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『砂の惑星』への世間の反応と認識は的外れな気がする話

どうも、南方です。7年ぶり……たまりませんなぁ…
前に『砂の惑星』対談インタを読んで書きかけた、ハチさんが意図したものとはズレて広まっちゃったのでは?という記事

案の定、今回も似た反応が散見されたので完成させるしかねぇ! 

解釈論争を終わらせてやるぜ!!という気持ちで。
対戦よろしくお願いします。

【情報ソースはこちら】
見てから読むとわかりやすいと思います。
どちらも必読!!



【『砂の惑星』の受け取られ方のモヤモヤ】

批判してる人の意見も分からなくは無いんだが、
モヤモヤするんですよね。
言うほど
『ボカロ界隈に砂をかけ、貶したような曲なのか?』と……

批判してる側の受け取り方としては
(当時、散見した感想)

♢ニコニコを見限って捨てたんだ!
♢今のボカロ界隈(文化)の批判をしている!

♢盛り上がってるのになんてことを!
♢自分がいない間のことを無視するな!!
♢いなかった時期を砂の惑星と形容するな!
♢もう戻ってこないってことなんだろ?

っていう感想が多かった印象。
個人的に、特に上ふたつに対してモヤモヤしている


曲は結構誤解を呼びやすいのは事実だと思う。
だけど、反応の仕方を見てると
「なんかズレてないか?」という気持ちが拭えない


砂の惑星は、ボカロの
『批判』でも『捨てたことの形容』でもなく
(ボカロ界隈含む)ニコニコはこのままでいいのかよ?

っていう曲だと思っている。

実際にインタビューで本人が

ニコニコ動画というもの自体がどんどん砂漠になっているというイメージ』

『一種の故郷である、ニコニコ動画が砂漠になっていく光景を曲にしたら〜』

初音ミクの10年〜彼女が見せた新しい景色〜


と言っているんですよね。ここから

『活動してる人達やボカロ曲』を批判しているとか、貶している訳ではないと思う。
そうは思えない。

Together記事(反響を受けての質問大会)で
尊敬できる人達や、いいものが生まれる土壌があるのは確か

本人のTwitterでの質問大会(リプ返し)での発言

とも、言っているので。


ニコニコとボカロ界隈は切っても切れない関係

だからこそ
ニコニコ動画自体の人離れの加速はボカロ界隈にも少なからず影響してしまうし、してると思う。

ニコニコといえば!の1次創作って『ボカロ曲』だと思うので、語る上で無視できないものだから

『(人が流れる)ニコニコの厳しい現状を書いた曲』
→ハチさんは嫌いなんだよ!今そこにいる人を批判してるんだ!

ではないと思う。


むしろほんとに嫌いなら、見捨てたなら
ニコニコに投稿しないのでは?

ハチさんは今でもプレミアム会員!!
ニコニ・コモンズ登録済!!

この紋所が目に入らぬか!!


【エビ揉め】【米っぽいな】も【KICKBACK 2次】も
バレてるっしょ……w

有名人の中で1番の『古のネットオタク』だよ(真顔)


こう考えてみるとやっぱ、個人の捉え方問題以上に
誤解されてる、招いてるな

じゃあなんでこんなに『見捨てた』とか『嫌い』だとか『戻ってこないんだ』とか言われてるのか。


【誤解されてしまったのはハチさんが作ったから?】

  • マジミラ2017のテーマソングだったから、歌っていることが『直接ボカロに纏わる曲』『ミクに纏わる曲』なんだろうと思われてしまった

  • ハチさんはメジャーシーンに出ていて、やめてはいないけれども数年活動していなかった

  • 『砂の惑星』という表現

  • 『あとは誰かが勝手にどうぞ』という歌詞

ざっと、これらが誤解の原因かなと思う。

『ハチさんだからこその表現・立場』だから
誤解されてしまったのかな
と。

一方、こうも思うんですよね……


『ハチさんでなければ書けなかった曲でもある』

『マジカルミライ(初音ミク10周年)』で、一般的に
イメージするようなメロディとは真逆の曲をかけるのは流石だなとおもう。

そして、歌詞の内容(テーマ)に関しても
ハチさんにしか、表現・言及出来なかったこと
なんじゃないかなと。

中にいると気づきにくいこと
気づいていたとしても、言いづらいことな気もする


砂の惑星に関する
Twitterでの質問大会(上記Togetherからどうぞ)で

『パンダヒーローもマトリョシカも世の中ファックの曲だった』

と仰っているように、P時代〜メジャー前までは
深く潜っていくような曲で(示唆/比喩が多めの考察ができるような←これは今もそうだけど)
当時は特に表現自体も鋭い曲がそこそこあった。


ハチさんの通常運転では?(ハチさんの曲だぞ?)

