リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第二十六話 人はまちがいを犯す生き物
人はまちがいを犯す生き物
秀吉はわたしを残し、この世を去ってしまいました。
わたしの心も体も、しばらくその事実を受け入れられませんでした。
目が覚めると、彼が毎朝飲むお茶を用意しなくては、と立ち上がり、ああ、秀吉はもういなかった、とへなへなとその場に座り込み呆然とするのでした。
この時、初めて茶々様が鶴丸様を亡くした気持ちがよくわかりました。
あの方も同じような喪失感を持ち、奈落の底に落ちたのでしょう。だからこそ秀頼様を産み出したのだ、と思いました。
茶々様は新しくお子を産むことで、喪失感を埋めることができました。
けれど秀吉に抱かれることも、子を産むことも許されず生きてきたわたしには、何が残されたのでしょう?
たくさんの子ども達を育てたのに、わたしの近くには誰もいません。一人ぼっちでこの悲しみに向き合わねばならないのです。
心も体も風が吹きすさび、まっ裸で立ちすくむ気持の中、まつさんの娘で養女になり宇喜多秀家に嫁いだ豪が、転がるように部屋に入ってきました。彼女は「お母さま!」と叫びながら、わたしに駆け寄り手を取りました。同じ悲しみを共有できるものがいたことがありがたく、わたしは豪と抱き合って泣きました。
二歳でわたしと秀吉の娘になった豪。
秀吉とわたしの親友の前田夫妻の娘。
豪は秀吉が寵愛し、わたしと大切に育てた愛娘でした。その娘が涙がたまった大きな瞳で、わたしをのぞきこみました。
「お母様、大丈夫ですか?」
豪の「大丈夫ですか?」という言葉は、わたしの身を案じてくれたのと、茶々様と秀頼様達との関係について案じていたことも指しています。
「ええ、わたしは大丈夫よ」
豪を心配させたくなくて、無理に笑顔を作って言いました。それからしばらく豪は城に留まり、わたしと一緒に寝起きを共にしてくれました。おかげでわたしはじょじょに、秀吉の死を受け入れる事ができました。豪はまだまだ城にいたかったようですが、わたしは豪に自分の城に戻るよう伝えました。彼女は後ろ髪をひかれるように、何度も手を振るわたしを見ながら自分の場所に戻って行きました。
わたしは気持ちを立て直しました。秀吉に頼まれていたことがあったのです。
秀吉は体調を崩し寝込んだ時から、何度もわたしの手を取り言いました。
「寧々、秀頼を頼む。
わしが死んだら、茶々と秀頼を大阪城に移してやってくれ。
大阪城は、豊臣の居城じゃ。
寧々も一緒に大阪城に行ってほしい。
そして、秀頼が成人するまで茶々と秀頼を助けてほしい。
寧々にしか言えん。
頼む、頼むぞ寧々・・・」
一回りも体がしぼみ弱弱しくなった秀吉は、寝たままわたしに手を合わせました。
「お前様、何も心配しなくても大丈夫です。
わたしができるだけ、茶々様と秀頼様をお助けします。
一緒に大阪城に行き秀頼様を立派な豊臣の跡継ぎとして、茶々様とお育て致します」
わたしがそう言うと、秀吉は心底ホッと安心した顔になりました。
秀吉にしたらわたしが秀頼様の後見人になることで、自分亡き後のわたしの地位の保全も確保したと思ったのでしょう。
けれどわたしはそんなこと、どうでもよかったです。
ただ秀吉に心配をかけたくないという思いと、二人で築いた豊臣を秀吉一代で終わらせたくない、という気持ちで一杯でした。
わたしは亡き秀吉の遺志を継ぐため、大阪城に入りました。豊臣の為、茶々様と一緒に秀頼様をバックアップすることにしたのです。
それが、秀吉の願いだったからです。気が進みませんでしたが、秀吉との約束を叶えることにしました。
少し間を置き、茶々様と秀頼様も大阪城に入城しました。
秀頼様の教育に対して、わたしと茶々様の意見はあまり違わず後の関白に向け、わたし達は秀頼様に帝王教育を学ばせました。目的が一致したからでしょうか、思いのほかわたし達はなごやかな関係を続けることができました。
それを見届け、わたしは翌年大阪城を辞しました。
これ以上、わたしという姑がいない方が茶々様も秀頼様も楽になることと、家来達への司令塔を一つに定めた方がいいと思ったからです。
そして昔から仕えているわずかな者たちと、京都新城へと移りました。
そこから大阪城を見守っていました。
すると翌年、石田三成と徳川様が争う関ヶ原の戦いが起こりました。
徳川様が豊臣からの分裂と独立、豊臣に代わり天下を治める、という意思を秘めたのろしを上げたのです。
わたしは早速徳川様に会いにまいりました。
わたしは亡くなった秀吉ともう一つ、約束を交わしていました。
「あと寧々、徳川殿の孫娘の千姫と秀頼の婚儀を必ず見届けてくれ。
徳川殿は敵に回すと恐い方じゃ。
わしが亡くなった後、豊臣の存在を脅かすじゃろう。
だから、ぜひこの婚儀をまとめてくれ・・・・・・」
わたしは一生懸命、徳川様に説きました。
「せっかく一つにまとまったこの国をまた分断して、誰が喜びましょうか。
民の幸せのために、豊臣と徳川が一つになることが平和の礎となります。
つきましては、かねてより婚約しておりました徳川様の嫡男の秀忠様とわたしの養女でもある江様の娘、千姫様を秀頼様の婚儀を早めていただきますようにお願いいたします。
江様は茶々様の妹。
千姫様と秀頼様は、いとこ同志です。
お二人が婚姻を結ぶことで、豊臣と徳川の絆は一つになります。
天下も落ち着きます」
