デュエルマスターズが今も昔も最高すぎる話をさせてほしい
デュエル・マスターズ。現在20代後半〜30代前半の男性であれば、多くの方が小中学生のときに遊んだことがあるのではないかと思う。
でも、小学生の時から今現在まで、ずっと遊び続けている人というと数はまあまあ減少するのではないだろうか。薄情な話ではあるけれど、デュエルマスターズは(というよりもカードゲームは)、いつか通り過ぎてしまうもの、という印象がやっぱり少しはある。というのも自分も例には漏れず、周りの友人が引退していくのにつられて、中学生の頃に辞めてしまった人間だからだ。
あれから15年近くが経った。何もかもが変化するのに十分すぎるだけの時間だ。進学、上京、就職、家族との離別、結婚……自分に関してだけ挙げてみても、変わっていないものの方がきっと少ない。そんな今の自分の手に握られているものは何か。あるときは仕事用のマウスであり、あるときは妻の手であり、そしてまたあるときは――《凶戦士ブレイズクロー》が、《ヘブンズ・ゲート》が握られている。
そう、私は、戻ってきてしまったのだ。この、ちょっとおバカで、でも最高にカッコよくて、最高にエキサイティングで、最高に熱いカードゲームに。
これは、私という一人の名もなきDMPとデュエルマスターズとの出会いと別れ、そして再会する物語を――という体で書き始めたつもりだったんですが、気付いたらデュエマへのクソ長ラブレターみたくなっていました。すみません。もし少しでもみなさまの暇潰しになりましたら、こんな幸いなことはありません。
1. 出会い、そして別れ
自分がデュエルマスターズと出会ったのは、小学1年生の頃、兄の影響でだった。ある夜、兄が友達からカードを貰ったとかなんとかで、自分はルールも何もわからないそのカード群をまじまじと見ていた。そこからどうハマっていったのかは正直詳しく覚えていないのだけど、これ以上何かにハマったことはない、と言えるぐらいにはデュエルマスターズに夢中になった。
夏休みに京セラドームで開かれたWHFに行って《悪魔神バロム》のTシャツを買ってもらったこと、誕生日に《超神龍アブゾ・ドルバ》を買ってもらったこと、新パック発売日に朝早く起きて兄とおもちゃ屋さんへ行って《バジュラズ・ソウル》を当てたことなど、自分の小学生時代の記憶は8割近くがデュエルマスターズと結びついているといっても過言ではないような気がする。
インターネットという叡智を授かってからはメタゲームというものを知って、《恵みの化身》と《ミスティック・クリエーション》で《ヘル・スラッシュ》を使い回したし、《無双竜機ボルバルザーク》の効果で何度も自爆しまくったし、《不滅の精霊パーフェクト・ギャラクシー》を《母なる紋章》で増殖させまくったりもした。
それだけ自分はこのカードゲームにどっぷりだった。持病でスポーツや体を動かす遊びを禁止されていた自分にとって、デュエルマスターズは心の拠り所であったし、学校でデュエマが強いということは、自分のような人間にとってアイデンティティーのひとつでさえあった(すみません。ちょっとシリアスぽく書いたものの、根っからのオタクくんなので別にスポーツを禁止されてなくてもデュエマに夢中だったと思います)。
そんなに夢中だった自分でも、兄や友人といった対戦相手がいなくなるにつれ、呆気なくデュエルマスターズから離れていった。ちょうど超次元ゾーンが登場する直前ぐらいで、デュエマに大変革が訪れそうな機運も高まっており、"離れる理由"にしやすかったことも影響していたと思う。
二束三文にしかならないのに、そのとき持っていたカードの8~9割近くは売ってしまった。もしタイムマシンがあったら顔が隕石落ちた後みたいになるまで殴ってでも止めたい。それで得られるお金なんて、ちょっと真面目に働いたら一瞬なんだからよ……!