『タイトル』『歌詞(の意味)』然り、表面で、そのまま受け取りすぎでは?と思うんですよね。

『考えすぎのメッセージ』と言われるくらい
考察してきたくせによぉ…
何故、今回に限って、今現在もって感じ……
(個人の感想です)


『「砂の惑星」に込められた意図は?』


[砂の惑星という形容に関して]

インタビューと曲で怒ったという和田さん(筆頭に)
「いなかった時期を『砂の惑星』と言うなんて!
その時頑張っていたPのことを砂というのか!」

みたいな発言もちらほら見かけたけど
インタビュー最後まで読みましたか……
怒りで入ってこなかったのでは……と思ってしまった

バルーンさんとか、ナユタン星人とか、n-bunaくんとか、新しい世代の人たちが出てきてるので、
そういう人たちにがんばってもらいたい
そして、影響を受けたさらに若い子たちが出てきて……というふうにどんどん続いていってほしいなと思いますね。

対談インタビューラスト


たしかに対談インタビューだけを読むと
文章構成の段階で削られたのか、ハチさん自身の問題なのか、言葉が足りなかった印象はある

でも、受け手の怒りが先行して、何でもかんでも
マイナスな解釈に引っ張られている
ような気もする


ご本人の価値観・意図に関しての言及
(砂の惑星質問大会よりinTwitter)

※引用枠が質問で『>(アンカー表記)』がご本人回答


砂漠や砂で表すことにこだわり意図はありますか?

>砂漠というモチーフには複雑な感情があって、
砂漠という光景に救いのような感情を抱くときもあるし、ペシミスティック(悲観的)な感情を抱くとき
もある。


砂漠と例えられたことには「遊び場」的な意味合いもあるとインタビューでは仰っていましたが、歌詞の内容を加味するとやはり
マイナスなイメージは拭えないと思います

のちにボカロシーンに入って来る人間の存在を認識していたのでしょうか?

>リスクをとってでも、マイナスなニュアンスじゃないと伝えられないことがあったから

>認識していたよ


「2013年以降もリスペクトできる人はいる」と言った旨の言葉を言いながら「砂漠」の矛盾にモヤっとしっぱなしです。

>曲の根幹の部分に触れてしまい、言葉で説明するのは野暮になるから難しいんだけど、言えることがあるとすれば、「矛盾」や「嘘」や「空白」っていうのは作詞作曲の本質の一つだと思う

>目標を掲げて、もしそれを一番上手く表現できるのが矛盾や嘘や空白なんだとしたら、それは表現としてアリだと思う

「初音ミクっていう見たことも聞いたこともないアイドルが歌を歌う」ってことに物珍しさがなくなったから人がいなくなっただけだと思います。

作り手の熱意は変わってないと思いますよ

作り手の熱意が下がったとは思わないし、再生数の多寡に関わらず、いいものが生まれている土壌は未だにあると思う。だからと言ってそれだけでいいのかな、と僕は感じています。

プレミアム会員が少なくなってるのはクリエイターや視聴者に限った問題でもないと思ってるよ。

「Twitterでの質問大会(Togetherまとめ)」より引用



上記の発言からも『砂の惑星』を
表面でとらえすぎるのは良くないんじゃないか
ズレが生じてしまうのでは?

