばりは始まったばかりだ。


ジャズの流れるカウンターだけのバーに客はいない。璃宇達が一番乗りだった。
啓介は黙ったまま、軽く左手を上げカウンターの一番奥に璃宇を座らせ、ウィスキーのロックをオーダーする。
「この店は、ウィスキーにこだわっているんだ」
と啓介が言うので、璃宇もウィスキーのソーダ割り、つまりハイボールを頼んだ。
しばらくすると四十代くらいの黒いベストを着た礼儀正しい無口なバーテンダーが二人の前にグラスを置く。
二人はグラスをあわせ乾杯をすると、璃宇は一口ハイボールを飲んだ。
まろやかなウィスキーとシュワシュワとした泡が気持ちよく喉を滑り落ちる。思わず
「美味しい!」
と璃宇が叫ぶと啓介は嬉しそうにニッ、と笑った。その笑顔に勇気を得て、璃宇は男に聞く
「ところでさっきの話の続き・・・・・啓介は今何をしているの?」
「前原は?」
彼は質問を質問で返す。
「私は結婚して子供は二人。
長女は仕事で、下の息子は大学生で家から出て行ったわ。もう家には戻ってこないと思う。
夫はリストラされ、これから自宅を改装して自分でカフェをするらしいの。勝手に一人でどんどん話を進めていってる。
私は専業主婦からはフラワーアレンジメントの講師になって、自宅で教室をしている。
そして子供を産むたびに太って、ダイエットもなかなかうまくいかない。
以上!」
改めて話すと、何の面白みもない人生だ、と思い、ハイボールを口にする。
そして彼に話を促すよう、左横の啓介に体をねじる。
彼は両手でグラスを包み、カウンターに目線を向けた。
「俺は大学中に怪我をしてバスケットボールを辞めた。
それからしばらく人生に何の目標も見いだせなかった。
大学も中退し、日本に居たくなくてアメリカに渡った。
英語も何もわからなかったけど、とりあえずレストランの下働きをしていた。
その時、あいつもアメリカに留学してきた」
あ、あの彼女のことだ、と璃宇は思った。
「実は俺たち、あの頃一緒に住んでいたんだ。
親にも了承を得て、ほぼ結婚することになっていた。
でも、あいつは他にすきな男ができて俺と別れた。
金融の仕事をしていて、金を持っているアメリカ人だ。
俺には何もない、と思い知らされ、落ち込んだ。
それから日本に帰って、携帯電話の仕事を始めた。
ちょうど携帯電話の出始めで、びっくりするほど簡単に売れ、どんどん金が入ってきて儲かった。
だからいっぱい酒も飲んで女も抱いて、金も使った。
だがバブルは終わり、俺も弾けた。
その時、俺はやっぱりバスケットボールがすきだ、と気づいた。
バスケットに携わる仕事がしたくて色々探して、今はスポーツ雑誌のライターをしながら近所の小学校や中学校のバスケの部活を教えに行ってる。ま、これはほとんどボランティアだけどね」
全部告白し終え楽になったのか、男は氷を鳴らし、ウィスキーのロックを美味そうに飲む。

璃宇は一番聞きたかったことを尋ねる。
「結婚は?」
「三十五でしたよ。嫁さんは学校の先生をしているしっかり者だ。
俺が趣味のような仕事をしているから、嫁さんが家の大黒柱だ。
高校生になった息子が一人いる。
今、反抗期の真っ最中だけどな」
「そう・・・・・・幸せなのね」
落ち着いた家庭を手にした啓介がうれしいような、さみしいような気持で璃宇は言った。
「幸せ?幸せって何だろう?
嫁さんはしっかりした奥さんで、いい妻で息子にもいいお母さんだ」
啓介はそう言いと、お酒を飲んだ。
なんだ、幸せなんじゃない、と璃宇は肩すかしにあったようなさみしさを感じた。
啓介はどこか遠くを見るような目で、言葉を続ける。
「でも、俺達夫婦はずっと別々の部屋で寝ている。
特に何があったわけでもない。
仲が悪いわけでもない。
でも俺はあいつに触れられないし、あいつも俺に触れてこない。
特に喧嘩をすることもなく、家族としてはいいんだろう。
でもこのまま俺は男として終わるのか、と思うとむなしくなる。
何のために、男を生きているのかわからなくなる。
だが我慢できず時々、風俗にいくこともあった。浮気もしたこともある。でもそれもむなしい。
いっそ男を卒業した方がいいのか、と悩んだこともあった。
だけど俺は、初めて自分が男になった時の感動と衝撃を覚えている」
そう言うと、啓介はじっと璃宇を見た。
璃宇も啓介を見つめる。
二人の視線がほの暗い店の中で交差する。


璃宇の初体験の相手は、啓介で啓介の初体験の相手は、璃宇だった。
あの時、初めての二人はどうしたらいいのかわからず、手探りでお互いの身体を探り合い、無事作業を終えた。
それは璃宇にとって、可愛いリボンを結び心の奥にしまい込んだ思い出だった。
啓介の話を聞いた時、リボンの結び目はスルスルほどけ、時を超え甘ずっぱい体験が息を吹き返した。
璃宇はいつのまにか十六歳の自分に戻っていた。
両親が法事で家を留守にした日曜日だった。
自分の部屋のベッドに裸の自分と、啓介がいた。
裸を見られるのは、死ぬほど恥ずかしかった。でもすきな啓介の腕に抱かれていたのは夢のようだった。
最初は笑いながら、そしてだんだん真面目な顔で啓介が自分の中に入ろうと試みる。
璃宇は痛くて、痛くて何度も腰を引いた。
ついに啓介がガシッと璃宇の両肩を抑え、強引に進んだ。
体がさけるか、と思うくらいの強く激しい痛みに璃宇は耐えた。
それが啓介と一つになった歓びの瞬間だった。
啓介が璃宇の中から抜け出て、ティッシュを取る前にシーツを汚したから、二人で焦って水で濡らしたタオルで拭いて笑った。
一気にその思いが噴き出した。
璃宇も啓介も黙って、遠い昔の思い出に心をはせた。

懐かしさに背中を押され、璃宇は啓介の右手に自分の手を重ねた。
バーに入った時、こっそり結婚指輪を外し、ジャケットのポケットに入れていた。
女の本能と直感だ。
そして本能は璃宇にもっと女を使うよう勧める。
璃宇は首を少しかしげ、上目遣いで彼の顔を見上げる。
男は愛おしそうに璃宇を見つめる。それは女が男に媚び甘える本能が働いた仕草だ。

「私も同じ。夫とは長い間レスよ。
夫はただの同居人だし、向こうも私をただの同居人だと思ってる。
だけど私もこのまま女を終えたくないの」
璃宇は左手を重ねたまま右手でグラスを持ち、ハイボールを飲む。
そしてお酒の勢いを借りて言った。
「私、まだセックスで快感を得たことがないの。このまま、終わりたくない」
告白し終え、言ってしまった、ついに自分から言った・・・
それって、私から誘ってる?そんなに安っぽく自分を売っていいの?
と、璃宇は一瞬脳内でパニックになった。

けれど璃宇の本能は冷静に物申した。
「そんなかけひきをするほど、私達に時間は残されていない。
欲しいものが、欲しい。
私は彼を自分の中に入れたい」
その時、店名と同じ「テイクファイブ」の音楽が流れた。
「立ち止まって私とちょっと休まない?五分だけいかが?」
切なく甘いボーカルが二人に囁いた。


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