♯小説「魅了」
お酒香りもタバコの匂いも苦手なのに、またこの場所に立ち寄ってしまった。
会社が終わったフラフラな足でいつものように、席に案内されては腰を下ろす。
自分の雰囲気には似合わない小洒落たショーレストラン。ネオンの光に強いお酒の匂いは、未だに慣れないのか鼻が刺激される。
それでもここにきたい理由があったからだ。
「あっ、またいらしてくれたんですね。」
透き通った真珠のような目に軽くかき分けた前髪。
いつも香るスズランの香水の香り。
目を細め優しくほほ笑みかけるその笑顔が私の暗い心を明るくさせてくれた。
「はい、また来ちゃいました」
「ありがとうございます、いつものやつでいいんですよね?」
軽くうなずくと、その場を離れ 私の目の前にオレンジジュースを用意してくれた。
お酒が苦手だという私にいつも特別に用意してくれるのだ。そんな心遣いですら暖かく、嬉しかった。
「あっ、そうだ。これを。」
そういい、ポケットから小袋に入ったクッキーを出してきた。
「これ手作りで…。
他のスタッフにも配ったんですが、1つ余ってしまったのであなたに。
他のお客さんには内緒ですよ?」
人差し指を口に小さくあて、ふふっと笑う。
クッキーを受け取り、自分も小さく微笑んだ。
「ありがとうございます、内緒にしますね。」
彼の真似をして自分も人差し指を口に当てると、彼はまた目を細め優しく笑った。
そうして、彼は背中を向けていつものように仕事を始める。そんな彼からいつも目が離せなくなる。
気配りができて、いつも丁寧で…。
そんな彼に会いたいと思う人はきっと私だけじゃないと思う。彼の笑顔や仕草は人を癒す不思議な力がある気がしてならないのだ。
でも、どうして こんなにも優しくしてくれるんだろう。
たった1つ余ったクッキーを他のお客さんではなく、私にくれたりしてくれたんだろう。
こんなこと考えたってくだらないのに。
けれど、私はそんな優しくてずるい彼に"魅了"されているんだろう。