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忘れたくない日々のこと

私はどこかの街のことをどうにかしたいとはもう思っていないので、まちづくりの話に興味はなく、ただ手の届く範囲の誰かが幸せに暮らせていないとしたら、どうしたらいいのかみんなで考え、つくっていくことをやり続けたい。そのプロセスがまちづくりと呼ばれようと、主語は私たちであるということです。

そういう実践をするための知恵と練習の機会が詰まった合宿、Art of hosting に行ってきた

地域で、考え方や立場が違う人たちとも協働して、みんなで心地よく暮らせるような知恵がほしい人や、
人生の先輩から「〇〇しなさい」と言われるけれど、ピンとこない。
自分の気持ちが大切にされていない感じがするけれど、それに対してモヤモヤしたり、憎んだりするしかない人と一緒に学びたいな... 。

Art of hosting がまだ地元で暮らしていた10代の私の側にあったら、救われた事が沢山ある感じがする。
選択肢なんか側になくたって、欲しい未来は自分で探して作れるとただ信じて、前に進めていたかもしれない。

まずは私(たち)から

(沢山泣いた、辛くてを言えた、聴く力があると、受け止めてくれると、信じられる人たちが側にいたから。。。🙏)


短歌のリズムが好きでと話したら、
シェイクスピアの作品をお勧めしてくれて、寝ながら聴いてみている。何言ってるかサッパリわからないけど、たしかにリズムがいい...。

京都にも行きたい
勝手に私とにているねと思う人、そういう場面、そういう文章、そういう雰囲気

自由なのかはわからない、楽しいのかもわからない、けど、そう(自由で自分で選んだことをやっているように)みえると、救われる感じがする。
20220720

精神的にも生活的にも、いろんな人に温かいサポートをしてもらって嬉しいな...
こういう繋がりの中で暮らせていることをちゃんと思い出せて、いつまでもないものねだりしているんじゃないよという気になれました。

されど尾道での暮らしも諦めきれないので、年に1ヶ月くらい向こうで暮らせるような働き方を模索したい...。

しずかに 耳をとじて 目をひらいて それでもかすかに きこえてくるもの /「Close to my ears」杉本さなえ
たくさんの願い
ずっと片思いしている(その人の表現に)
私は言葉を話す事が苦手です。
いつも何か、伝えたい事がある時、言葉という形をして出てこないのです。出てきたとしても、それは強い力を持つように思えてしまって、声にするのを躊躇ってしまいます。
心の内を誰かに向けて放った時のエネルギーに、自分が追いつかない感じもする。言葉だけが先に進む感じがする。私は、それを辿るしかない感じがする。それは悔しい感じがする。

けれど、私は絵よりも写真よりも音楽よりも、言葉が好き。文字の間を通り抜ける風、におい、見える色の清々しさ、生きている声と共にあるときの勢い、もにゃもにゃの経験の中から現れるモノの愛、迷い込んでも大丈夫と思える安心感、体重をかけても崩れることのない、変わらない、作品としての言葉(文章)、、、


もっと軽やかになりたい。所詮その時のものだから、変わりゆくものだから、だから話さないんじゃなくて、話し続けるんだと、心から思いたい。たとえば、素敵と思ったことをそのまま言えたりするように。

このご自由には、優しさではなく、そのものな感じがするな。



体調の良し悪しすら自分でわからないくらい、頭にもやがかかっている...参ったな〜。
1日休んでもダメだったことにめちゃくちゃ焦っている。身体は追いつかない。host myself...😖

ここでの日々も愛おしいものであること
だから、逃げずにやっていきたい。

日常のぴーしゅレベルが少し上がります。。!