シリアについて-1-
シリアが大きく取り上げられています。アサド政権があっという間に崩壊しました。権力に固執し、何年にもわたり、様々な殺戮兵器を無差別に使用し、自国民を何十万と殺してきたアサド政権が僅か数週間で大きな戦闘もなく、消えてなくなりました。これは誰もが予想できなかったことではありますが、でも、シリアの経済状況の悪化とアサドの取り巻きが威張り散らしてうんざいしていた国民の不満、戦闘らしい戦闘がない中での政府軍、シャッビーハの緊張感のなさ怠慢、それらを考えれば、今回のHTSが主導した反体制派の奇襲作戦は、勝利するべくして勝利した戦いだった気がします。
・シリアの戦争とは
世界では常に戦争が起きています。でも、本当に戦争が起きているのか。極端なことを言えば、僕は人と人が殺しあう世界を信じることができませんでした。だから、自分の目で見てみたいと思い、ジャーナリストの道を志しました。
僕が見た戦争は、それほど多くありません。カシミールとインドのマオイスト、そして、シリアです。カシミールもマオイストも戦争はしていました。多くの人たちが殺され、犠牲者の大半が戦争とはかかわりのない一般市民でした。彼らは武器を持つことなく、占領者に対する抗議の声を上げていました。ときには、市民の側に立つはずの武装勢力への不満も口にしていました。これが戦争なのかと僕は思いました。
でも、どこかで僕がイメージしていた戦争とは違っていました。戦争とは今ある世界ががらっと変わってしまうほどの恐ろしいものではないのだろうかと感じていたからです。それが僕にとっての漠然とした戦争の姿でした。
戦争に勝利するためには何が必要なのか。僕はシリアを訪れて、その答えを見つけました。それは、敵対する側の「希望」を徹底的に打ち砕くことです。シリアでは、当初、反体制派勢力がアサド政権を圧倒していました。40年以上続いたアサド政権の終わりが見えてきたのです。国民の多くが熱狂しました。これが「希望」です。
兵力や武力の数で国民を押さえつけるほどアサド政権は強くはありませんでした。だから、アラブの春による雪崩を打つような政権崩壊の波にアサドは簡単に飲み込まれると思っていました。でも、アサドは持ちこたえていました。僕は現地に赴き、その理由を知りました。
ダマスカス郊外のドゥーマでは、スナイパーが市民を撃ち殺していました。ただ買い物に出かけただけ、野菜や食材を買い込んだ女性が、遊びに外出しただけ、無邪気に声を上げる子供たちが、血を流して倒れていました。僕はなぜこんなことをするのか。最初は疑問でした。別に女性も子供もアサドにとっては脅威ではないはずです。
ドゥーマでの滞在中、徐々に戦闘が激しくなりました。夜間の戦闘に限られていたものが、24時間銃声が鳴り響き、さらに装甲車や戦車まで市内に突入するようになりました。自由シリア軍は必至で戦っていました。迫撃砲が撃ち込まれ、それは標的も定めないむちゃくちゃなもので、たくさんの市民が犠牲になりました。
「どうして、こんなひどいことが起きているのに、誰も助けてくれないのだろうか。もう限界だ」
僕はそう思って、ドゥーマを脱出することになりました。そこで気が付きました。アサドは自由シリア軍を撃退するほどの力は持っていない。だから、我々の政権に対抗しようとする力、その根元を断ち切ろうとしているのだと。それが「希望」でした。たった一か月のドゥーマの滞在でも、徐々に人々から希望が失われているのがよく分かりました。
アサドに歯向かったから、全てが壊れた。だったら、アサドに歯向かわなければ、不自由はたくさんあるだろうけど、今よりはマシだ。当初は自由シリア軍を支持していた人々が徐々に希望を失い、絶望していきました。これがアサドの戦略だと理解したと同時に、僕が抱き続けてきた戦争の形が、ここシリアなのだと思いました。そして、この戦争はまだまだ悲惨なものになると感じました。なぜなら、希望を打ち砕くには、アサドはまだまだ多くの人々を殺さなければいけなかったからです。