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よくばりすぎると、こんなふうに

そうだ、今日はりんごのケーキを作ろう。

窓越しにくぐもる雨音に包まれた薄暗い部屋の中、この頃やっとなんとか結べる長さになった髪を無造作にうしろにたばねながら、そう思った。

なんてったって、今日は1日ずっと、母が家にいないのだ。
つまり、台所でおかしをつくるのに絶好の日。

「母がいない時こそ作ることができて、そして私が好きで、そしていまたべたいもの」を考える。
母がいないときこそ作れるものというのは、オーヴンを使ってつくるお菓子、ということ。


オーヴンを占領すると、そのあいだ電子レンジで料理ができず、母が不機嫌になってしまう。
だからなるべく、母がいないときにお菓子を作りたいのだった。


いくつかのお菓子を頭に思いうかべる中で、数日前にネットでふと見かけて気になっていたりんごのお菓子のレシピが頭によぎった。

そのサイトによるとそのお菓子は『生地よりもりんごが多』く、『小腹のおやつにぴったり』で、写真ではうす切りにしたりんごがとにかくザクザクと入っており、どうやらわずかな生地がつなぎとなってかろうじてケーキの形を保っているようだった。

私はこういう、「生地より具材たっぷり」のお菓子に目がない。ドライフルーツたっぷりのパン、とか、ナッツたっぷりのケーキ、とか。

用意すればいいのはりんご、こむぎ粉、たまご、牛乳、オリーブオイル。これだけ。そう、楽勝。よし、きめた。


いってきまーす!と元気よい声がきこえ、母が家を出ていったことを確認し、そっと廊下に出る。

廊下はひんやりとつめたい空気につつまれ、そこにかすかな林檎のいい匂いがとけている。
玄関にある、いただきもののりんごのダンボールの箱をひらき、中からお菓子につかってもよさそうなりんごをふたつ、手にとった。

りんごは皮付きのまま使うから、水でよく洗わなくてはならない。
冬の水道水のみずというのは、びっくりするほどつめたい。おもわず身ぶるいしながらも水の中で林檎の皮をていねいに指でこすり洗った。

つぎは、りんごをくし切りに。そしてそれをさらに、うすぎりにしていく。
りんごに包丁を入れてふたつにすると、はちみつみたいな、きいろく透き通る蜜がたっぷりと中心にはいっており、いかにもおいしそうだった。

お菓子にするにはもったいなかったかしら。

そうおもいながら、ちいさなりんごの一切れをシャクッとかじると、じゅわっと華やかな甘さが口じゅうにあふれた。

ああ、やっぱり、そのままでもすごいおいしい。切った端から、どんどん味見してしまう。


その後もたっぷりのりんごを黙々と切り、ぼんやりと物思いに耽っていた。

表面の皮の色でりんごは赤だけれど、切ってみるとその表面をおおう皮はすごく薄くて、ほとんどを占めている中身の色は白だ。
でも、りんごの中の色をりんごの色とする人はいない。

どのりんごもほとんど身を占める色は白なのに、普段はその表面を見て、りんごは赤や緑だと私たちはいう。
人も、そうなのだろうか。中身はほとんど同じ色をしながらも、林檎の薄い皮のようなほんの小さな違いで、外から見ると、全然違って見えるということが。

私は、何色の皮のりんごなんだろう。

サク、サク、と切る度にさわやかな芳香を放つりんごを見つめながら、そんなことを思った。

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たっぷりのりんごをやっと切り終えると、つぎに生地をつくるため、たまごに牛乳、こむぎ粉、オリーブオイルをまぜあわせた。


牛乳は倍量入れてしまったので、その分こむぎ粉を少し多めに入れた(分量は違えど、同じ材料なのだから、そんなに味は変わらないだろう精神)。


生地にりんごを絡めながら、好きなアニメの音楽を熱唱することにした。これも、ひとりでないとできないことのひとつだ。
とはいえ、あまりアニメを見ることはないので歌えるレパートリーはかなり少ない。



ターイムゴーズバーイ、


ときのーなーがーれはーー、


ふたりーをかーえてー、ゆくーけれどー


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(こまかく砕いた胡桃もまぜこんだ)


