競技クイズとデザイン
デザイン!
勉強中の身なんですが、いっぺん自分のいる領域に接続して言語化したいのが「デザイン」。フォントとか色とかの「グラフィック」より広く、そしてそれ以前のお話。「利用するひと(もっと有り体にいえばお客さま)がどう思うか・どう使うかを考える」みたいなの。
「デザイン思考(詳細は省きます)」という用語に胡散臭さを感じてしまう気持ちもまぁ、ありますね。デザイン思考はあくまでも「一部のひとが持っていた考え方を平易にして民主化する」ためのものであり、それだけじゃ解決できないことも当然たくさんあって、でも「やった感」を(不用意に)増幅するために使われる側面がありますからね~(この場合、結果『解決してなくね?』が残ってしまう)。
競技クイズの「従来」
ただそれでも、競技クイズにこの考え方は有効なんじゃないかと思っています。
従来「クイズ界」というのは、「参加者⇔企画者」という大原則で回っていました。まず「サークル」等に属します。で、そこで構成員が持ち回りで小さな大会を開きます。ときには「インカレ」などのつながりで大きな大会を開きます。そうすることでノウハウを内々で共有して、参加者がまたスタッフとして立ち回れるようになっている……というシステムです。伝承が早くて楽ですね。
でもそれじゃあ、問題や大会に求める質がどんどん上がっているなかで、いきなり場を提供する側に就くのはえらく難しい。「いきなり場を用意する側に就くのは難しい」のはまぁどこでもそうなんですが、特に「質」を外部からは非常に判断しづらいというのがあるのかも。たとえばいい問題/悪い問題を判断するためにある程度競技クイズの現場に立つ必要があるのですが、問題は、その現場への『入り口』は限りなく狭く、見えづらかった。
そして入り口から入れても居づらいことがあるのでは? 競技クイズをしている人間がめいめい場を作り、ひとをめいめいに集めている。狭い界隈のなかで、見えなくてもうちょい狭い集団ができています。
あと「オールド・ボーイズ・ネットワーク」も想起されますわな。男性中心に組織される人間関係。大会をつくるひとたちの男女比、その大会に来るひとたちの男女比、そしてペーパークイズなどによる予選がある場合その通過者の男女比を見れば、いまどういうコミュニティが(ときにうっすらと、ときに大々的に)できているかは一目瞭然かも(ぼくはこれを課題と捉えているけれど、たとえば『女性がたくさん勝ち抜けられるような大会』をそうと明言せずに開いたらそのときは『クイズ界』の終わりではある。それは正しいアファーマティブアクションではない。もっと別のアプローチ方法がある)。ただこのあたりの話は、残念ながら今回書きたいことと若干ターゲットが違うので後の機会に譲ります。
そういうのを乗り越えて残り続けるようなひとたちなんだから、世界に流れる「なんとなく」を察知する力が強い。クイズ大会を開くための統一されたマニュアルが(知っている限りでは)ないところからも伺えます(ただこれは、のちに述べる『ニーズ駆動』がかなり自由であって、画一したものを用意できない可能性も考慮すべき)。
競技クイズをしているひとが場を作り、競技クイズをしている人間を集める、って、今ではちょっとだめだと思っています。なぜか? 最近は「クイズ界」に「参加者」でも「企画者」でもなく「享受者」が増えており、ぼくはこれを(今のところは)良いことと捉えているためです(この時点で考えが相違する場合は、以降の話はあまり入ってこないと思います)。享受者についてはいったん、「競技クイズの参加者にも企画者にもならないが、競技クイズの『楽しい』を得るひと」としておきましょうか。
そして享受者によって競技クイズがバレ始めている。この事実は、「実は入り口はたくさんあった」ことをも明らかにします。
競技クイズがバレ始めている!
