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初鹿野ことなの言葉を思い出しながら

先ほど、初鹿野ことなというVtuberが引退していたことを知りました。

私は彼女のことを今年の一月から3ヶ月ほどかけて追っていたのですが、その時の彼女の言葉を忘れたくなくて、文字に起こしたものがあったので、そちらを勝手ではありますが共有させていただきます。

なお、文章は口調をそのまま書き写したものなので、多少読みにくい部分があると思います。また、写しが完璧である保証もないです。

問題がありましたら削除いたしますので、コメント等でご連絡ください。


ツイキャス編

異常

最近もうネットが発達し過ぎて、知識を得る機会が多過ぎて、診断も受けてないのに自分でそうかもと思って名乗る人も多いわけじゃん。
けどさ、実際にその特性を得てるかどうかわからないけど、少なくとも、そういうのをみて、自分はこれだと思って、決めつけて、それになりたがるって、十分な異常性だよな。
だから、実際にそうじゃないとしても、別の異常性を持ち合わせているんだろうよ。
鬱とかもそうだけど、当事者からしたら、なりたくてなってるわけじゃないからふざけるなっていう話かもしれないけど、鬱ということにしておいて欲しいと思う人も十分異常でしょ。
言い訳探して生きてるから?
言い訳になるかなあ。
わかんないけどさ、言い訳を探してそういう特性だったり病気だったりに行き着く人って、だいぶポジティブだよね。
普通にさ、なんでだめなのかってよくよく考えてみたらさ、大体はさ、自分のせいになるじゃん。都合が悪いんだなって思わん?普通に考えて。
自分が、おんなじシチュエーションでも自分じゃなかったらうまくいったんだろうなって思うじゃん。
そこでさ、さらに自分の特性とはいえ、誰しもが共感されやすいような理由に漕ぎつけようっていうのが、したたかだと思うわ。
思わない?

かじかんしよう
https://twitcasting.tv/hajikano_kotona/movie/755184435


この世、全て他人事

この世がどうなるか知っておくことが、私にとって何のためになるのかがわからなくて。
けど、知らない人の感情の揺れ動きだかは、みたいじゃ無いですか。
だから本当に、性格が悪いんだと思うんだけど。
(略)
どっちかが偏ってたらありえないんですけど、自分のことを多面的にみるには、他人のことを多面的にみれないといけないんですよ。
そうやって冷静に捉えることが大事なんですよね。
自分の主観だけでいうと、私なんて好かれるわけない!!ってなっちゃうじゃないですか。
でも、他人が嫌われているのをみると、私にとってこんなに素敵な他人も、誰かに嫌われることがあるのだから、私が好かれていても、そういうこともあるだろうなって、そういうふうに思うんですよね。
(略)
インターネット活動の一番いいところは、全て他人事だからなんですよね。もちろん、私は私だけど、そのすべてではないじゃないですか。
活動している私という側面を、見せているだけなので、他人事なんですよね
他人事でも、自分じゃないですか(笑)

平日昼間のヒロインです
https://viewer.twitcasting.tv/hajikano_kotona/movie/753196226


ささやかな幸せを手放して

ささやかで手放してしまった
君たちが日頃感じている、幸せな時間があるでしょ?
そういうのって、そのうち、自分のどうでもいい無から生まれるようなさ、くだらない不幸な感情に潰されてしまうんでしょ?
そういうのを!
消えてしまうのと一緒で!
私のツイートも消えてしまうんですよ!わかりますか!
君たちがささやかなだけで拾い上げなかった幸せを手放してしまうように、
私も自分のささやかな気持ちを手放してしまうんですよ
鏡なんです、鏡
君たちの鏡が私なんですよ

モイ!iPhoneからキャス配信中 -
https://viewer.twitcasting.tv/hajikano_kotona/movie/753198020