2. 再会とシャングリラ
そうしてそんなもの端から知らなかった、とでもいうように完全にデュエルマスターズのことを忘れて生きていた大学生の頃、ぼーっとネットで暇を潰していると、Youtubeが一本の動画をおすすめしてきた。
今はYoutubeでの活動は引退されてしまったが、しゃまさんという方のこの動画だ。
《暗黒王デス・フェニックス》。当時デュエマをやっていた小学生なら誰もが憧れたであろうこのカード。切札勝舞時代の原作漫画の最凶ヴィラン、ザキラの初代切り札でもある。自分が現役だった頃のカードでも使い方次第で今でも活躍できるんだ!という驚きと感動があった。今振り返ってみると、これってスタンダード落ちがないデュエマならではだよなあ。
それからは本当に、遊んでいなかった時間を取り戻そうとするかのように、デュエマの動画を見漁った。懐かしきカードキングダムの動画から、flat工房やフェアリープロジェクトといった現代デュエマを主に取り扱っているチャンネルまで。ツインパクトのカードを動画でよく見かけたし、確か当時は双極編の頃だったと思う。
いろんな動画を見ていく中で、自分は一枚のカードに出会った。その名を《「無情」の極 シャングリラ》といった。《シャングリラ》は私がデュエマから完全に離れていた時期のカードだったけれど、その背景にある物語を知って、好きにならないではいられなかった。今では「デュエマで一番好きなクリーチャーは何か」と言われて真っ先に出てくるのは彼女(デュエプレ準拠)だと思う。
《シャングリラ》の何がそんなに魅力的なのか。それを語ることは、そのままデュエマの魅力を語ることとイコールである。とはいえ本筋の話から逸れてしまうし、ただでさえダラダラと書いてきてしまったので、こういうところはさらっと触れるぐらいにしておく。まずそもそも、デュエルマスターズには背景ストーリーというものがあって、
それはクリーチャーたちが住む世界の大河ドラマみたいなもの(闇文明が侵攻して自然文明の森が焼き払われて、それがきっかけでまた何か起こって、一方水文明はある壮大な計画を企てていて……みたいな)なんですが、こいつはそのストーリーのラスボスの一人。それを踏まえて、背景ストーリーにおけるこいつの出自について簡単に紹介させてください。背景ストーリーについてとても詳しいわけではないので、間違っていたらすみません。まず前述したクリーチャーたちの世界の歴史とは、戦いや争いの歴史とほぼイコールでした。すると、いつ敵が攻めてくるかわからないから、自分たちの文明を守る存在が必要です。そうして光文明が作ったのが守護者という種族。ガーディアンは第1弾から登場している超古株種族で、《ラ・ウラ・ギガ》とか、デュエマを触ったことのある人なら誰でも一度は見たことがあるのではないでしょうか。自分たちの存在意義に則り、光文明を守るガーディアンたち。でもあるとき世界がめちゃくちゃのめちゃくちゃになってしまって、光文明の本拠地である天空都市は同胞を切り離して地上に追放し、絶対的な防御体制に入ってしまった。つまり本末転倒なような気もしますが、個よりも全体(文明)の維持を優先したという感じでしょうか。他の同胞とともに追放されていたガーディアンは、地上の争い事に巻き込まれる同胞を守らなければならなかった。そもそも光文明が天空に都市を構えていたのは、地上の厄介ごとに巻き込まれないようにという意図も確かあったはずですから、当然といえば当然の状況。同胞を守るために、敵を排除し続けるガーディアンでしたが、ある時自らが抱える圧倒的な矛盾に気付く。それは、「敵は排除しなければならない」という憎しみの感情と、それとは全く相反する「誰も彼も守ってやりたい」という愛の感情。ガーディアンにとっては、本来排除の対象であるはずの敵でさえ、いつしか守ってやりたい庇護の対象になっていた。