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背伸びするとは、無駄かもしれないと覚悟を決めて続けることかも。

「背伸びしてすごいしんどい思いして撮った作品じゃないとお客さんは満足してくれない。自分でお金を出すんだって思ってしまうと話が小さくなってしまう。いくらかかっても構わない。そんな気持ちで脚本を書いた。」

日経MJ10月18日14面

侍タイムスリッパ―というインディーズ映画安田淳一監督のインタビュー記事。
お客さんがよろこぶものをつくるためには、「やっぱり、そうだよなー」という感想。背伸びしてか・・・。改めて「背伸び」の意味を調べると「実力以上のことする」とある。言い換えるとこれは、自分で限界を決めないということなのだろうか?そう考えるとゴールの見えない状況で、ひたすら走り続けるのか。スタッフではなく、監督として、プロデューサーとして自分で決めたからできるのか。スタッフでも、「自分の映画だ!」と思えればできるのか。

パチンコ番組ってアタリがこないと、ほとんどトークが使われないんですね。だけど収録の3時間、4時間でも喉が嗄れるくらいしゃべりながら、どこか使われたらいいな、くらい喋ってて。そしたらあるときプロデューサーに呼ばれたんですよ。「仁くん、えらい。俺また呼んでやる。他の人たちはアタリがくるまでみてるだけだけど、仁くん、使われないってわかっててもなんとかできることやろうとするでしょ」って。

2024/10/24文春オンライン城咲仁インタビュー#2

この記事を読んで、「背伸びしてしんどい思いする」って、こういうことかなと。無駄かもしれないと思っていても、とにかく覚悟を決めて、続けること。城咲さんは、笑ってくれる人が一人でもいればありなんだ。とも言っている。誰かに評価されるためではなく、見えない視聴者のため、無駄かもしれないことをする。喜んでもらえる・・・かもしれないから。

いろんなものがあふれかえっている現在、一昔前みたいに、「いいものをつくれば、売れる。」時代ではないらしい。背伸び+しんどい思い+客がたのしむ姿を想像して、はじめて差別化の入り口が見えるのか。きびしいね。

映画をつくるより、見てくれるかな、楽しんでくれるかなを優先。ものをつくる、売るより、知ってくれるかな、買ってくれるかなを優先か。

あと、「自分でお金を出すんだと思ったら、話が小さくなる。」は、よくわかる。身銭を切るのは痛い!もちろん予算はあるから、その範囲内でしなければならないんだけど、いろいろと渋ってしまう。でも、やる人は金つくってくるんだと感心。すごい。

補助金の事業計画で言えば、いろいろ話し合って、盛り上がって、
「じゃ、その方向でまとめますか。おもしろいと思いますよ!これができたら。」となってときに、「えっ?採択されたら、ほんとにしなければならないの?」となり、現実的というか現状で考えるので、スケールがちっちゃくなりがち。まあ、身の丈ということもあるけれど、そこはお金の部分ではないなら、「背伸び」してほしい。と思うこともある。

この踏み込める勇気と行動ある人がうらやましい。どうしても損することには敏感だから。risk(リスク)は危機と訳すこともできる。危機=危険と機会。でも、日本では、危険と訳すこと多い。機会もあるのにね。リスクに向かう、その勇気と行動力どうやったら手に入る?

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