アメリカ生活①学校編
こんにちはThe Splendid、SAKUです!
普段は整形外科医として働きながら、音楽活動しています!
本日は幼少期に住んでいたアメリカについて振り返りたいと思います。
こちらにも以前軽く書かせて頂きました。
今回はより踏み込んだ内容で書ければと思います。
滞在時期
89-94年にかけて。年齢で言うと4-9歳。
幼稚園から小学校3年生まで滞在していました。
滞在理由
医師である父の留学についていく形で、母と3人で滞在しました。
滞在地
アメリカはテキサス州、ガルベストン島というところに滞在していました。
ガルベストン島とは?
『ガルベストン (Galveston) は、アメリカ合衆国テキサス州南東部のグレーター・ヒューストン地域内にあるガルベストン郡に位置する島内都市。
2000年の国勢調査によると、総人口は57,247人である。ガルベストン郡の郡庁所在地であり、メキシコ湾海岸線上に位置している。』
Wikipediaより。
簡単に言うとアメリカテキサス州ヒューストンに隣接する島ですね。
人種の割合
南部なので黒人の方の割合が多い…と思いきや割と白人の方が多い印象でした。
父が留学した研究室はアジア人なども多く、人種が雑多にいるという感じでした。
幼稚園
あちらではKindergarden(キンダーガーデン)と言います。保育園はPre-Schoolと言います。
あんまり覚えていないのですが、Spanish(スペイン語)の授業があったのが印象的でした。南部アメリカは、ヒスパニック系の移民が多いからだと思います。
数の数え方や色くらいは今でも少し覚えてます。
小学校
Private School(私立の小学校)に入学。確か両親曰く、治安の良い地域の学校を選んだら必然的にそこになったそうです。
授業は英語、算数、科学などの座学と、PE(体育)と音楽の授業が特に印象的で覚えています。
日本帰国後を考慮してか、母親がこどもチャレンジを日本から取り寄せてくれてたのですが、習う内容自体は日本の方が早かったです。
座学の授業の特徴
うちの学校には教壇などはなく、真ん中に先生の机があって、同心円状に生徒の机がある感じでした。
パソコンとリンクしたテレビが、教室天井から数箇所吊るされていて(90年代初頭にしては進んでますよね)、その画面見ながらの授業や、日本と同じように普通に黒板を使った授業もありました。
教科書は置き勉。学校に持っていくのは、ランチボックスと軽いリュックくらいだったので、スケートボードで頑張って登校したこともある気がします。
そういえば学校には、みんなで自由に触れるパソコンが図書館などの各所に置いてありました。パソコンルームもありました。その辺は、やっぱりちょっとだけ日本より早かったですね。
PE(Physical Education)
体育の内容は、日本とはまるで違いました。
体育館で爆音で音楽をかけてひたすら自由に踊る授業(ほとんどクラブ笑)やパラシュートを使った運動(説明が難しい…)など、日本ではあり得ないものがあったりしました。
あとはほとんどが球技などのゲーム中心の運動。日本の体育も楽しくて大好きでしたが、アメリカはよりエンタメ色の強い運動が多かったです。
音楽の授業
みんなで踊りながら歌ったりする授業が中心。
ここでは説明しきれないようなユニークな方法で音符や符号について教えてもらいました。
あとは結構ビデオとか見せられましたねー。
あくまで「音楽は楽しいもの」と教え込むような授業方式でしたね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
日本とアメリカの授業の違いは、大きく「楽しみながら覚える」という要素が強いこと。あと他の授業全般にも言えることですが、基本ガヤガヤしながらの授業が多い。笑
これはアメリカ人が「楽しむために生きる」を理念に生きていること、またそこから派生すると思うのですが「エンターテインメント重視」の国であることが関係している気がしますね。
あとはいつでも質問しやすい空気があること。
「日本人は授業で質問しないから、能動的ではない」みたいなことを仰る方がいますが、論点がずれていると思います。
日本人は質問しやすい「空気作り」が下手なのだと思っています。(帰国したてはそれをめちゃくちゃ感じました。)
明日は学校外での生活などについて書いてみようと思います。
本日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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