そうして自らの存在意義に矛盾を抱えてしまったガーディアンから、始まりのゼニス(なんかでかくて強いやつ)である、シャングリラが生まれた。彼女の目的は、己の抱えた矛盾を解決するために、すべてをゼロにすること。だから彼女は、争いを止めることのフレーバー表現である「相手のクリーチャーは攻撃できなくなる」能力を持っているし、名前にある「無情」とは、つまりそういうことなんです。相手のクリーチャーを除去する効果も持っているけれど、破壊や墓地に置くのではなく、山札に戻してシャッフルする。シャングリラは破壊なんてしないんですよ。ただ命を還してあげるだけ。しかも、その除去効果を使うためにはメテオバーンといって、自分の下にあるカード、つまり自身を構成している核――魂を捧げなければならない。これって自己犠牲以外の何者でもない。『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニはカムパネルラにこう語った。「僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」と。なんか、シャングリラの根底にもそれに似た精神が流れているような気がしてならない。どれだけ自分が必死で掬い上げようとしても、命はその指の間からさらさらと零れ落ちていく。そのとき、ガーディアンは、シャングリラは、いったい何を想っていたんだろう。きっと、己の魂を削ってでもみんなを幸せに、楽にしてやらないとと思ったのではないのかな。すみません。この文章書きながら、正直ちょっと泣いてます。いや、何回見てもすごいな、このクリーチャー。デュエマ開発陣のセンスが研ぎ澄まされ過ぎている。こんなにも切なく魅力的なラスボス、名作RPGぐらいでもなかなか見れなくないですか。個人的にシャングリラと肩を並べるラスボスは、『ファイナルファンタジー14 漆黒のヴィランズ』の彼ぐらいなもの。あとついでにもう少しだけ書いておきたいことがあって。《シャングリラ》と同じパックに収録されている《ヘブンズ・サンダー》というアンコモンのカード。このカードのフレーバー・テキストには、こうある。「何かを守ろうとするには、誰かを傷つける覚悟を持つことだ。」凄すぎかいって。たった一文で《シャングリラ》が抱えこんだ矛盾に対する答えを出すなんて。いや、でも本当にそう。世界中みんなのことを守りたい、でも誰のことも傷付けたくない、それはとても優しいようで、甘ちゃんな考えだ。でもそういう甘ったれた矛盾に陥ることって生きているとありますよね。書いてて気付いたけど、《シャングリラ》の好きなとこってそういうとこかも。人間臭さというか。ゼニスというクリーチャー世界の中で上位に君臨する神にも近い存在なのに、その根っこのところはとても人間臭い。もっと早く主人公に出会っていれば、すぱっと一言もらっていれば、意外なほどさっぱり解決できていたような葛藤。そして仲間にも加わっていたはず。いや~~~切ない。やっぱり良いラスボスっていうのは、主人公と表裏一体というか、根本的な思想が似てるんだろうな。方法や手段を間違えたというだけで、抱えている思想や問題自体は誰よりも主人公に近い。あとデュエルマスターズ的な視点で言うと、ガーディアンっていう昔からいたけどメイン級ではなかった種族にスポットライトを当てたのもすごいよね。誰しもがラスボスのような、世界を揺るがす存在になりうるってことなのかも。更にとても個人的な話で言うと、この時代のデュエマには正直偏見を持っていた。《ドンドン吸い込むナウ》とか、明らかにおふざけが過ぎるカード名が出始めて、あの頃のダークでクールなデュエマを返して……と思っていた。で、これ。《シャングリラ》ですよ。なんだ、正当にカッコいいカードも然るべきタイミングがきたらしっかり作ってくれるんだ、となった。しかも自分が好きだった頃のデュエマを更に上回るぐらいのハイセンスと高出力で。