徳川様は神妙な面持ちで、静かにわたしの話を聞いていました。すべて話し終えると、わたしの顔をじっと見ました。
「北政所様は、それでよろしいのですか?あなた様の立場は、どうなるのですか?」
「わたしの立場など、どうでもいいのです。
わたしは秀吉が残した豊臣をただ、守りたいだけです」
徳川様の目がきらり、と光ったような気がしました。
「本当に、それだけですか?」
「ええ、嘘偽りなく本当にそれだけです」
その時は、本当にそう思ったのです。それが自分の気持ちのすべてだと信じました。けれど今思うと、徳川様は何もかもすべて知っておられた気がします。
徳川様は、たくさんの間者がおりました。
その間者の一人が、長い間わたしの侍女などしておりましたら、いくら口を塞いでいても、わたしと秀吉の関係はご存知でしたでしょう。
けれどこの時のわたしは、そのようなことは露とも知りませんでした。
徳川様はどうしてそんな念押しをするのだろう?と不思議に思ったのです。
秀吉が亡くなった五年後、千姫様と秀頼様の婚儀を見届け、わたしは落飾しました。
秀頼を弔うため、高台寺を建てました。
それにちなみわたしは、高台院という名になりました。
しばらくして高台寺に、茶々様が訪ねてこられました。
「高台院様、わたくしも高台院様のように秀吉様の菩提を弔うため、落飾したほうがよろしいでしょうか?」
わたしは目を閉じて、静かに心の声を聴きました。
その声を受け取った時目を開き、茶々様に言いました。
「淀様、豊臣は秀頼様にかかっています。が、秀頼様はまだあまりにも幼い。
秀頼様をサポートできるのは、母であるあなたしかいません。
あなたまで落飾してしまったら、秀頼様はどうなるでしょう。
どうぞ、淀様はそのままのお姿で秀頼様をしっかりサポートして下さいませ」
わたしは頭を下げました。
わたしの心の声は、茶々様の本心にそのような考えはない、と言っていました、
「そうですよね。
わたくしが、しっかりしないといけませんよね。
どうぞ、高台院様今後共、わたくし達親子にお力をお貸しください」
茶々様はそう言って、わたしに頭を下げました。
「秀頼様は、秀吉のお子ですからわたくしのお子でもあります。
ねぇ、淀様、あなたはわたしのことを、子どもを産んだ女ではないから何もわからない、と思っていますよね?」
茶々様は、痛い所を衝かれた、という顔をされました。
図星だったのでしょう。
わたしはずっと茶々様が、わたしのことをそう見下していたを知っていました。
「たしかにわたしは子が産めませんでした。産めるわけなど、なかったのです。
でも、鶴丸様も秀頼様も、わたしにとっては本当に愛おしい存在です。
何より、あのお子たちが産まれてからの秀吉の喜びようと幸せな姿を見ているだけで、わたしは幸せでしたよ」
「ならば、ならば、なぜ・・・・・
なぜ秀頼が生まれた時に、この子が豊臣に災いをもたらす、と言われたのですか?
わたしはこの言葉がずっと胸に突き刺さっています」
茶々様はこのことが一番、わたしに聞きたかったのでしょう。食い入るような顔でわたしを問い詰めます。
「あの時、秀吉は秀次様に一度関白を譲ったのです。
けれど秀頼様が生まれた事で、我が子に関白を譲りたい、と願うのは親として当然でしょう。
が秀次様も養子とは言え、秀吉の息子であり、秀吉の甥でした。
身内で血で血を洗うことが、目に見えていました。
秀次様だけでなく、一族郎党をすべて殺してしまった責めは、この豊臣が一生背負っていかねばならないでしょう。
どこかで、その責めを受ける時がくるやもしれません。
わたしはそれを一番恐れ、あの時そう言ってしまったのです」
「秀吉様のやったことが、秀頼に災いとなってくる、と言うことですか?
秀頼は何もしていないのに、おかしいではありませんか!!」
「哀しい事ですが秀吉が、秀頼様可愛さのために、やってしまったことです。
秀頼様は生まれてくる時に、こうなることを十分わかっていた上で、淀様のところにやってきたのでしょう。とても勇気あるお子なのです」
「秀頼が豊臣のために、すべての災いをかぶる、と言うのですか?」
「それが、上に立つものの宿命です。
秀吉とてどれだけの血を流し、殺戮を繰り返し、天下を取ったことか。
その責めを受け、幼い秀頼様を残し先に旅立つことになったのです」
「私が秀頼を守ります!あの子に災いなど、寄せ付けません!」
わたしは茶々様の目を見ながら、静かに告げました。
「淀様、秀頼様をお守りできるのはあなたしかいません。
でも、一つだけ気をつけて下さいね。
秀吉は秀頼様への愛が強すぎ、身内を殺すという間違った方法を取りました。
愛が強すぎると、人はまちがった道を進みやすくなります。
愛しすぎると、人は罪を犯しやすくなります。
わたしも、その一人なのです。
どうぞ、それだけを心にお留め下さい」
茶々様は黙ったままわたしに頭を下げ、その場を去って行かれました。
愛が強すぎると、人はまちがった道を進みやすくなる。
愛しすぎると、人は罪を犯しやすくなる。
茶々様にこの言葉の本当の意味が、わかったでしょうか?
わたしは認めたのです。
高台寺で秀吉を弔いながら、わかったのです。
人はまちがいを犯す生き物です。
そしてわたしも自分の犯したまちがいに気づいたのです。
わたしが犯したまちがい、それは・・・・・・
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