【話】焼いたグッエンコーベ
きょう知ったのだけど、彼女はグッエンコーベを生で食べるひとだった。こればっかりは嗜好の話であって、私にはどうしようもなかった。でも、それでも聞いてしまう。
「……焼いたグッエンコーベは、食べないの?」
「えっ」
喫茶店の窓から差し込む光が、彼女の黒いミディアムヘアを、きらきら、といっそう輝かせている。「あ、ごめんね、なんか、気になって」と言葉をつなぐと、「食べないかな」と返事が届く。
「……なんで?」
「このぷつぷつしたのが好きだから。こいつを食べたいから」
「……そっか」
翻って私は、生のグッエンコーベにびっしり生えている魚卵みたいなやつ(ぷつぷつしたの)の見た目が苦手だった。これは焼いたらかりかりになる。かりかりなのはおいしい。生なのはだめ。食べたことはないけれど。
たしかにこの喫茶店のメニューには《グッエンコーベ(焼きor生)》と書いてあった。捕れたばかりのグッエンコーベの姿をネットで見たことはあったけど、それをそのまま食べる文化があるとは。
「すみません、グッエンコーベ。これふたつ。ひとつは生で、ひとつは焼きで」という衝撃の偶然短歌から約15分、届いた生グッエンコーベを、ぱしゃり、と写真に撮ったあと、一気に半分くらい食べ進めた彼女。私だって、かりかりの焼きグッエンコーベをもりもり食べたかったけど、その艶めく緑色の粒(しかもびっしりある!)が目に入る状況では、気になって仕方がなくって、ナイフとフォークは進まない。
そんなこちらの気持ちを彼女は汲み取ったのか、粒をひとつ親指と人差し指で挟んで、「うい」と、こちらの口元に遣ってくる。「……」、自然とあごが引いてしまうのをおかまいなしに、その手を近づけてくる。
「……いらないよ」「食べてみ」、大きさは5mmくらい、向こう側が透き通って見えるその粒は、しかし、やっぱり食べるものとは思えない。食べるものとは思えないものが、私の顔に近づいてきて、指といっしょにくちびるへ触れたとき、私はそれを受け入れた。
ぶちゅ。
口のなかで、その粒が破裂して、しょっぱいのか苦いのかわからない液体が広がる。「……ゔ、」、むりやり飲み込んで、「……ん……」、吐きそうになるのを抑え込むので必死だった。
彼女は、によによ、と笑っていた。
「……おいしくないよ、これ」
「あっはははぁ、ごめん」
「……」
「じゃ代わりに焼いたのちょうだい」
「まぁ……いいよ」と言い切る前に、彼女はフォークを持つ手をこちらに、にゅ、と伸ばして、私の皿のグッエンコーベを器用に切り取って持っていった。
「ん、んまい。これもアリ」
「アリ、っていうか、これしかないと思うよ」
「たしかにこっちも売れるな」
スマホを手に取り視線を落とした彼女に「食べ方、これしかないんだって、たぶん」と宣告する。それを聞いたのか聞かなかったのか、「これ見て」と手持ちの端末を見せてくる。
画面いっぱいに、夏祭りの屋台の写真が映っていた。
《ベーコンエッグたい焼》と書いてあった。
飲んでいたイレグルーアを吹き出しそうになった。きょう私は短時間に二度も吐きかけている!
「んっふふふ……えっなにこれ……? ベーコンエッグたい焼って、え? ベーコンと卵と鯛焼き? んふふ……」
「ほら、のれんってなんか右から書かれるじゃん」
「んふふふ……そうなの?」
「あれ、あんま見たことない?」
「うん」
「で、《焼いたグッエンコーベ》が逆から書かれて、《ベーコンエッグたい焼》になった」
「ふふふふひ……」
「すごくない? ベーコンエッグの鯛焼きだって」
「ひひひ……もう、やめて……っ! ひひふふふ……」
「……あははぁ」
スマホのアウトカメラはいつの間にか自分に向けられていて、ぱしゃり、と、変な姿勢で笑っている私の姿が収められた。生のグッエンコーベ、そしてベーコンエッグたい焼と同じフォルダに。