じゃあ普段のおふざけは単なる"外し"なんだなと。普段はヘラヘラスケベおじさんだけど、本気を出すとめちゃくちゃ強いオヤジキャラクター的なね。そう思えた途端に「普段はふざけてるけど、締めるときはカッコよく締める」ところこそがデュエマらしさであり、魅力なのかもと思えるようになった。ありがとうシャングリラ。フォーエバーシャングリラ。あとすみません、まだ語りたいことがあって、デュエプレで満を持して《シャングリラ》が実装されて、まあレアリティがビクトリーじゃなくなったとか少し残念な点はあったんですけれども。声ですよね。やっぱり。うわーー女性なんだ!!って。やっぱりラスボスだしなんか重くて低い男声なのかなと思ってたんだけど、でも確かに、考えれば考えるほど《シャングリラ》の性質って女性的だよね。本当にこれは一本取られたというか、デュエプレ開発陣の解像度が高いデュエマオタクっぷりに肝を抜かれた。あとデュエプレの話で言うと、やっぱりトリーヴァシャングリラのことは外せない。まさか《シャングリラ》が環境入りしただけでなく、そのメタとして《逆転王女プリン》の敵クリーチャーもアンタップできる効果が使われ、背景ストーリーの再現となるなんて。これだからデュエマは面白い。そろそろ紙の《シャングリラ》の話に戻らないとか。最近の《シャングリラ》といえばやっぱり邪神と水晶の華の……
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ワロタ。もし真面目にすべて読んでくださった方がいたら申し訳ありません。そうしたこともあって《シャングリラ》のデッキを作ったりはしたものの、この時現役復帰とまでは至らなかった。誰かと対戦したいという気持ちはあったけれど、やっぱりどこかで「この年でカードゲームは恥ずかしい」という気持ちがあって、ずっと一人回しをしていた(寂しすぎ。「孤独」の極?)
そんなこんなで、「久々に再会した初恋の人は今でもやっぱり可愛くて綺麗で、できることならお付き合いしてみたいけど、でも……」といった煮え切れない関係が大学時代の自分とデュエルマスターズの距離感だった。
3. いつでも、どこでも、誰とでも
大学を卒業して社会人になった頃、アプリ版デュエマ「デュエルマスターズ プレイス」(以下、デュエプレ)がリリースされた。
ギガメンテ、アプデ地獄などと揶揄されるように、なかなか問題もあるスタートだったけれど、「大興奮のデュエルをいつでも、どこでも、誰とでも!」の文句に嘘偽りはなく、通勤の時間にはかなり夢中で遊ばせてもらった。実際に向かいに対戦相手がいないときの運負けってこんなに頭に来るもんなんだな、ということもここで初めて味わせてもらった。一点《アクア・サーファー》、南無。
デュエプレに感謝したいのは、自分が紙の方で経験したことのない環境を体験させてくれたこと、そこから派生して、本来出会うはずのなかった新たなマイフェイバリット・カードを作る場を与えてくれたことだ。
前述した通り、自分は超次元ゾーンが登場する直前で引退してしまったので、超次元というものの魅力や強さについて、動画でしか知ることがなかった。《時空の雷龍チャクラ》の強さも《勝利のガイアールカイザー》の器用さも知らないどころか、何も知らないくせに「超次元でデュエマは変わっちゃったからなぁ」という厄介クソゴミオタクのバカナス屑男な偏見を持っていた節さえあった。
しかし実際に触ってみると、その印象は180度変わった。超次元はデュエマをもっっっっと面白いゲームに変えて"くれて"いた。カードが両面に印刷されていて、それが覚醒するとひっくり返る、というギミックは、実際にリアルタイムで紙で経験できなかったことを後悔するぐらいにカッコよく、強く、面白かった。
