マッシモ宮②:ローマで傑作たちに出会う
ローマのテルミエ駅すぐのマッシモ宮で
心を動かされたものたちを描いています。
第二弾
他の美術館と比べて素晴らしかったのは
人物の彫像たち その存在感 個性
魂みたいなものを感じる強さ!
今回はそれらの個性的な 人々(の彫像)
を載せます。
そして それを後年の有名作品と比べて感じたことを
散らかしながら かいてみます。
(すみません ケータイでしか今書けないので読みにくいです)
マッシモ宮の
像は十人十色の個性が
作り物なのにくっきりと見て取れる。
人物の深さも
幅広さも
シャープさも
賑やかさや強さや
繊細さも
そんなところまで トレースしてしまう技術
これが2000年前に 存在したことに驚く作品たち。
美も色々で
人物像の種類も色々
美だけがテーマではなくて
人生や 色々な生き方へのリスペクトも感じられる。
どうやったら
そんなふうに物作れるのか?!
その技術に感嘆!!!
ここで感動しまくった時
私は立体作品が好きなのかなあと思った。
でも この日に午後
某有名な美術館に行き(マッシモ宮よりはるかに高い知名度)
ルネッサンス期の マッシモ宮と同系統の でも新しい 数々の同系統の ちょうそうを見た。
豪華な部屋に所狭しと並べられるそれら。
その正気のなさ
入れ物は 綺麗に整えられているけど
何か 魂が入り切っていない。
強さが足りなさに逆に驚いた!
そういえばルネッサンス自体がローマ時代への回帰で トレースなのだ!
日本の某チェーンイタリアンレストランが 本物のコピーを壁に書いてたのをふと思い出してしまった。
そうして 後年の有名作と比べた時
マッシモ宮の古代ローマの作品たちの
その魂の強さがどれくらい強いのか
逆説的に実感することとなって驚くことに!
そこには 私の好みというレベルを超えた
明らかな作品に宿る魂というか生きる強さというか
そういうの強さの歴然たる差が感じられた。
技術というのは 進化していくものだと信じていたから。
まさか そこに感じられる 魂を映す力みたいなものが 新しいものに弱いなんて!!!!
想定外の体験!
もしかして それは
モデルとなったローマ人たちが 力強かったからなのか?
それとも作り手の技術なのか?
さらに
キリスト教 というものを通した後の美術館作品が醸す
独特の何か考えの狭まりというか、、、
ある意味での 魂とか生き物としての根源的なものにつながる力の紛失
(自分で考えることを失わせる類の)
みたいなものにも感じられたり、、、。
それが 何にせよ
ローマ人たちが持っていて
ルネッサンス期の人々が 失った
何かが そのさに感じられた
面白い体験となりました。
こういうのは多分 文章で事前に読んでいても多分理解できなかったもの
体験して初めて知ったこと。
見終わっての感覚は
美術作品を見たというよりは
色々な個性の強い人々に 会ってきたという感覚でさえあったりする。
実物を見るというのは
こういうことなのだと体験した。