と思います。


[『あとは誰かが勝手にどうぞ』の意図]

歌って踊ろうハッピーバースデー
砂漠に林檎の木を植えよう
でんぐり返りそんじゃバイバイ
『あとはだれかが勝手にどうぞ』

これが1番誤解されてる気がするんですよ。
確かに表現はドライだし、普段はメジャーで活動しているハチさんが言った言葉だから余計に
『見捨てたんだろ』と思われてしまったのかも。


上記(引用)歌詞最後の一節
『あとはだれかが勝手にどうぞ』だけが、かなり
独り歩きしてる印象が強い。

上記引用部分、全体で見ると印象が変わるというか
対談インタビューで言ってた意図と割と近い歌詞
なんだなと思いました。

…「それ(ニコニコ、ボカロ界隈の盛り上げる役)をやるのは俺じゃないでしょう」っていう。
どんどん新しい人たちが出てきてほしい。
その木の周りに新たに誰かが土を耕して、稲とか植え出して、それが実っていけばいいんじゃないか

…1つの起爆剤になってほしいとは思いますけれど、根本的に「俺が全部ひっくり返してやるぜ」なんてふうにはまったく思ってなくて

該当歌詞を対談内容と照らし合わせながら
自分の考えも交えながら考察していきます。


<対談引用②に該当する歌詞>

歌って踊ろうハッピーバースデー
砂漠に林檎の木を植えよう


⇒初音ミク10周年で帰ってきたハチさんが
ニコニコに『砂の惑星』を投稿※りんごの木を植える




<対談引用①に該当する歌詞>

でんぐり返りそんじゃバイバイ
『あとはだれかが勝手にどうぞ』


⇒今のハチさんの状況的に
メジャーでやるべき事があるからまた向こうへ行く
曲を置いてサッと場所を離れるイメージを感じる。
「実家帰省から、また戻る時の挨拶」みたいな。

⇒投稿すればいいだけではなく、曲は聴いてくれる人がいてこそ広がっていくもの
木も環境が整っていないと育つことができない
どちらも『他の誰かの存在が必要になってくるもの』ハチさんは「広げる・育てる役目」は自分ではないという考えがあるから
『(動画投稿)後は誰かが勝手にどうぞ』
⇒自分でどうこうできる/するものでは無い


ということなんではないかな……?と考えていました

考察とは言ったものの、対談の言葉をそのまま当てはめて文章に直しただけなので、
筋の部分はあっていると思います。


上でも言った通り、(ハチさんの楽曲なのに)
『砂の惑星』をそのまま受け取る人が他の楽曲と比べて多いのはなんでだろうと思うんですよね。


「伝わらなければ意味が無い」という人もいるけど

作り手側(ハチさん)の意識として
『嘘や余白は表現のひとつ』と仰っていて、それが凄くしっくりきました。
(自分もそういう作品が好きなタイプだから)

そしてハチさんの作風も"そう"だと思うので
好みはあっても時間が経って落ち着いて聞ける今は頭の片隅に入れながら語る必要はあるんじゃないかなと思います。


『好み』と『批評(曲の考察)』は別であるべきだし
どう表現するかは作り手の自由なはず……


もちろん、受け取り手も自由ではある。

でも、ハチさんが予想していた以上に、根本から意図とは反する考察が広がってしまったから質問大会をしたんだろうなと。

上でも言いましたが『マジカルミライの提供曲』で
『ニコニコ動画の環境のこと』という実在する明確なテーマ
があるからこそ、今現在も素直に受け取る人が多かったのかもしれないと感じました。


価値観・立場の違いも絡んできて難しい問題ですね


次は、曲自体から少し離れて、意見がぶつかった
『盛り上がり』について考えていこうと思います


【ニコニコ動画は盛り上がっているのか?】

曲の解釈から派生してこの論争もだいぶ巻き起こっていたなぁと思います。

書いている自分はどう思うのかと言うと

「盛り上がってる!」と自信を持っては言えない派

です。

自分は視点/感覚としてはハチさんタイプなんですが
和田さんの気持ちは理解できます。

ただ、ハチさんと和田さん(批判派の人達)の視点が
そもそも違う
と思うので、
批判派の人達の意見に違和感というか、ズレ
わかるんだけど『違う違う、そうじゃな〜い』
になっています。

これを言いたいがためにこの記事を書いたまである


[和田さん(批判派)の視点]

一言で言うなら、【内部視点(+感情論比重)】
な気がします。

(ハチさんが)いなかった時だって
頑張っている人がいて、盛り上がっていた。
いなかった時を無視して(曲名を入れず)、『砂の惑星』に説得力を持たせようとしているのが気に入らない
※n-bunaさん/ナユタンさん/バルーンさん/Neruさんetc

和田さんの主張(要約)