全肯定

全肯定にはなりたくないな、そうね
傷を舐め合うにしても
全肯定って結局は、わかったふりにすぎないんですよね
全肯定って言葉が悪いと思うけどそれは
全てを肯定してるんじゃなくて、わかる手前でブレーキを踏んで、褒めてるに過ぎなくない、全肯定って
なんか、職場の人との会話みたいなもんだよね
別に共感しているわけではないけど、「あー」って言って、それと一緒じゃない?
理解を諦めたってことなんだよ、全肯定っていうのは

「自分の長所を誇ってるかどうかというより、自分に飽き飽きしてるんですよね 他の人は知らないけど… 」
そう、ってか、自分の長所があんまり目に入らないんですよね
自分が好きじゃないから
好きじゃないならなんでTwitterやってるんですか?はて?
自分のことが好きだからTwitterやってるわけじゃないんですか?はてー?
自己嫌悪とナルシストのはざまにいるんだよ
助けてくれダレカー

いやアンケートでYouTubeだったのにツイキャスなんかい
https://twitcasting.tv/hajikano_kotona/movie/746808544


Youtube編

理想通りの人間

先ほども理想の話をしましたが、その理想っていうのがあるんですよ、私の中にはね
こうであろうっていう、なんだろうな、その、
理想っていうのはさ、他にあったら理想ではなくない?
自分のしたいような配信をしている人がもういるなら、別にしなくてもいいと思っているんですよ
けど、その私がしたい配信を、見たことがないだけかもしれないけれど、している人がいないから、他がないなら私がやるしかないじゃないっていう、思いがあるんですよね
これ、生きている時も常々思っていて、
私がこういう人間になりたいっていう人間が生きていたら、その人を近くで見たいっていう願望に変わると思うんですよ
けど、私はまだ生きていて、自分の理想通りの人間に出会ったことがないので、その人をそばで見守ることはできないじゃないですか
まあ、私はとっくに自分の理想になれる可能性っていうのはなくなってしまったんですが
それでも自分の理想の人間が、いない間は、理想を持ち続けるしか、ないですよね?

初鹿野ことなちゃん2周年イェイイェイフェスティバル~1年を振り返っちゃうぞ☆~
https://www.youtube.com/live/STM4vZnAf9Q


自分の死に鈍感な人は他人の死に敏感なので

【よかった話】ちょこっとなラジオお便り大清算SP‐よかった話編‐【Vtuber / 初鹿野ことな】
https://youtu.be/QkASKsBqp8o


ここから自分語り

初鹿野ことなさんを見ていた期間は本当に短いですが、自分にかなり影響を与えてくれた人物だったと、今なら感じます。

彼女の言葉は自分自身を刺すことさえ厭わないほど鋭利で、自分の中にあった負の感情を丸ごと言語化してくれるような心地よさがありました。

しかし、その言語化の委託が私にとって、私自身が何を考えているのかすらわからなくなるほど彼女の言葉の海に浸かってしまっていたため、それが怖くなって見るのをやめてしまいました。

それほどに彼女の言葉は、それ自体がアイデンティティになるほど自分にとって重みがありました。

どんな形であれ、彼女の言葉がまとまった何かさえあれば、もう少し心の安らぎにはなるのでしょうが…そんなことを考えていてもしょうがないですね。


現時点では、Youtubeでの動画やライブ配信のアーカイブはまだ残っているようですが、ツイキャスとTwitterのつぶやきは完全になくなってしまったようです。

そのため、ツイキャスから主に言葉をお借りしました。



私はキモいVtuberオタクをしていたこともあったので、引退してしまったVtuberの転生先を調べたりすることが癖になっていた時期もありましたが…

結局、転生先の配信を見たところで、なにも感情が動かないまま、離れてしまうんですよね。

だから、Vtuberの引退は、死より少し柔らかい、ただ死とほぼ同等の別れを意味するんです。

まして、彼女は「初鹿野ことな」を最後のインターネット活動と宣言していたようですので、もう出会うことはないかもしれません。

さまざまな苦労があったようですので、現在は幸せで平穏な日々を暮らしているよう、願っております。

長くなりましたが、ご拝読ありがとうございました。

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