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シリア-18- パルミラとマアルーラ

・破壊された町、パルミラ

ホムスから、片道四時間かけて向かった先は、パルミラでした。砂漠の中にポツンとたたずむ遺跡の町です。ここは政府軍とは別にロシア軍も駐屯してています。パルミラに向かう途中には軍の基地があり、そこにはアサド大統領とプーチン大統領が仲良く顔を並べたツーショット写真がでかでかと掲げられていました。

パルミラの検問所に掲げられた巨悪のツーショット

遺跡は古いものだと、紀元前何千年とさかのぼることができ、遺跡の保存状態もいいため1980年には世界文化遺産に登録されています。でも、パルミラも例外ではなく、戦争の犠牲になりました。特に2015年5月にイスラム国が政府軍を撃破して侵攻、その後、ロシア軍の支援を受けて奪還するも、2016年12月に再びイスラム国に制圧されました。イスラム国は、バールシャミン神殿、ローマ劇場など貴重な遺跡を次々と爆破しました。

捕らえた政府軍をイスラム国は子供に銃を持たせて処刑させた。その映像は世界に配信された。その現場。

パルミラを訪問するのは今回で二度目でした。10年前にダマスカスに滞在していたとき、日帰りでパルミラを訪れました。その際には現存していた遺跡が、今はなくなっていました。積み上げられて築かれた神殿や列柱が地面にバラバラになって崩れ落ちているのを見ると、保存するため尽力してきた人々の思いは何だったのだろうかと悲しくなりました。

市内にはほとんど人影は見当たりませんでした。モスクや民家が空爆で破壊されたまま、放置されています。時おり、Vと車体にペンキで塗られたロシア軍の軍用トラックが砂煙をあげながらパトロールをしていました。

「どうしてイスラム国がいなくなったのに、誰もパルミラに帰ってきてないの?」

パルミラの遺跡を展示する博物館の職員、アブ・カリーム(46)に聞いてみました。

「帰ってきても仕事がないからさ。私たちの財産だったラクダやヤギ、家畜もイスラム国が来たときに、略奪されたり、殺されたりした。何もかも失った」

アブ・カリームの言葉には偽りはありませんでした。ただ、シリアの旅を終えて、トルコの南に位置する町、ガジアンテップを訪れたときです。シリアとの国境に近いこの町には多くのシリア人が難民として逃れていますが、その一人、アハマド(27)というパルミラ出身の若者と知り合いました。

アサド政権とロシアの空爆により破壊されたパルミラ

アハマドは10年ほど前にパルミラを離れました。軍に徴兵されるのを恐れたからです。それ以降はパルミラには帰れないでいます。なぜなら帰れば、徴兵逃れの罪で捕まる恐れがあるからでした。

「徴兵逃れだけじゃない。遺跡を破壊したのはイスラム国だが、町を破壊したのはアサドとロシアだ。パルミラの人たちが帰れないようにわざと壊したんだ」

なぜそんなことをするのか。理由はあります。一時期はパルミラでもアサド政権に対するデモが盛んでした。なので、見せしめの一環として、町を破壊しました。さらに、無傷の建物の一部は政府軍の駐屯地として使用されています。今さら、帰郷しても家が破壊されていれば住めないし、家が残っていても軍が占拠していれば、やはり住むことはできないのです。

パルミラのホテルは全て休業しているため、再び片道四時間かけて昨夜宿泊したホムスのホテルまで戻りました。その夜、レストランで食事をしているとき、戦争で荒廃したこの国を誰が再建できるんだろうと僕はアブドゥルに尋ねてみました。すると、アブドゥルは小さなメモ帳を取り出し、四つの丸を描きました。

「シリアを誰が統治した方がいいか。ここに四つの円がある。一つはアサド政権、一つは自由シリア軍、一つはヌスラ戦線、一つはイスラム国だ」

反体制派でも穏健派が自由シリア軍、強硬派がヌスラ戦線と大きく二つの組織に分けられます。

アブドゥルは円の一つをペンで黒塗りにしました。そして、意外な言葉を口にしました。

「どれも我々シリア人にとっては最悪な連中だ。それでも、どれか一つを選ばなければいけないとしたら、アサド政権が一番まともだ。他の連中は、シリア人のことを何も考えていない。自分たちの利益のことにしか興味はないんだ」

アブドゥルは反体制派の武装勢力をテロリストと呼びますが、アサド政権については、好意的にとらえているものばかりだと思っていました。それが、最悪な連中の一つとして、仕方なくアサド政権を支持してるとアブドゥルは僕に語りました。

・マアルーラという小さな町

ホムスからダマスカスに戻る途中、マアルーラという小さな町に立ち寄りました。中東、シリア地方の共通語、アラム語を話す数少ない村の一つで、キリスト教徒が大半を占めます。この町も2013年に反体制派でも強硬派として知られるヌスラ戦線に一時期は占拠されていました。

マアルーラ

ごつごつとした岩肌をくり抜いたかのように山の傾斜に沿って家々が立ち並んでいます。山の上には修道院があり、壁画や絵画を見ると、女性の顔の部分だけが削り取られていました。イスラム国やヌスラ戦線は女性が肌を露出するのを嫌います。それは、たとえ絵画だろうと関係なく適用されるみたいでした。

ヌスラ戦線によって顔を削られた壁画

僅か一時間ほど街中を見て回り、マアルーラを出ようとすると、4人のアジア人が道端を歩いていました。アブドゥルは車を止めて、声をかけました。彼らは中国人でした。でも、肝心のガイドは見当たりません。本来、シリアを観光するには、必ず現地の旅行代理店を通してガイドをつけなければいけない規則でした。アブドゥルはおかしいと首をかしげました。

「シリアと中国は仲がいいから、別にガイドつけなくても旅行できるんじゃないの?」

僕は適当な言葉を口にしました。実際、中国はシリア関連の制裁にはロシアと歩調を合わせて、一貫して反対しています。あながち僕の予想も外れていない気がしました。でも、アブドゥルは執拗に中国人に詰め寄りました。口調にも厳しさがにじみでています。

しばらく話して、アブドゥルは納得したのか、車を発進させました。中国人はなぜガイドなしで観光ができたのだろうか。アブドゥルが説明を始めました。

「彼らはシリアで働く中国人からビジネスビザを発行してもらったんだ。もちろん、ビジネスビザだから、本来は仕事以外ではダマスカスを離れてはいけないことになっている。彼らはマアルーラの検問で『出張で来た』とでも言って兵士を騙したんだろう」

「それじゃあ、彼らは嘘をついて観光してるってこと?」

「そうだ。シリアと中国がいくら仲が良くても、法律は守らないといけない。ロシア人だって、個人で旅行することはできないんだ。彼らは法を犯した。逮捕されても仕方ない」

アブドゥルの顔は険しい。ガイドであると同時に監視役でもあるのです。何か不審なことがあれば、アサド政権に報告する義務があります。個々の判断にもよりますが、中国人の件は、不問にはされないだろうと僕は少し背筋が凍る思いがしました。

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