見出し画像

【完結】加賀乙彦長篇小説全集

作家で精神科医の加賀乙彦さんの主要な長篇作品を収録した「加賀乙彦長篇小説全集」が、2024年12月刊行の第9巻をもって、全18巻が完結しました。
この記事では、本全集の魅力をお伝えします。


■刊行にあたって(加賀乙彦)

 敗戦直後の饑餓の中、夢中になってトルストイを読んだのをきっかけに、ドストエフスキーから二十世紀初めの小説に至るまで、ほぼ隈無く読みました。そこで、ヨーロッパの長篇小説の仕掛けの複雑さ、しっかりした骨格を具えていることを知ったのです。私にとって長篇小説を読むことは、飢えを忘れさせてくれるなによりの特効薬でした。
 小説はどのように書いてもよいという自由な世界です。その自由のさなかに、小説家は、独自の物語と文体と思想で作品を書き上げる。そこで提示される世界は、現実世界を独特のリアリズムでもって描き出すという制限をつけている。なぜならば、せっかくの小説の自由を、不自由にする理由は、過度の自由が自分の生きてきた時代を描く邪魔になるからです。
 事実そのものの世界とイマジネーションによるフィクションの世界とは、どこかできちんと接合しています。それが接合されていないと時代や国がわからないような小説になる。日本の小説家である以上、日本の現実と自分の小説の世界が、たとえフィクションであろうときちんと接合していなければならない。そういう形で私は実際の世界とフィクションの世界という二つの世界をずっと生きてきました。その結晶が今回の「長篇小説全集」です。

■推薦のことば

「二十世紀日本をめぐる一大叙事詩」

亀山郁夫(かめやま・いくお)
名古屋外国語大学長、東京外国語大学名誉教授/ロシア文化・文学

加賀乙彦の文学は、まさに二十世紀日本をめぐる一大叙事詩である。そこに「悲劇的」という形容を加えてもよい。加賀はこれを、ロシアの二大長篇作家のコズミックな世界観を引き継ぎつつ、圧倒的なリアリズムと透徹した知性によって実現させた。彼の文学は、時制の扱い、細部の描写、サスペンスの技法などすべての面で先鋭な方法意識を示し、同時に、その人物造形においては、爆発的ともいえる想像力を発揮する。加賀をつねに突き動かしているのは、自らの経験とイマジネーションの現前化に対する狂おしいまでの欲求だが、そこから生まれるリアリズムが同時に限りなく豊かなメタファーの世界とリンクするため、彼の文学からけっして普遍的な希望の回路が見失われることはない。コロナ禍という全体的災厄の時代だからこそ深くシンクロされるべき文学がここにある。

「「全体小説」という永遠の都を目指す」

川村 湊(かわむら・みなと)
文芸評論家
暗く、長いフランドルの冬が、精神医学の徒・小木貞孝を長篇小説の作家・加賀乙彦に変えた。それは心の宇宙を探求する精神医学の世界から、世界を丸ごと、全体として表現する長篇作家へと変身させることなのだ。死刑を宣告された囚人たちと頭医者との魂の触れ合いは、彼の作品世界をドストエフスキー的な深みへ深化させていった。そこには荒野を旅する者たち、湿原をさまよう過激派や殉教者たちが、雲の彼方の都を希求して悶えていた。戦争の時代と、平和の世代の体験の軋みは、作家を帰らざる夏としての戦後を見つめ直させることとなった。錨のない船のように揺れ動く戦前から戦後へと続く日本。そうした激動と変革の世界を、作家はトルストイ的な(プルースト的な、と言い換えてもよい)「全体小説」という永遠の都を目指して描き続けた。長篇小説作家としての加賀乙彦の旅は、これからも続くのである。

