親父
これは僕の自慢話です。
皆さん父親いますか?
世間一般ではきっと
あなたが20歳なら50~60歳あたり?
あなたが30歳なら70〜80歳?
もしかしてもう父親ですか?
母親の方もいますよね。
親と子との「狭間」の人もいるでしょう。
僕は20歳で、親の立場に立った事がないからこそ、今のうちに親についての考えを残しておきたいと思います。
きっと親になってしまった時には新しい考えと共に、今を失ってしまうから親になってないからこそ「今」だと思いました。
是非、「子の立場」「親の立場」両方で受け取ってみてください。
僕の話です。
養子なんですよ。
正確には里子?です。
僕には「血のつながった父親」と「育ての親父」がいるんです。2人の父親がいます。
前回の記事を読んでもらった方は理解しやすいかと思うんですけど、この「育ての親父」が御蔵の親父です。
どうも「血のつながった父親」を“おやじ”とは呼べないんですよね。なので以下
「血のつながった父親」=父親
「育ての親父」=親父
とします。
順番変わっただけじゃわかりずらいですね(笑)
でも僕の中でおやじとちちおやは別物なのでこれで行きます。
6歳以前の記憶がかなり曖昧なのですが、どうやら施設に入っていたらしく小学校に上がると共に里親さんのところへ移りました。
父親の下で暮らしていたのは〜1歳ほどだそうです。記憶のかけらもありませんよ。
そこから飛んで12歳・15歳と面会をしています。
教わった事、学んだ事は殆どないんです。
「こうなっちゃダメだ」とゆう反面教師に近いものは感じました。
実の息子に10何年ぶりに会いそう思われてしまう、
きっと僕だけじゃないんですよね。
違う環境で「こんな大人になりたくない」と親に思ってしまった子、思わせてしまった親や人がきっと沢山いますよね。
子にそう思わせてしまったら、、、きっと虚しい、やるせないで収まらない感情に押しつぶされる気がします。
ここまで想ったら学びになってくれますかね。これが僕の中の父親です。
小学生から里親さんの元で暮らし始めました。
初めの親父の印象は、
不潔と爺でした。
肌とゆう肌から粉が出るんです(笑)
肌の弱い方、乾燥肌の方ならわかる人が多いと思うんですけど、あの乾燥しきった皮膚です。僕も乾燥肌なのでわかります。
20歳の僕が人に伝えるための表現です。
6歳の僕は粉です。
第一印象「不潔」って笑
その上呼び方は「ぶんじー」です。文爺です。文昭なんでね、名前が。
かっこいい名前ですよね。まぁいいです。爺ですよ。
60手前と6歳じゃ爺が妥当でしょう。でもこれから父なのに。
そこからは基本は長男と親父が喧嘩したり母親に怒鳴られたりと賑やかな家族ですよ。
毎週木曜日に着く貨物船の荷運びへ
僕が小学生の時はムロ釣りへ桟橋へ
中学生になったら漁船でカツオを釣りに
身体も小さく細く非力な僕は小さい段ボールすら運べなくて怒鳴られる。
他の手伝いに来てるれる建設会社の人達に笑われながら1つ運ぶ。
潮を浴びて身体はベタベタ。
小学生2〜3年生に釣りなんて厳しいですよ。釣れなきゃただ暇なんです(笑)
時間に耐える事が厳しい上に話し相手もいない訳ですから。
釣れた人のところに駆けムロアジを観察してまた駆けて潮に濡れた海苔に足を滑らせて泣きじゃくる(笑)
僕は小学生の時、泣き虫でクソガキだったらしいです
そのムロアジをクサヤにして振る舞い、島を赤く染める日を浴びながら店の前で呑む若い衆と観光客。
初めての漁船は苦しかったですね。
うちの親父は島の人からも言われるほど船の運転が荒いんです。
荒いとゆうか乗ってる人お構い無しなんです(笑)
酔っ払いやすい上に寝れないんですよ。船が波に跳ねてしまって。
その上5〜6時に桟橋を出てから帰りは9時前
僕は酔っても吐く事ができなかったので、ただ1時間程耐えるしか無くて、帰り道では顔色が真っ青のまま写真を撮るんです。
親父は写真が好きでよく水色のデジカメをいつも胸ポケットに閉まってあるんです。まだきっと実家のどこかにのこってます(笑)
本当に思い出になりますよね写真って、素敵
次帰ったら探してみます。
帰ったらそのカツヲをじょって(捌いて)晩御飯に食べるんですけど、
箸を持つ手も碗を持つ手も魚臭いんです(笑)
親父が乗ってた車はその臭いが永遠と臭ってました。
飽きないようにたまにツンと来る猫の小便の臭いの時もありました。
冬になり海に出れなくなると
親父は床の間のある家で1番大きな畳の部屋25畳くらいの広さを独り占めし、
乾いた草をボロボロにして馬鹿みたいに汚していくわけです。
少ししてから知るんですけどこれは年末に向けてしめ縄を編んでるんです。
それでも広い部屋に小さなラジオで誰かの声を流し、膝ほどの高さの椅子に深く座って、火鉢で暖をとりながら黙々と稲藁を編んでウラジロを挟む姿がかっこいいんです。
高校生になって御蔵に帰った時は2人で軽トラに乗り込み桟橋に向かい、
車の中で
「おめぇ何がしてぇんだ?俺はお前んくらいの歳の時は御蔵出て少ねえ金で大学出だぞ。
金はあるからなんでもやってみろ」
って
下手くそなりに親父でした。
言い訳をせず、
黙って何かと向き合って、
多く語らず、
人が来ればもてなし、
外に出て季節を感じ、
誰よりも静かで人を傷付けない熱くダサくかっこいい親父
子たるもの親からの数少な過ぎる学びを真似るのが性。
いつか子から、後輩から、先輩から、同僚から、
真似られるような
馬鹿にされながらも芯では尊敬されるような
誰か1人でもカッコいいと言い張るような人になりたいです。
すぐには難しい気もするけど一歩一歩確実に…
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