バレ始めているんですよ。クイズナビゲーションサイト「新・一心精進」によると、2023年3月実施のクイズ大会「abc the21st」には126人の観戦者がいました。各地の大会の参加人数と同じくらいの「享受者(観戦というのはもう最たる例だろう)」が現れたといえます。
同大会のYouTubeライブの視聴回数も、同チャンネル内で比較すればかなり大きな注目を集めていましたね。ただそのコメントを見れば、ルールや慣例(ex.【赤】とか【青】とかってなんですか?)など、「参加者」も「企画者」も"とうぜん知っていること"を問うものが散見されました。
あまりにも当たり前な現象です。
ここでいったん、「参加者」「企画者」「享受者」というデカい括りに発想元があることを示しておきます。「PDUモデル」というものです。
(ちょい無理めに)「クイズ界」へ当てはめてみましょう。競技クイズというコンテンツ、ないし影響力/技術力/財力etc…の大きな大会がプラットフォーマーとしてあって、それに影響を受けながら各々が好きな企画を主催したり参加したりして自分を表現するデベロッパーがいたのがこれまでの世界。でも実は、その様子・コンテンツを楽しむ「超多様な世界」のユーザーがいた。それが可視化されてきたよ~ってことを「バレ始めている」という書き方に込めていたんですね。
「可視化っていやいや、『クイズ界』のひとがそれを見ていなかったのって異常では?」と自分でも思う書きぶりなんですが、【学校に入学→新歓でいきなりサークルに属する→すぐさまピラミッドの上と真ん中を行ったり来たりする→卒業したらコミュニティを変える】というような生活を送っていたら"見えない"のも無理もない話なのだとも思いますよ。もう”見えない”時代は終わりを迎えるのですが……。
さて、一部機敏な企画者は享受者の存在をすでに理解したうえで自分の場を整備、見事「享受者を参加者に」しました。好例としては「いろは 第三回」が挙げられます。大会Twitterアカウントに「初心者大歓迎!」を銘打ち、公式サイトに「初めての方へ」というページを用意したところ、クイズイベント初参加の方を多く集めることに成功しています。もちろん主催者のネームバリューなど要素はほかにもあるとは思いますが、先述した工夫が功を奏しているのは間違いないと考えられます。
そう、(整備すれば)享受者を参加者にできるのです。上の図の注目ポイントは上下の矢印。ピラミッドは行き来できるんです! プレイヤーは集団に所属し、主にデベロッパーとして「ニーズ駆動」でいろんなことをしてきた。いわゆるレギュレーションに従い所属集団が変われば、今度はプラットフォーマーとして影響を与える側にも回れる。
でも、その三段目と二段目を行き来する、「ユーザー⇔デベロッパー」ってのももう既に現れている。「『みんはや』がめちゃくちゃ強いけど実際のボタンを押したことのないひと(この文にぼくが『競技クイズ』をどう位置づけているかうっすら漏れ出ているが、ひとまず置いておく)」「サークルには入っていないけれど、クイズができる施設やお店によく行き、早押しボタンが何かは知っているひと」「テレビや動画を見て、競技クイズという概念があることは知っているひと」……今までの「参加者⇔企画者」の二段構造に、新しいルートから少しずつ足を踏み入れているひとは既にいます。「まず『サークル』に属します。」って文章からわずか3000文字足らずですが、属さなくても良かったんだ。
みんはやから競技クイズを始めたプレイヤーも、クイズができる施設やお店から競技クイズを始めたプレイヤーも、動画から自分で競技クイズを始めたプレイヤーも、います。
そのひとたちは、ときに大会へ参加してくれます。ときにSNSで新しい考え方を発信します。ときに大会で正解の喜びを知ります。ときに新しい場を提供してくれます。
新しいルートから、二段目、そして一段目へ入ってきたわけです。
「移動できる」
ピラミッドを移動できるから、享受者が増えることはより良い「クイズ界」になる"可能性が高い"と思っています。PDUモデルの話の前に戻ると、「ルールの分からない享受者」がいて、そのひとたちが「ルールを知って観るようになる」、で、そのひとたちは今度「やる」ことにつながるのかというと、容易につながりうるのが競技クイズの良い点です。知ってたら(押して)答える、基本はこれだけ。これが競技クイズの救いです。もちろん種々の能力は育てなければ身につかないこともありますが、それでもほかのスポーツよりは……と思いませんか?
享受者は、見学などの機会にfeeを発生させ、新規ビジネスモデルの可能性を有しますし、個々人がコンテンツの魅力を発信してより一層二段目・一段目への流入を促進します。そして場合によっては、自ら二段目へ入り、新しい何かを持ち込んでくれます。
ぼくはまず、享受者が増えてほしい、そしてゆくゆくは、享受者が「これまでのクイズ界が見えていなかった三段目」から入り込み、そして考えたこともなかった発想を持ち込んでほしいと思っています。
もちろん、ただ享受者であり続けることもまた自然でかつ必要とも捉えています。先述のように、クイズ大会を開くには(つまり企画者には)お金が必要です。享受者は見学などの機会にfeeを発生させます。また、何度も名前を出しますが「abc」にはスポンサーがついています。要はここでお金が動いているわけで、じゃあどうしてお金が動くんでしょう。広告効果があると思われているからではないか。出稿者から、競技クイズを「観る」ひとがいると捉えられているからだと考えます。「観る専」も大事。
どうすんの?