余談にはなるが、自分がデュエプレを通して初めて使い、そのカッコよさに惚れ惚れしたダントツ一位は《時空の封殺ディアス Z》だ。覚醒の条件こそ厳しめに設定されているものの、一度覚醒してしまえばほぼゲームエンド級の非常に強力な効果を持っており、王手を"詰み"に持っていくような、その感覚がまさに切り札という感じがして、今では歴代好きなクリーチャーの中でもトップ5には入るであろう大好きなカードになった。
自分の中でデュエプレというゲームは、「デュエマで遊んで育って今もデュエマが大好きな人たちが作ったスピンオフであり、"こういうの、欲しいよね"というファンサービスがたっぷりの、アナザー・デュエルマスターズ」というイメージだ。
あと、デュエプレに関していえばシンプルにBGMが良過ぎる。お願いだからAD落ちしたカードに付属しているBGMとかだけでも、少しリーズナブルに買えるようにしていただけないでしょうか。
4. バケモン、登場
新社会人として毎日奮闘しながら、通勤時にはデュエプレに勤しむ生活を半年ぐらい続けていたら、ある日、コロナウィルスで世界がものすごいことになった。正直コロナ禍の3年間ぐらいのことはあんまりしっかり覚えていなくて、長いようであっという間だったような気もする。あまりにも目まぐるしく世界が変わりすぎて時間の感覚がおかしくなってたのだろうか。
その頃の自分はといえば、デュエプレをメインに遊びつつ、相変わらず紙のデュエマは動画だけで追っかけていた。エキスパンションで言うと超天篇~王来MAX辺りだったろうか。ステイホーム中に猛烈にカードゲームを触りたくなってMTGを始めたりしたものの、結局対戦相手の問題を解決できずに長続きはしなかった。
そして2023年。コロナ禍もだいぶ明けてきた頃、数年ぶりに満を持して大型公式大会であるDMGP2023が開催された。そしてそこで衝撃的なニュースが耳に飛び込んでくる。自分が当時熱心に追いかけていた「ささぼー」がベスト64に入賞したのだ。
詳しく説明するとそれだけで記事一本分になってしまいそうなので割愛するが、「ささぼー」は2006年のサマーギャラクシーリーグで日本一を勝ち取った男であり、病みつきになるその独特な口調と圧倒的なデュエプレでのプレイングにより、カルト的な人気を博したチャンネルだ。彼の学生時代の友人である「ちゃんなべ」「おっしー」も抜群にキャラクターが立っていて、間違いなく黎明期のデュエプレを支えたチャンネルだったように思う(ちなみに、今も配信は欠かさず見ているぐらい大好きです)。
ささぼーとちゃんなべの二人が、DMGP2023に向けて、何週間か前から懸命に練習していたことは知っていた。しかし、紙のデュエマに関しては相当長いブランクがあったのに、まさか本当に入賞してしまうなんて。一方で、結果を残したささぼーに対してちゃんなべは本番での結果は振るわず、大会後の生放送でささぼーはこう語った。
心が揺らいだ。好きだと自覚しているのにずっと「この年でデュエマは恥ずかしい」と一歩距離を置いてきたデュエルマスターズ。それを自分よりも年上の人たちがこんなにも真剣に遊んで、こんなにも真剣に悔しがっている。
かっこいい、と思った。自分自身もスポーツなどに打ち込んでこなかったし、スポーツ観戦にも触れてこなかった私は、人が本気で悔しがる姿ってこんなにかっこいいんだ、と初めて知った。これだけ多くの人を真剣にさせてしまうデュエルマスターズってすごいなと思ったし、恥ずかしいと思うことは彼らに申し訳ないとも思った。
その2日後。私の手元には光水火鬼羅starの開発部デッキがあった。更にその2日後には青魔道具デッキが完成した。当時の自分は転職活動真っ只中だったため、リクルートバッグにデッキケースを忍ばせたまま面接を受け、その帰りスーツを着たまま高田馬場のバトロコへ行き、15年ぶりの大会に出た。大人のフリをしているときに、大好きなものをカバンの中に隠しておくの、超おすすめです。大人であることに叛逆していけ!
