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たそがれ
カメラの性能が上がっても使いこなす腕もなければ頭も無い
私は夕方の光が力を失ってく姿を撮るのが好きです。
暮れそうでくれない たそがれ時は という南沙織の歌がありましたよね。
「たそがれ」とは 、大和言葉で夕方人の姿は分かるのだけれども 誰だかは判断できないくらいの明るさ という意味だそうです。
実はこの、「たそがれ 」写真でその雰囲気を出そうと思うと実に難しい もんです。
普段でも夕方カメラを持っているとちょっと 取りたくなって、そのぐらいの暗さまで待ってみたりして撮ってみたりするのですがうまく撮れたためしが有りません。
旅行に行ってもカメラを持っていればそんな雰囲気を取りたいと思って粘って撮ってカメラの モニターで確認して よしと 思っても家に帰ってパソコンで見ると 今少しう~んもう少しって唸ってしまう。
いつもそんな感じで腕が悪いのかタイミングが悪いのか、「たそがれ」の写真、たまにブログに載せたりすることはあるのですがそれにしてもほとん。満足した事は有りません。
だって取れた試しがないんですから そんな風景、 憧れだけなんですよ 時間しかり夕焼けの塩梅や日の当たる角度などを考えて散々迷って取った写真でも家に帰り パソコンで見ると どうも考えてしまう。
RAW処理をしようと思うがこういう時の写真ほど 自分の上で処理をしないで見られる写真が完成したと思い 、その思いからいつまでたっても「たそがれ」時の写真が撮れない 多分 一生取れないのだろう。
それにしても日本語って朝夕や天気の言葉が多いですね。
夕方だと金八先生の「贈る言葉」に「暮れなずむ」意味としては私は何となく夕方を表していると思ったら、暮れの後のなずむの意味が物事がうまく進まない事だそうで、また南沙織の歌に戻って暮れそうで暮れない夕暮れ時でした(笑)
その他にも「逢魔が時」(1日で最も災いに会う夕方の時間帯)「夕映え」(夕日を浴びて美しく見える)「朝な夕な」「ひねもす」(1日中)「たそがれ」とは反対に朝が明けてくる「東雲(しののめ)」語源を調べたら明り取りの窓に篠竹で編んだ簾の間から漏れる光の事をしののめと言うそうです。
最近のデジカメはISO感度が高く設定でき手振れ補正も優秀だからうまく撮れるだろうとカメラに頼る自分が醜い。
早く名人域に達して心で取りたいもんだ、なんてね。
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