うわ~どうしましょう!?
ただ自分が必要と思っているのが、とりあえず、「参加者⇔企画者」の構図で成り立っていた世界の在り方を見つめ直すことです。デザインをしよう。
世界の在り方!? デカいコトバ使ってしまったぜ。具体化に挑戦。いったん「あるある」を書き出してみませんか?「n○m×」ってなんだっけ、なんでここで押せるんだっけ、ふだんみんなはどういうものを読んでいるんだっけ、この大会ってどういう大会なんだっけ、どうやったら参加できるんだっけ。もういっかい説明しましょう。利用するひと(もっと有り体にいえばお客さま)がどう思うか・どう使うかを考えましょう。享受者の方に入ってきてもらいやすくしておきましょう。
さきほど「『やる』ことにつながるのかというと、容易につながりうるのが競技クイズの良い点」とは書きましたが、このあたりをしっかり整備しないと、「やれる、やりたい、でもやれない」ということになってしまいます。大丈夫、入念に整備してもまだまだ狭いくらいです。
享受者は増えてきているけど、何もせずにこれからまだまだ増えるとは思えません。今は「面白いことやってる!」という感度バツグンな方が来てくれていて、じゃあその方たちをどう参加者/企画者にして「クイズ界」に良い変化をもたらすのか? もしくはもっと享受者を増やすには? と考えれば、「あるYouTubeチャンネルの効果で〜」などとはもう言っていられないとも思います。
入り口を広げましょう。
※ほんとは上の文に「誰が"強い"んだっけ」というのを入れていたんですが、これも割と良し悪し。享受者から見れば目印(たとえば観戦でどういうプレイヤーか知っていればより楽しめる)となるんですが、「参加者⇔企画者」の鉄壁構造の一助になりまくってもいて、もはや互助って感じ。これは、オールドボーイズネットワークのところで「後に譲ります」と書いた話とかなり近い("強い"ひとが"強い"ひとの集団をつくり、"強い"ひとの大会を開く)。そもそも「強い」って、何?
今回は「ユーザー/享受者」の話をしたかったから、「ひとが『企画者⇔参加者』に入れたその後」の課題は別の場所にまとめておきたい。公開するかはわからないけれど、自分の行動指針にはしておきたい。
でも!
ここまで書いておいてなんですが「バレ始めた」ところの舵取りを全体でミスるとやばいんですよね~。物珍しいんでひとが集まってき始める、まだひとは少ないので意見が通る、その場は盛り上がる、やがて対応できなくなるけどユーザーは意見を通そうとする、瓦解! みたいなのはありうる話です。やだよ~
競技クイズ(もっと細かく、たとえば歴史ある大会)がなぜここまでやってこれたのか? というところは絶対に見失わないようにしたいところ。ユーザーの「超多様性」に"みきわめ"が求められ始めてもいる!
で?
ひ~ とっ散らかってしまった。
競技クイズの構造は「企画者⇔参加者⇔享受者」ではないか
享受者は(今のところは)競技クイズを盛り上げるし、ときには参加者に、そして企画者になりうるのではないか
もちろん、ただ享受者であり続けることも自然であり必要ではないか
参加者/企画者は、享受者の入り口を広げることが求められているのではないか
どれだけ「超多様な世界」が訪れても、競技クイズの根幹だけは見失わないようにすべきではないか
ぼんやりしているけど、この5点になるのかな。
デザインって大変だ〜 いったんこのあたりでお願いします。
saQuna
立命館大学クイズソサエティーを経て現在は社会人。クイズ大会スタッフとしてこれまで30以上のイベントに参画。おもな担当大会に、「"ONLY MY QUIZ" new generations(メインスタッフ)」「mono-series'19(問題チーフ)」「saQunaたんたるひまたんダイキリクイズ」など。2023年6月には個人大会「IRODORI ONSTAGE」を開催。