結果は惨敗。だけどもう、めーーーちゃくちゃ楽しかった。大会後、大学生の方たちが何度も一緒にフリープレイをしてくれて、結局その日はお店が閉店するまで遊んでいたような気がする。
それから人生で初めてのCSに出てみたり、ガチデュエバトルに行ってみたら小学生しか参加していなくて、対戦しながら「最近はフォートナイトが流行ってるんだよ~カードゲームだとやっぱりポケカかなぁ」とか「このCRYMAXジャオウガってカード高くて強いんだよ!」と教えてもらったりした。かわいかった。
5. デュエル・マスターズ
そして今年、2024年4月21日。私は、チームメイトの2人とともに、幕張メッセの前に立っていた。
そう、この日はDMGP2024 Day2ーー3人1組、チーム同士で競い合い、デュエルマスターズが最も強い1チームを決める日だった。
一人はSNSを通じて、もう一人はオンラインゲーム『ファイナルファンタジー14』を通して知り合ったという何とも奇妙な巡り合わせだったけれど、自分のわがままに付き合って誘いに乗じてくれて、練習した1ヶ月間はとても楽しかった。改めてありがとう。
会場に入ると、朝5時起きで眠たかった目がみるみる覚めていくのを感じた。見渡す限りの人、人。3人チーム戦で、1500チーム集まっているのだから、あの場には4500人いたことになる。デュエマってこんなに多くの人に愛されてるんだなあと、開発者でもないのに、胸中に何か熱いものが込み上げるのを感じた。後方腕組み彼氏面すぎる。
開会式を経て、1回戦が始まる。相手チームも自分たちと同じように大型公式大会は不慣れだったようで、緊張がうかがえる。「デュエマ、スタート!」の掛け声とともに一斉に1500ものチームがぶつかり合い、そしてーー大事な初戦、その結果は、負け。対戦相手はアナカラージャオウガで、どうにでもなる手札だったにもかかわらず、重大なプレイングミスをして負けた。
しかし不甲斐ない自分とは打って変わって、チームメイトの2人はとても頼もしかった。しっかり2勝を勝ち取ってくれて、最後の練習のときに話していた「1勝できたらもう優勝みたいなもんだよねw」をあっけなく達成してくれた。
いつもは対面に、画面の向こうにいる仲間が、今日は隣にいる。勝ちも負けも、喜びも悔しさも、全部がまるで《サバイバー》みたいに、チームで共有できる。しかも、自分が追いかけては離れ、でもやっとしっかりその手を握れた、大好きなコンテンツで。こんなに幸せなことってないなと思った。
それからも1敗こそしたもののびっくりするぐらい順調に勝ち進み、5回戦。相手チームのお三方とこちらのチームメイトの1人が同郷どころか大学の先輩後輩だったことが発覚し、試合前にこれまでにないぐらい和気藹々とした空気が流れる。こういうのもオフライン大会の醍醐味。
しかし試合が始まるとそういうわけにもいかない。お互いに3勝1敗。ここで勝つかどうかは、予選を抜けられるかどうかにかなり関わってくる。少し空気がヒリつくのを肌で感じながら、5回戦目が幕を開けた。
15分ぐらい経った頃だろうか。左右のテーブルで決着がついた。1勝1敗。それはつまり2本先取のこのチーム戦において、自分の勝利がそのままチームの勝利であることを意味していた。もちろん、逆もまた然り、だ。
ゲームは終盤。もう次に相手にターンを返してしまえば、相手の切り札《DARK MATERIAL COMPLEX》が動き出して、一瞬で決着がついてしまうことは明らかだった。泣いても笑っても、これがラスト・ターンだ。
相手のバトルゾーンにブロッカーはおらず、シールドは1枚。それに対して、こちらの攻撃できるクリーチャーはたったの2体。つまり相手の最後のシールドが《ホーリー・スパーク》はおろか《デーモン・ハンド》だったとしても、シールド・トリガーを踏んでしまった時点でこの刃は相手の喉元に届かない。これだけ長い月日が経ったのに、未だに最後の最後は「シールド・トリガーがあるかどうか」というただその一点に収束していく。このシステムは何時までも何処までも、このゲームをデュエルマスターズたらしめていた。
「《アビスベル=覇=ロード》で攻撃します。」
「通ります。」
対戦相手が祈るように、願うように、ゆっくりと最後のシールドをめくる。
