雑記 _ 彼岸
先月の彼岸前。
僕が企画してオーガナイザーを務めるシンポジウムが朝1発目に待ち受けていてお腹が痛くて泣いていた日。
その日の朝は実家にいる姉から連絡が入っていた。祖母がそろそろ、今日か明日かということ。
シンポを終え、僕はすぐに実家に帰る決断をした。PCR検査で陰性証明を受けてからでなければないということで、最速最良の選択をした結果、翌日の朝の飛行機で帰ることになった。
祖母が亡くなった、と電話がかかってきたのは翌朝の搭乗口前でのことだった。
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彼岸花が好きです。
花にはあんまり詳しくないほうなので有名な花しか知らないのですが、一番好きな花はヒマワリで、たぶんその次くらいに彼岸花が好きです。ヘッダーは去年撮ったお気に入りの白い彼岸花です。
先日、ある人がYouTubeの雑談配信で読むお便りを募集していました。テーマは「秋とか」。
ちょうど彼岸花が終わる時期だったので、萎れた彼岸花が好き…!という主旨のお便りを送ることにしました🍁
彼岸花といえば妖しく華やかな赤い花がとっても綺麗ですよね。彼岸の頃に降る雨の後に一斉に咲くそうで、しかしすぐに枯れてしまう短命な花です。(花が見られる期間は短いですが多年草なのでこれで死んでしまうわけではありません)
華やかに凛と立つ鮮やかな赤も素敵なのですが、ぼくは萎れた姿にも魅力を感じます。そういえば去年にも同じようなことを書いた気がします。
赤い花は萎れるとだんだん紫色がかってきます。
長い雄しべ雌しべは縮れてクラゲのような姿。
萎れていっそう妖しさを増した姿はまた違う美しさがあるなぁと思います。
送ったお便りはしっかり読んでもらえました☺️
「〇〇さんの表現が素敵」「枯れた彼岸花も見てみたいな」とお話ししてくれて、うれしくて穏やかな気持ちになりました。
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祖母が亡くなった。
あぁそうか、そう思った。
そういえば去年祖父が亡くなった時も特にこみあげてくるものはなかった。人はいつか死ぬ。特に老人は、たとえば僕よりもずっと死に近い。あたりまえに終わりを迎えるはずの命が、とうとうその時を迎えてしまったというだけのこと。
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PCR検査の結果も通夜には間に合って、棺に飾られた祖母と対面することもかなった。顔を見せに来れなくてごめんねとだけ伝えた。昔から物静かだった僕をよくかわいがってくれた祖母だ。簡単な言葉で十分だと思った。
祖母は紫色が好きだった。そのためか葬儀場には紫色の折り紙が折鶴用に用意されていた。昔はババァくさい色だなんて思っていたが、僕も最近は好きになった色だ。藤色、菫色、そういえば祖母は花も好きだった。花を育てたり活けたりしていた気がする。萎れた彼岸花のくすんだ紫を祖母は知っていただろうか。
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祖母が亡くなって悲しい気持ちはそう湧いてこない。しかしもう少し話をできればよかったかもなぁと思った。枯れた花なんてどうでもいいと笑っただろうか。外に連れ出す理由くらいにはなったかもしれない。
なんてしっとり考えていたが、死ぬ前に枯れた彼岸花を見せられる側の気持ちになってみるとまぁ別に話さなくてもよかったかもなぁと思った。美しいとは思うけれど、お世辞にも華やかとは言えないものだ。
でも、自分の好きなもののことを話さないまま終わってしまうのはなんだか寂しく感じた。雑談配信にお便りを書いたのも、こうして記事に書いているのも、そういう気持ちがあったからだ。
これを読んだ人が来年の彼岸にまた萎れた彼岸花のことを思い出してくれたなら、それは幸せなことだと思う。
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彼岸とは、春分の日と秋分の日を含めて前後3日間の期間を指す。彼岸といえば彼岸花の印象もあって秋のイメージがあるが、春にも同様に一週間の彼岸があるそうだ。むしろ彼岸といえば春の季語で、秋の彼岸は特に秋彼岸というらしい。
彼岸の中日、春分の日と秋分の日は先祖に感謝をする日なのだと聞いた。今年の秋分の日には墓の掃除をした。今まで考えたことがなかったが、今年はなんだか墓を綺麗に保ってゆくことに使命のようなものを感じた。
だめおやつ