「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第十一話 神様が用意した束の間のドルチェヴィータ
神様が用意した束の間のドルチェヴィータ
あれ以来、私と家定様の距離は縮まっていった。
家定様は少しずつ、私に笑顔を見せてくれるようになった。
阿呆を装った家定様は実はスィーツ男子で、趣味はお菓子作りだった。
ある日、自分専用のキッチンに私を呼んでくれた。ドキドキして行った私の目の前にホカホカ湯気の立つ、黄色くて四角いものが出された。甘くていい匂いがキッチンの中に漂っていた。生まれて初めて見たお菓子に私は目も鼻も奪われた。
「さぁ、御台食べてごらん」
家定様は自信があるのか得意げに胸を張って、そのお菓子に掌を向けた。早く口に入れたくてたまらないのに、私は嬉しくて胸がいっぱいでなかなか手が出せなかった。
「これはな、かすていら、という南蛮渡来のお菓子だ」
そう家定様が教えてくれ、ようやく口に含んだ。ふわふわした甘い卵がたっぷりの生地は夢のようなお菓子だった。
「何これ?すっごく美味しんですけど!!」
思わず出来立てホカホカのあたたかいかすていらを口にし、本音で叫んだ。
高価な砂糖が惜しげもなく使われていたのはさすがだった。
「そうか、私の作ったかすていらは美味しいか」
家定様は誇らしそうだった。
「はい、これまで食べたどのお菓子よりも美味しいです。
しかも、このように上様の手作りで出来立てを食べられるなんて、最高です!!」
そう言いながらあまりの美味しさに食べる手を止められなかった。
そんな私を見て家定様はうれしそうに言った。
「政治をすべて阿部に任せてやることがないので、お菓子作りをしてみた。
自分が作りたいと思った菓子は方法さえわかれば、ちゃんとしたものができる。政治はそのようにはいかない。
いろんな陰謀や策略が交わり、例え将軍であっても思った通りのことができない。しかし、菓子はちがう。
自分がこれを作りたい、と思いそのように動ければ、望んだ通りのものが出来上がる。だから、楽しい。
御台は、薩摩から来たから芋もすきであろう?」
「はい!それはもう!!女子で芋のきらいなものはいないと思います。
芋でもお菓子はできるのですか?」
「もちろんだとも。なら、今度は御台に芋を使った菓子も作ってやろう。
私の芋菓子は、かすていらと同じくらい美味いぞ」
私はうれしくてうれしくて、家定様を見つめると顔が蜜のようにトロトロ緩みニコニコしていた。
「どうした?」
「いえ、・・・・・・私、今幸せだなぁ、と思いました。
嫁ぐまではどのような生活が待っているのか、まったく予想もつきませんでした。
もともと結婚とは、家と家との結びつきの為、義父から命じられたお役目を果たすものだけだと思っていました。
まさか、このような心温まる幸せな時間が待っているとは思いもしませんでした」
「そうか・・・
私はもしあのまま歌橋の元で育っていたなら、菓子を作るお役目になりたかった。
江戸城では毎年旧暦六月十六日に十六個の菓子か餅を食べ、厄払いするという嘉祥という習わしがある。
私はその時にいつも、菓子を作る方になりたい、と望んでいた。
時には私が作った方が美味しいのではないか、と思った時もあった。
私は菓子を作って、人に食べてもらうのがすきだ。
自分が作ったものを食べ、喜んでもらうのがすきだ」
これまでも家定様は、ひそかにいろんな人に菓子を作って食べさせていたようだった。
「が、御台のように大口開け、美味しそうに食べたものは、誰もいなかったぞ」
おもしろそうに家定様が言った。
「まぁ!そんなに大口開けていましたか?」
私達は一緒に声をあげて、笑った。
その時家定様は、私の唇の端についていたかすていらのカケラを指でそっとぬぐってくれた。かすかな触れ合いだった。
それでも家定様から触れてもらったことが、ただただうれしかった。
そうやって私と家定様は距離は近づいていたが、幾島はジレジレしていた。
「御台様、家定様と仲良くなられておられるので、ぜひ斉彬様の命を全うし、一橋慶喜様を次の将軍にご指名してもらえるようお願いして下さいませ」
うるさいほど何度もせっかれた。
幾島は役目に忠実だ。
その役目を叶える事こそ、自分の存在意義だと思っている。
だが私は夫である家定様の意志を尊重したかった。
だから、ある日家定様に問うてみた。
「上様、一つだけご質問をよろしいですか?」
「何じゃ」
「上様が、時期将軍に選ばれる紀州の徳川慶福様と、島津の義父が推す一橋慶喜様と何が違うのでしょうか?