15年前。私は毎日、公園で日が暮れるまで友達とデュエルマスターズで遊んだ。家に帰っても、今度は兄とデュエルマスターズで遊んだ。
15年という年月は、何もかもを変えてしまうには十分すぎるだけの時間だ。……今ではあの頃の友達の連絡先さえ知らないし、兄も私も家庭を持って、それぞれの人生を歩んでいる。
でも今の自分は、大人になって新しくできた仲間と、またあの頃のように、デュエルマスターズに夢中になっている。何もかも移りゆくこの世界で、変わらないただ唯一のこと。それは、昔も今も、私はデュエル・マスターズのことが大好きで。そしてこのカードゲームは、とんでもなく面白く、熱く、心躍るってことだ。
これまでいったい何度、シールド・トリガーに天国を見て、地獄へと引きずり降ろされたのだろう。ただの運ゲーじゃん、そうやって吐き捨てることもできるし、現に自分だってその台詞を何度も口にしてきた。でも、今この瞬間だけは。この胸の高鳴りこそが、何よりも、私たちがデュエル・マスターズで遊んでいる証明だ。運ゲー上等。勝っても負けても、この試合は、最高に楽しかったんだと胸を張れる。
「……何も、ない、です。」
肩の力がふっと抜けて、今にも叫び出しそうになる。込み上げる喜びを押し殺して、ありがとうございました、と対戦相手に礼を言う。「ごめん、俺のせいで」と何度もチームメイトに謝る対戦相手に申し訳なさを覚えながらも、でもだからこそ、全力で戦うことができてよかったと思った。
結局、その後、残念なことに連敗してしまい、最終結果は4勝3敗。個人戦績も同じく4勝3敗。華々しい戦績ではないかもしれないが、3人とも初めての大型公式大会で、社会人ともなれば上々な結果ではないだろうか。あと1勝で予選完走できていたという点だけ少し悔やまれたが、そんなことは仲間とともにお疲れ様ラーメンを食べていたら簡単に吹き飛んだ。
大人になっても、こんなにもワクワクさせてくれるコンテンツがあること。子供の頃夢中だったコンテンツが、今もずっと多くの人に愛されながら続いていること。それは決して当たり前のことじゃないと、社会に出て端くれながらもモノ作りに携わる仕事をするようになって初めてわかったことだ。新しいことに挑戦することの怖さ、難しさ。ひとつのことをずーっと続けることの大変さ。子供の頃とは、違った視点で、またデュエマのことが好きになった。
デュエルマスターズは、今も昔も、最高のカードゲームだ。
6. 最後に
27年間積りに積もったデュエマへの愛を語っていたら1万字を越えてしまった。長々と書いてしまったけれど、結局この記事で言いたいことはたったのひとつだけ。
デュエルマスターズをやってください。やってみませんか。いや、やっていただけないでしょうか。昔も今も、このカードゲーム、バカみたいに面白いので。
……でも、お高いんでしょう?きっとそう言う人がいるだろう。その言葉、待ってました。そんな貴方に、『いきなり強いデッキ』というものが存在する。定価はたったの550円。マックでエッグチーズバーガーセットを一回我慢すれば、第一線級で戦えるぐらい強いデッキが買える。(本当は高いカードを入れたらもっと強くなるのだけど、そんなことはハマってから考えればいいと思う)
とにかく!すべての人にデュエルマスターズの楽しさを知ってほしい。自分が言いたいことは、それだけです。しかも今は公式がめちゃくちゃ頑張ってくれているおかげで、デュエマを始めるのに絶好のタイミングなんです。
では、もしここまで読んでくださった稀有な方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。そして開発者の皆様にも、こんなに面白いカードゲームを作ってくださって、本当にありがとうございます。
また、どこかでお会いしましょう。
……すみません。最後に謝らせてください。この記事にはひとつ重大な嘘がありました。冒頭、エモさ重視で《凶戦士ブレイズクロー》や《ヘブンズ・ゲート》を握ってるって書いたんですが、それは嘘です。いや、その2枚がバリバリ現役なのは紛れもない真実なんですが、自分が握っているのはほんとは《邪幽ジャガイスト》です。あいつ、強すぎるので。
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