ニコニコでずっと頑張っている人からしたら
ドライな表現が使われてる「砂の惑星」は堪えるだろうなと思うし、『言わなくてもいいだろ!!』と
なるのも無理はないよなぁ……と

本人としては、そこにいる人や曲自体を腐してるわけではなくても、言葉を自分で尽くすことの出来るTwitterではなく4分の曲だから、受け取り手によって幅が出てしまう。
対談記事読んだ人、どれくらいいんの問題もある


加えて、ハチさんが仰っていた
「リスクをとってでも」「余白・嘘も表現のひとつ」を考えると
、マイナス感情を向けられやすい曲な気もするので、投稿当時は特に
こうなるのは避けられなかったのかもなとも感じた

でも、砂の惑星批判派の人たち、やっぱり
歯をむき出しすぎだよ……(とは思う)


(対談記事の言葉不足感があることを前提に)
意図を正しく理解した上での批判ではないと
思うので、歯にものが挟まったようなモヤモヤは
やっぱりある


事実として
特に2016年辺りはわちゃわちゃ感があったと思うし、この時期に有名になったボカロP/歌い手さんも出てきたよなぁと思います。

ニコニコ内部にとどまらずニコ厨以外の人にも
届く曲が複数あった印象
(シャルル/エイリアンエイリアンetc……)

『すごいことになってきた、盛り上がってるくね?』

と思っていた記憶がある。


昔に比べれば
そのブームの爆発の持続期間/爆発の発生スパン……
人の往来の激しさは続かなくなった気がする
(昔がすごすぎたという見方もあるけども)

なんでかなと考えた時に、(スマホの登場で)
YouTubeの一般的普及/隆盛は無視できないと思う。
※Googleアカ最初から持ってる人多いし




懐古厨云々の話以前に、客観的な評価には『基準』が必要だと思うし、環境の場合『相対的な目線』はどうしても避けられない。

【昔より盛り上がりがない】のは事実だよなとも。



[ハチさん(受け入れ派)の視点]

こっちも一言で表すなら【外部視点(+事実論比重)】

ニコニコ動画のプレミアム会員数は徐々に減少してきていて、すぐそばにはYouTubeのような混沌とした魅力を持った界隈がある。
評価というのは相対的な視点からは逃れられないと考えていて、ニコニコ動画(ボカロ界隈)が比較的に
沈んで見えてしまう

ハチさんの主張(要約)

ハチさんの言っていることは数字として
ハッキリ出ている事実ではあるんですよね。

それに対して『数年いなかった奴が言うな!』 
という意見も見受けられて。確かにわかるし、
それをハチさんは、承知で投稿した気がする。

仮に活動している人が言ったとしても
『じゃあ、他に行けよ!』と言う意見は出てしまう
だろうと思うし、最初にも言った通り、
内部にいると認識しづらかったり、していても
言い出しづらかったりすると思う。

問題提起をする(現状や事実を可視化する)として
じゃあ誰なら「ニコニコ動画このままで大丈夫?」
って言えたんだろう
って思うと、

  • 今は外で活動している人

  • 昔からニコニコ(ボカロ界隈)を知ってるベテラン

  • (曲で伝えるということを考えると)作風がどうか

  • 曲を出す、発言できるようなタイミング

  • 思うところがあって、明確に意見がある人


と考えると(反発は出てるけど)
改めて考えてもハチさんが適役だったのでは
個人的には思いました。


『見方次第であって、どちらも間違いではない』

これにつきますね。


【個人的に思うこと(盛り下がりを否定できる人が何人いるんだろうか?という話)】

記事を書きながら個人的に思ったことなんですが
自分はすごいひねくれてる意地の悪い人間なので


(ニコニコ動画内部でではなく)
相対的視点で見た時の「盛り下がって来てるよね」という意見を否定できる人はいないんじゃないかな
って思うんですよ。

これに「そんなことないぞ!!」って真っ向から言えるのは、理屈的に考えると
ずっと「ニコニコのみ」に投稿してる人だけなんじゃ?と思ってしまう。

今ニコニコだけの人ってどれだけいるんだろう?

「(相対的にも)ニコニコは盛り上がってるんだ!!」と言うなら、ニコニコ動画だけに投稿しているだけで十分なんじゃないのかな?と…………

個人の意見です




ハロウィンなので、Mrs.Pumpkinとかどうですか?

(読んでくれてありがとうございました)

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