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アメリカ生活②学校外編

こんにちはThe Splendid、SAKUです!
普段は整形外科医として働きながら、音楽活動しています!

先日アメリカ生活において、特にあちらの学校がどんな感じだったを書かせて頂きました↓

今日はアメリカの学校(現地校)外の生活について書きたいと思います。

海(ガルベストンベイ)

学校編でも書かせて頂きましたが、僕が滞在していたガルベストン島は、その名の通りです。すぐそこが海、という感じでしたので、よく海には遊びに行きました。

泳ぎは勿論、カニ釣り、ビーチでまったりなどをしていました。

…今じゃ色々あり得ないですね笑

ガンボスープ

ガルベストンベイにあるレストラン「ガイドース」で食べるガンボスープが大好きだった。

未だにあの味に近いガンボスープに出会えてません。もう30年近く前だけど、まだあるのかな。

交友関係

こちらでも書いた通り、アメリカ滞在は父の留学に付いてきている形でした↓

父同様にリサーチ(研究)つまり留学で来ている他の日本人(多くはやはり医師)家族が何組かいて、そこの家族との交流が結構ありました。

家で集まって飲みながらディナーみたいな感じやお母さんたち同士のお茶会など。大人たちがしゃべっている横で、子供たちは子供たちで遊んでいる、みたいな感じでした。

あとは現地校の友達も勿論いました。白人の子も、黒人の子も、ヒスパニックの子も、インド人の子もいたりして、本当に人種関係なく友達がいました。

遊ぶ時はアメリカ人らしく、プールで行われる誕生日パーティーなどがメインでした。

Pizza Hutでの誕生日会とかもあったような。Pizza Hutは学校の成績がいいとタダ券がよく貰えたんで、良く食べていました。

アメリカにいる頃は、とにかく良ーくピザを食べていましたね。
#アメリカ人のご馳走
#日本だと「寿司」に近い地位にある食べ物だと思ってます

旅行

櫻井家の目標は「滞在中の全州制覇」

車と飛行機を駆使して、色んな州を回りまくりました。(確かほぼ全州回ったと両親が言っていた気がします。)

車での移動ですが、10時間とか平気で父が運転していました。笑 子供にはすっごく長い時間に感じました。

この辺は、今度思い出しながら写真とか出しながら、詳しく書いてみたいですね。

クラブ活動

意外と思われるかもしれませんが、僕はサッカークラブに入っていました。

僕のことはバスケをイメージされる方が多いと思いますが、アメリカにいた頃はサッカーをやっていたんですよ。

…スライディングが得意でした。笑
#ファールギリの奴

Walmart、Targetなどのスーパー

あっちにある、なんて言えばいいのかな…「デカいコンビニ」みたいなスーパー?と言えばわかりやすいでしょうか。

洋服からCD、食品、家電、文房具まで全部揃うお店。大好きでした。

アメリカ版イトーヨーカドーって言えばもっとわかりやすいかもしれません。でも、もうちょい置いてあるもののグレードが高く、イトーヨーカドーよりちょっとだけオシャレな感じでしたね。

母親と2人でしょっちゅう行っていました。

その他の遊び

スケボーバスケプール、テニスなどで遊んでいました。

住んでいたアパートの駐車場が広かったので、そこに簡易的なバスケットゴールを立ててバスケしたり、あとは駐車場もですが、そこかしこでスケボーをしまくってました。笑

プールはアパートについているので、夜含めいつでも泳げました。監視員はいませんでした。(It’s your own risk.「自己責任で」ってそこら中に書かれてました。)

テニスは両親について行き、スポーツクラブで。

なんて自由な時代。笑

テレビ

テレビも大好きだったなぁ。

あっちのアニメ(特に宇宙家族ジェットソンミュータントタートルズがお気に入り)とか、音楽系の番組(マイケルジャクソンが当時人気あった)などを良く見ていた気がします。

あと意味も分からずドラマも。

日本語補修校

急に学校に戻りますが、土曜日限定でヒューストンに行き、日本人だけの学校に行ってました。(1週間に一回じゃなくて隔週だったかな?)これを日本人補修校あるいは日本語補修校と呼んでいたと記憶しています。

この学校が、唯一日本文化と触れる場でした。家以外で日本語を喋る空間。実際に使用する教科書も日本で使用するものと全く同じものを使用していました。

補修校の国語の授業で習った「ごんぎつね」がアメリカ文化に育ってきている自分には衝撃的で印象的でした。日本人らしい慎ましやかな礼儀に触れたと子供ながらに感じていました。

とても懐かしいです。

日本人用のスーパー 

ヒューストンにある日本の食品や雑誌が置いてあるスーパー。補修校の帰りに良く寄りました。

そこでおもちゃ付きお菓子を買ってもらうのが楽しみでした。仮面ライダーのソフビのやつが好きだった。

当時希少だった週刊少年ジャンプも時々あった気がする。(全盛期でしたからね)

日本人用の図書館

これもヒューストンにあり、同じく補修校の帰りに寄りました。漫画なんかもちょっとありました。

インターネットのない時代。『なんだか知らないけど、この「ドラゴンボール」って漫画、すごく面白いよ!』と母にヒューストンからの帰りの車で叫んでいたのを覚えています。

父も母も漫画に疎く、周りの日本人もあまりドラゴンボールのことを知りませんでした。

当時は「自分だけがこの面白い漫画を知っている」と思い込んでました。(いやマジで)

まとめ

90年代初頭のアメリカ。不景気だったらしいのですが、すごく和やかで、ゆっくりとした時間が流れていた気がします。

帰国後は日本に馴染むのが本当に大変だったので「アメリカなんかに行ってたから苦労してる」と思っていましたが、今は貴重な経験をさせてくれた両親に感謝しています。


本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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