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僕が処刑されかけた話-1-

写真 : マオイストが支配する西ベンガル州の農村

僕はフリーなので、できるだけ誰も取材したことがないテーマに手を出したいという気持ちがありました。マイナーなテーマは、日本では見向きもされませんが、他のジャーナリストが取材をしていないぶん、競争相手が一人もいないという有利な点もあります。2010年の夏、僕が新たなテーマに選んだのが毛沢東主義派、マオイストでした。

このとき、マオイストはインド全土に急速に広がりつつありました。そもそも、マオイストって何?と思われる方も多いかと思います。インドで活動しているマオイストの正式名称は「Communist Party of India-Maoist (CPI-Maoist)と呼ばれている武装勢力です。通称ナクサライト、1967年に西ベンガル州のナクサルバリという村で誕生しました。毛沢東主義と邦訳される通り、毛沢東の思想がマオイストのイデオロギーを形成しています。帝国主義、封建制度、資本主義の打倒を目指し、貧しい農村で苦しむ人々に思想を叩きこみ、武器を持たせ、勢力を拡大してきました。

僕は、マオイストと聞いたとき、「これだ!」と強く引き付けられました。裸足に腰巻をして旧式の銃を構えて、インド軍とジャングル地帯で戦う姿は現代の戦争とは似つかわしくありません。さらに、いろいろと調べると、日本ではまだ誰もこのインドのマオイストの取材に手を出していないということが分かりました。カシミールのような軽率な行動はしない。そう心に決めて、僕はインドに飛びました。

マオイストが活動している地域は数多くあります。その中でも、最も盛んな州がインド東部の西ベンガル州でした。州都はカルカッタです。学生のとき、僕が初めてインドに降り立った地が、カルカッタでした。久しぶりの訪問です。カルカッタでいくつかの新聞社を訪ね、記者から話を聞くと、その中の一人が、「知り合いがいるから」と電話番号を渡されました。

カルカッタから二時間ほど列車に揺られると、小さな町が見えてきます。町の名前はミドナプール。寂れた町でしたが、ホテルが何軒か営業しており、僕はその一つに宿泊しました。カルカッタの記者から紹介された「知り合い」は、このミドナプールの地元新聞社の編集長でした。翌日、新聞社に顔を出すと、編集長は僕を笑顔で迎え入れてくれました。「何か事件があったら、すぐに知らせてください」と僕は一言告げて、帰りました。

さて、この町の周囲一帯はマオイストの強力な支配地域の一つに数えられていました。カシミールのような「紛争地」として指定されている場所とは異なり、マオイストの支配地域はインド全土にモザイク状に入り乱れています。これが非常に厄介なのです。活動している地域も、辺鄙な農村で、資源獲得で土地を追い出されたアディバシ(インドの先住民)やインド政府からも見放された極貧の農民を味方に付けています。いったい、どこに取材の糸口があるのかも分かりません。

時間が前後しますが、この取材のあとに、僕はアディバシが暮らすインド南東部オリッサ州の州都ブバネシュワルから南に600キロ、バワニパトナという小さな町に向かいました。ここにはニャムギリ丘陵という小さな森があり、そこにドンゴリア・コンド族というアディバシが暮らしています。しかし、この森ではボーキサイトが採掘されることから、英国系製鉄会社のヴェダンタが州政府と契約を結び、開発に乗り出しました。

ニャムギリ丘陵はバワニパトナからさらに100キロの距離があります。僕はガイドを連れて、先住民が暮らすニャムギリに向かいました。すれ違うトラックには「VEDANTA」のロゴが印字されています。さらにヴェダンタの工場はニャムギリの麓にどっしりと腰を据えて、工場排水により、この辺りでは唯一の水源であるヴァンサダラ川が汚染され、どす黒くに濁っていました。

僕はガイドを連れて、ニャムギリ丘陵の入口まで来ました。この丘はドンゴリア・コンド族にとっての聖域でもあります。そこになぜか検問が張られていました。僕は「ヴェダンタが土地を買収しているから監視しているのかな」と思ったのですが、何かがおかしいのです。独特の衣装を身に着け、手には槍を持っています。ガイドが「ドンゴリア・コンド族だ」と囁きました。車が止められると、ガイドが彼らに何やら事情を説明します。

10分ほど話をしたあと、ガイドは慌ててUターンを始めました。僕は意味も分からず、ポカーンとしていると、ガンガンと音が鳴り始めました。投石に見舞われていました。なんで石を投げられるんだとガイドに詰め寄ると、僕のことをヴェダンタのスパイだと勘違いしたというのです。だったら、説得すればいいじゃないかとガイドに問うと、説得できれば、こんなことにはなっていないさと笑われました。それは、ドンゴリア・コンド族を懐柔しようとヴェダンタが金をばらまき、それで一部の人間がヴェダンタ側に寝返り、ニャムギリ丘陵の買収に乗り出した経緯があります。その裏切り行為に、反対派が猛烈な不信感を抱いているのです。

ついでに、もう一つ、お話させていただくと、韓国製鉄大手の「ポスコ」がインド東部のオリッサ州ジャガトシングプール地区にある港町、バラディープの用地を所有しようとして頓挫した件があります。ここには、先祖代々から栽培されている噛みタバコの原料であるビタル・バインの生産地があります。しかし、ポスコは、製鉄に必要な水源があり、港もある町、バラディープに目を付け、金をバラまいて、用地買収に乗り出しました。

僕はポスコの用地買収に反対している二つの村を訪れました。ビタル・バインを生産する農村ですが、海に面している重要な拠点であるため、ポスコはこの小さな村の買収に必死でした。僕はガイドを伴い向かったのですが、農民が設けた検問が5か所以上あり、その1か所では「ポスコのスパイだ」と疑われ、半日拘束されました。ポスコが韓国企業であるため、日本人である僕も、インド人から見れば、韓国人と見分けがつかないため疑われました。結局、村長が懐柔してくれて、解放されました。

ニャムギリの先住民もバラディープの港町でビタル・バインを栽培する農民も、長年暮らしてきた土地を追い出されていたのです。その元凶が、資源を得るためには手段を選ばず開発に着手する大手の企業でした。しかも、土地を明け渡す代わりに、新たな住居を用意してくれる、職の斡旋も面倒をみるという条件を提示しながらも、実際は反故にされて、さらに周囲の環境も汚染されるという苦しみをその土地の住民は味わっていました。

そこで、話が戻るのですが、そういった虐げられた人々に甘い言葉を投げかけて、解放、革命を促して勢力を拡大していったのが、インドを赤く染める武装勢力、マオイストなのです。そのマオイストに運悪く遭遇してしまった話が次回になります。

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