同じ曲がリピート3回目に突入したその時、玄関の鍵をガチャガチャとあける音に、おもわず身をかたくした。
母が帰ってきてしまったのだ。
あれ、きょうは遠くで用事じゃなかったの。

は~あ、つかれた~と言いながら階段をのぼってくる母に、かろうじて狼狽していることを悟られないようにしながら、そうおもわずたずねた。

「なにいってるの。午後にまた出かけるけど、昼には帰ってくるっていったでしょう。
あーあ、また何かこそこそ作ってるの」

あきれた声でそういわれてしまい、閉口した。

まあ、ここまできたらもう生地を焼くだけだからいいんだけどさ。そう思いながら、せめてさっきの熱唱を聞かれていないことを祈った。





生地を型に流し込むと、よくばってりんごを入れすぎたからか、型は想像以上にギチギチになってしまった。

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(ほんと、ぎっちぎち…)

それを予熱したオーヴンに入れ、待つこと20分。

キッチンには、りんごの焼けるいい匂いが立ちこめている。
オーブンから漂う焼き菓子の香りは、もうそれだけでお菓子作りをしたくなる理由と言えてしまうくらいに、とても素敵だ。

あまくこうばしい生地の香りと、そこにまざりあう、りんごの甘酸っぱい豊かな香り。


お菓子の焼きあがりをしらせるメロディがキッチンに高らかに響き、どぎまぎしながらオーブンを開くと、こんがりと林檎のやけるケーキの表面が顔を出し、ときめいた。


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うーむ、これはおいしいにちがいない!
そう確信し、皿に型をひっくり返すと、そこにはこんがり焼けた黄金色の美しいケーキが登場し、私は感嘆の涙を流したー




ーーと書きたいところだが、ところがどっこい、そうはうまくいかなかった。

そう、なにもいつもうまくいったときだけnoteに書くわけじゃない。


というのも、皿を型にかぶせ、そっとひっくり返し、型を外した次の瞬間だった。
生地が型の下にながれ落ちてうまく絡まらなかったのであろう、つみ重なっていただけのうすぎりりんごがもろもろと崩れた。

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嗚呼~~


型に戻そうとしたが、もうだめだった。生地のからまっていないりんごをいくら焼いても、何も変わらない。逆に、下の方には生地だけがたまって、かたいプリンのようになっている。

つまり、生地とりんごは分離してしまった。

原因は、私がいれすぎた牛乳だろう。
生地が液体状になりすぎてしまい、生地にうまく絡み合わなかったのだ。しかも、よくばってりんごを1.5倍もいれてしまったので、余計まとまりずらかったにちがいない。

かなしい気持ちになりながらそのプリンのような生地をつまんで食べると、でもすごくおいしかった。
もちっとした食感は、分厚いクレープ、もしくなクラフティをおもわせた。
こんがりと焼きめのついたりんごも、焼きりんごそのものでおいしい。

あーあ。牛乳をまちがえなければなあ、

そう思いながらブラックのコーヒーをひさしぶりに淹れ、そのりんごのお菓子をなんとか一切れ、大きくきりとって、形をなんとかととのえながら、皿の上にそっとのせた。

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まあこんな日もありますかねぇ。

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ほぼ焼きりんご。まぜこんだ胡桃のカケラがコリコリとアクセントになっていておいしい。



ああ、このノートを書いていたら、すっかり夜になってしまった。

noteを書くと、いつも歯止めがきかない。
いつも書きたくたまらなくなって書き始めるのだが、終わる頃には少しうんざりしている。

ちょうどバイキングで、心地よい満足の範疇を越えて食べすぎた疲労と後悔みたいな。


こんな長い文章、誰が読むんだろう。まずそう思い、がっくりとくる。
時間も何時間もたっている。noteを書くのにそんなに時間をかけていいものだろうか。
これを書いた時間に意味はあったかな。


そんなことをおもって、どっと疲れる。
多分note、あまり得意ではないのだとおもう。いや、好きなんだけど得意じゃない。でもまたきっと書いてしまう。たぶん。

次は気持ちよく食べきれるだけ書けたらいいなーごめんなさい、ひとりごとです。


ここまで読んでくれて、ありがとう。
ここにかくとことで、自分が感じたものもの、なにげない自分のことを、ちゃんと聞いてもらえたような気がします。

お互い、いい夢をみれますように。






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