「死」に対しての気持ちの変化
父が癌でこの世を去って、もう20年近く経つ。
その時、初めて火葬場に行った。
中へと入れられる父、その後の音、次に会った時の父の姿…
まだ若く、死への恐怖が今より強かった私は、
「人間は最後に焼かれてしまうのか」
とさらに死への、そして死後への恐怖が強くなったのを憶えている。
何故、「死」が怖かったのか。
子どもの頃から夜にみる夢は決まっていた。
場所や登場人物など、細かい点は毎回変わるが、必ず戦争だった。
飛行機等で攻撃され、一般市民として逃げまどう。
建物の中や地下、洞窟などに逃げ込むが、銃を持つ人に追い詰められるか攻撃で避難しているところが崩れるかして、
「もうダメだ」
というところで終わる。
夜みる夢は死を感じさせる怖いものだった。
また、父は身体が丈夫で病気に縁がなく、毎日真面目に働いていた。
老後は好きな釣りを、行きたい場所で好きなだけするつもりだったろう。
本人もまさかこんなに若く病気で亡くなるとは思っていなかったことだろう。
多くの人と同じように、自分を我慢して懸命に働いたあとに自由な自分が許される時間の保障はない、という非情な現実。
この2つのことは、「死」への恐怖を強くする要因になった。
そして先日、義母が亡くなった。
そこで抱いたのは、父の時とは全く違う感想だった。
あぁ、人間の体って重いんだな。
今世とお別れするのに、重い体はいらないから肉体を燃やすんだな。
勿論、父と義母とでは自分との関係性や過ごした時間も全く異なるので、感情の比較は難しい。
しかし、困難な時代を自分の「生」として生ききった義母への尊敬と、遺された人々が抱く故人の優しさや愛情への感謝。
それをみて、死に対して以前のような恐怖はなくなった。
死ぬことが怖いのは、痛みや予想される結末への恐怖と、自由に想い動くことができなくなり、未来に到達できずに断ち切られることへの恐怖。
「死」と「死ぬこと」は別のもので、「死ぬこと」は怖いが「死」は怖くない。
歳を重ねた今の気持ちである。
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