「現代において書かれ得る最も小説らしい小説」

沼野充義(ぬまの・みつよし)
名古屋外国語大学世界教養学部教授・副学長、東京大学名誉教授/ロシア・東欧文学

日本の近現代小説史の中で、加賀乙彦はひとり屹立する存在である。若き日に西欧近代小説を耽読した加賀乙彦は、やがて世界文学の大作家たちに張り合えるような長篇を自ら書くという野心的な挑戦に乗り出していった。その結果、伝統を踏まえながらも先鋭的であるというほとんど不可能とも思えることを実現し、長篇小説というジャンルが二十世紀後半になってもいまだに秘めていた汲みつくせない魅力の世界を、圧倒的な筆力をもって繰り広げた。『宣告』『永遠の都』のような代表作は次々とロシア語に訳され、加賀乙彦はいまやロシア文学という大森林の中で、ドストエフスキー、トルストイと並び立つ作家になっている。加賀乙彦が書いてきたのは、現代において書かれ得る最も小説らしい小説の数々である。この長篇小説全集は小説の勝利を示すものに他ならない。

■概要

◎各巻に著者年譜・著作目録付
◎著者の最終校訂を経た決定版

造本:四六判上製・カヴァー装/本文13級・1段組/各巻平均520頁
装幀:水戸部功
定価:各4,180円(税込み)

◎目次
一  フランドルの冬
フランドルの若き日本人精神科医の日々を描いた長篇処女作。芸術選奨新人賞受賞
二  荒地を旅する者たち
パリに暮らす一留学生の異常な青春体験を描いた長篇第二作
三  帰らざる夏
陸軍幼年学校の特異な日常を鮮烈に描く。谷崎潤一郎賞受賞
四  宣告 上
五  宣告 下
独房の中で苦悩する死刑確定囚たちの赤裸な実態。日本文学大賞受賞
六  錨のない船 
戦争に翻弄される外交官一家の肖像を描いた歴史長篇
七  湿原 上
八  湿原 下
冤罪に巻き込まれた男女の魂の救済と愛の意味を問う。大佛次郎賞受賞
九  高山右近/ザビエルとその弟子/殉教者
高山右近、ザビエル、ペトロ岐部。波瀾の生涯を描いたキリシタン小説三部作
十  永遠の都一 岐路
十一 永遠の都二 小暗い森
十二 永遠の都三 炎都 上
十三 永遠の都三 炎都 下

東京を舞台に外科病院一族が繰り広げる自伝的大河小説。芸術選奨文部大臣賞受賞
十四 雲の都一 広場
十五 雲の都二 時計台
十六 雲の都三 城砦
十七 雲の都四 幸福の森
十八 雲の都五 鎮魂の海
『永遠の都』に続く自伝的大河小説の戦後編。毎日出版文化賞特別賞受賞

■プロフィール

加賀乙彦(かが おとひこ)
1929(昭和4)年4月22日、東京市芝区三田綱町にある母方の祖父が経営する野上病院にて生まれる。陸軍幼年学校在学中に敗戦を迎える。東京大学医学部卒業後、1957年から60年にかけてフランスに留学、パリ大学附属サンタンヌ病院で学んだ後、北仏サンヴナン病院に勤務。帰国後、犯罪心理学・精神医学を研究。
1964年、立原正秋らの同人誌『犀』に参加。高井有一、岡松和夫、白川正芳、佐江衆一、金子昌夫、後藤明生らと知り合う。また、辻邦生を通じて、同人誌『文芸首都』にも参加。
1966年、長篇『フランドルの冬』の第一章を太宰治賞に応募し、次席となる。翌年後続部分を加筆して単行本を刊行、芸術選奨新人賞を受賞。1968年、短篇「くさびら譚」で第59回芥川賞候補。1969年、上智大学文学部教育学科心理学専攻教授となり、1979年まで勤める。1973年、『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞を受賞
1979年、上智大学を辞し、執筆に専念。同年『宣告』で日本文学大賞受賞。1985年、『湿原』刊行、翌年、大佛次郎賞受賞。1987年のクリスマス(58歳)にカトリックの洗礼を受ける。1998年に『永遠の都』で第48回芸術選奨文部大臣賞受賞。2000年、日本芸術院会員。2005年、旭日中綬章受章。2011年、文化功労者。2012年、『雲の都』(全5巻完結)により毎日出版文化賞特別賞を受賞。
その他の著書に、『ドストエフスキイ』(1973)、『死刑囚と無期囚の心理』(小木貞孝名1974)、『犯罪ノート』(1981)、『ある死刑囚との対話』(1990)、『鷗外と茂吉』(1997)、『不幸な国の幸福論』(2009)、『ああ父よ ああ母よ』(2013)、『わたしの芭蕉』(2020)など多数。