私も嫁ぐ前に一橋慶喜様のことを聞きましたが、も一つ慶喜様の人となりがわかりませんでした。
上様が慶喜様を選ばず、慶福様を選ぶ理由をお聞きしたく存じます」
「うむ、私は徳川などつぶれても構わない、と思った。そうであろう?
徳川を継承する道具として、私は使われたわけだから。
今、日本は開国を迫られている。
二百五十年もの長い間、外国との交流を閉ざしてきたこの国は、大きな決断を迫られている。
御台とこうやって心を交わす前までは、徳川などどうなっても知るもんか、と思っていた。
が、御台は言った。
生まれた場所でできない何か大きなお役目があり、ここに運ばれてきたのだ、と。
だったら、私が家定様になった意味は何であろう、と考えてみた。
これからこの国は変わっていくだろう。
だがあまりに急進的に変わるのはむつかしい。
もし慶喜が将軍になれば、これまでの成り立ちを一気に変えようと動き始めるだろう。
まだそこまで準備は整っておらぬ。
一気に変えようとすると摩擦が起こり、国内での戦は避けられない。
が、そうやって国内で内輪もめをしている間に、外国から攻められてきたらどうする?ひとたまりもなくこの国は負けるだろう。
だから今はまだ慶喜の出番ではないのだ。
若いけれど、慶福なのじゃ。
彼は若いが思慮深く、人柄もいい。将軍としての器もある。だから、わたしは彼を推すのだ」
私は本当に恐れ入って、心の中で舌を巻いた。
家定様は愚鈍でもなんでもなく、歌橋が言った通り利発だった。
だがその利発さを表に出すと命を狙われるので、わざと愚鈍なフリをしていた。それが今よくわかった。
「上様、上様のお考え、よくわかりました。私は妻として、上様の考えに従うのみです。上様こそまさに家定様です
この国の長たる立場をよくよくご存じです。
どうしてあなた様が龍に選ばれたのか、よくわかりました。
あなた様しかできないことです。
私はすべて上様のご意思に従います」
私は布団の上で手をつき、深々と頭を下げた。
「御台」
「なんでございましょう」
「約束してくれぬか」
「?」
「もし私がこの世を去り、今度菓子職人として生まれ変わっても、私の妻でいることを。
私の作った菓子を食べ、笑っていることを。いつまでもずっと私のそばにいることを」
家定様の目は真剣だった。
「約束いたします。私は上様の妻です。けれど上様だから妻になったのではありません。
たまたまあなたがそこにいたのです。
今度生まれ変わっても、美味しいお菓子を作って私に食べさせて下さい。
いつでも大口を開け、上様の作ったお菓子を食べます。
でも今はまだ上様とこうやって一緒にいたいです。
このままずっと上様のおそばにいたいです。だから、まだ来世のことは考えたくありません。私のそばにいて下さい。同じ時を過ごして下さい」
自分の気持ちが抑えきれず、家定様にすがりついた。そうでもしなければ家定様はどこかに行ってしまいそうだった。
家定様はゆっくり私を抱きしめ、やさしく布団に倒した。
「ありがとう。その言葉だけで、私はこれまで生きていてよかった、と思えた」
そう言って私の唇を塞いだ。
この日、私達は初めて結ばれた。
それは最初で最後の、神様が用意した束の間のドルチェヴィータだった。
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運命を開き、天命を叶えるガイドブック
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