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マッシモ宮②:ローマで傑作たちに出会う

ローマのテルミエ駅すぐのマッシモ宮で
心を動かされたものたちを描いています。
第二弾

他の美術館と比べて素晴らしかったのは
人物の彫像たち その存在感 個性
魂みたいなものを感じる強さ!

今回はそれらの個性的な 人々(の彫像)
を載せます。
そして それを後年の有名作品と比べて感じたことを
散らかしながら かいてみます。
(すみません ケータイでしか今書けないので読みにくいです)


マッシモ宮の
像は十人十色の個性が
作り物なのにくっきりと見て取れる。

人物の深さも
幅広さも
シャープさも

賑やかさや強さや
繊細さも

そんなところまで トレースしてしまう技術
これが2000年前に 存在したことに驚く作品たち。


写真でどこまで伝わるのか分かりませんが
ものすごい存在感!

高潔

美も色々で

こちらは派手やかかつ
繊細な美しさ!
布の細かな部分も足も全て美しい!
大人の個性 子供の個性 それが立体作品で その雰囲気や個性全て完全に浮き出てくるこの感じ!
この女性の美しさは
子育ても知ってる
そういう分厚い 個性をも含む美しさ
が感じられる。



人物像の種類も色々
美だけがテーマではなくて
人生や 色々な生き方へのリスペクトも感じられる。

首も頬も 全てが「うまい」ではなくて その個性
存在感でありパワーを その場に存在させている。
艶かしい 美女
体の美しさ
半端ない
その存在感が
本物すぎて
この景色見た時
え?!めっちゃ美人は 突然美術館に寝てる?!
って思う。
同じ布やら足やらでも
始めの 美しき 女性とはまた全く違う空気感を纏う。
こちらも素晴らしい 服と
人物の再現
なんとなく 偉くて 高貴な人って感じが漂う



千差万別な 人物像が
どれも
現実的に
個性を映す


静か目な感じの人も
ただ静かなだけじゃない 人物像が滲み出てる
賢く
優しそう
思慮深そう
包容力 安定感 
幅広いことに視野を向け
そして野太い力を持って実行しそう
静かで
繊細で
そういうふうに物事深く見ていそう
この布の質感
もう白黒にしたら
本物にしか見えない、、、、、、
本当に十人十色
でもどれも
深い個性
パッションがかんじられる。

どうやったら
そんなふうに物作れるのか?!

その技術に感嘆!!!


ここで感動しまくった時
私は立体作品が好きなのかなあと思った。

でも この日に午後
某有名な美術館に行き(マッシモ宮よりはるかに高い知名度)
ルネッサンス期の マッシモ宮と同系統の でも新しい 数々の同系統の ちょうそうを見た。

豪華な部屋に所狭しと並べられるそれら。
その正気のなさ
入れ物は 綺麗に整えられているけど
何か 魂が入り切っていない。
強さが足りなさに逆に驚いた!
そういえばルネッサンス自体がローマ時代への回帰で トレースなのだ!
日本の某チェーンイタリアンレストランが 本物のコピーを壁に書いてたのをふと思い出してしまった。

そうして 後年の有名作と比べた時
マッシモ宮の古代ローマの作品たちの
その魂の強さがどれくらい強いのか
逆説的に実感することとなって驚くことに!


そこには 私の好みというレベルを超えた
明らかな作品に宿る魂というか生きる強さというか
そういうの強さの歴然たる差が感じられた。


技術というのは 進化していくものだと信じていたから。
まさか そこに感じられる 魂を映す力みたいなものが 新しいものに弱いなんて!!!!
想定外の体験!

もしかして それは
モデルとなったローマ人たちが 力強かったからなのか?
それとも作り手の技術なのか?

さらに
キリスト教 というものを通した後の美術館作品が醸す
独特の何か考えの狭まりというか、、、
ある意味での 魂とか生き物としての根源的なものにつながる力の紛失
(自分で考えることを失わせる類の)
みたいなものにも感じられたり、、、。

それが 何にせよ
ローマ人たちが持っていて
ルネッサンス期の人々が 失った
何かが そのさに感じられた
面白い体験となりました。

こういうのは多分 文章で事前に読んでいても多分理解できなかったもの
体験して初めて知ったこと。

見終わっての感覚は
美術作品を見たというよりは
色々な個性の強い人々に 会ってきたという感覚でさえあったりする。

実物を見るというのは
こういうことなのだと体験した。




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