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過去と今のわたしのこと

体験談って輝かしい才能あふれる成功だったり、何か眩しいほどの恵まれた縁だったり、正直そういった人の話が多いように感じる。

考えてみればそれはそう、語れるような生き方をしている人がたぶん、嬉々として次世代に夢や希望を伝えられるわけで。

ひねくれもののわたしは、それがずっと苦しくて、自分はどうせ正しい選択をしてこられなかったんだ、という気持ちが今まで強く渦巻いていた。

でも、地味に波瀾万丈で、挫折から動けないまま、 何年ももがいてきた私の人生も、もしかしたら誰かにとっては響くものだったり、しないだろうか。同じような境遇だったり、似たような感情を味わった人がいるかも。

絵に書いたような成功者でないとしても、 たくさん悩んだ先で、自分が愛するものを選び取って生き延びてる人間がいるぞ、みたいなことは、わたしが証明できるんじゃないか、なんて。

最近やっとみつめてやれるようになった自分自身のことを、書いてみたくなった。



高校時代の私は、ひらたく言えば部活の環境が地獄だった。

※今回のエッセイは、私自身が受けたハラスメントについて、また希死念慮が一部ですが記載されています。心身の調子にどうかご無理のない範囲でお読みください。

「お前はつめが甘いんだよな」
高校の卒業式、演劇部の顧問が笑いながら、わたしの受験結果と演劇への姿勢をそう言ったことを、今でも覚えている。

それまでも、地区大会の結果がダメだったこと、他校との合同公演で他の役者が思うように力をだせなかったこと、演劇部のうまくいかなかったことは、わたしのせいだと言われてきた。

地区大会では、実際役へのアプローチに苦労したこととか、思い残すこと、反省点があったので、へこたれたままではなかったと思う。
でも、愛着を抱き心を尽くし、今の私の精一杯でやりきったと思えた役で、
「お前の役づくりに時間がかかったから〇〇(部員)は練習が減った、お前のせいだ」
というようなことをその人から言われた時、わたしの中で何かが決定的に壊れて、心がたちあがれなくなってしまった。

あ、人生ってどんなに頑張っても報われないことがあるんだ、とあのときぼんやり思った。今のところ後にも先にもないほどの挫折で、絶望感に苛まれるようになった。
部活に行くの嫌だな、ずっとそう思うようになって影では泣いて動けなくなっていたのに、追い詰められてやめるという選択肢は浮かばなかった。かわりに、生きることを衝動的にやめたくなることが、増えていった。

軽くとは言え「馬鹿」と言われながら頭をはたかれたのは一度やニ度ではないし、ハラスメントとして今の時代訴えれば余裕で勝てると思う。
いやもう時効だろうし、あの時わたしは、言われることを鵜呑みにして、わたしがぜんぶ悪いんだ、と思いこんでいたので、証拠集めどころではなかったけれども。

暴言の数々はゆっくりと、けれど確実に忍び寄り、冷たく胸に突き刺さって抜けない呪いになった。

「お前は人生で何も頑張ったことがないんだ」
気づいたら涙がでたり、ときどき呼吸も上手にできなくなって、いつのまにか身体もぼろぼろ。最後は気管支炎になり声がまともにでず、舞台を降板した。そのことも、廊下で涙を流すわたしを、あの人は責め続けた。

このあたりの記憶は、思い出すとまだしんどい。ただ、本当に、本当にわたしにとって辛かったんだ、とやっと気づけるようになったから。一度自分のために書きだしたかった。

今、もし誰かにあなたのせいだ、と言われて苦しんでいる人がいたら、何かうまくいかなかったことが自分のせいだと責めている人がいたら、 そんなことは絶対にないと言いたい。
確かに私たちは傷つけたり、傷つけられたり、何度も何度も間違える生き物だけど、 何が正しいかなんてわからないままだけど、 少なくともあなたが全責任を背負い込んで思い詰めるような世界は、絶対に間違っていると思うから。

何かがうまくいかなかったとしても、 生きていれば何度でもやり直せるし、正直あなたの命が何より大事だ。
要は、これは過去の私に、私が言いたいことを綴っている。もしくは、あの時わたしが誰かに言ってもらいたかったことを。


何もかも失敗した。受験も、演劇も。わたしに、芝居をやる資格なんてない。
本気でそう思って、お通夜に行くような顔で、第一志望ではなかった学校に進学した。

ただ、この大学時代の縁が、今のわたしを生かしている。結局同じ学科で出会ったばかりの友達に誘ってもらって、ふらふらとみにいった演劇サークルの公演で、やっぱり芝居がやりたい、とどうしようもなく胸を打たれて。

その後も何度もやめちまった方がいいのでは、と苦しみながらも、芝居をやめようと思うことのほうがもっと真っ暗闇できつくて、やめられなかった。

卒業する最後の日まで、言葉の刃をわたしに放ち続け苦しめたことを、当人は知らないだろう。わたしにとって初めて演劇を教わった存在であり、そして最も心身を壊される原因をつくったあの人は。

昔は復讐してやる、と思っていた。芝居続けると決めたからには、有名になってみせつけてやる。最後は私と同じくらい苦しんでのたうちまわってほしい。
でも、あの人のおかげでわたしは、発狂しそうなほどの痛みを知り、少しずつだけど、同時にやさしさを獲得していったと思う。
大切な、わかりたい、そう思う相手への配慮とか、役者に必要不可欠な想像力を、皮肉にも少しは学べた、というか。

ずっとあの日々は呪いでしかないと思っていた。だけど、今のわたしだから出会えて、手をとりあって表現者の方々の、この作品の魂に触れられた、と思う瞬間が、20代になってから積み重なって。
そのたびにわたしは、救われて。大切なものが増えて、だからもう、過去に戻ってやり直したい、なんて言えなくなってしまった。今あるもの、巡りあえて失いたくない、大好きがあるから。

人に恵まれている、みたいな話とか、幸せそうな環境で涙を浮かべて部活引退できる人とか、昔は全部妬ましかった。
一番欲しくて手に入らなかったものだと思っていたあの頃、他人のそれを目にするたび打ちのめされていた。

一度、駅の改札で耐え切れず弾け部活で唯一の味方だった親友の前で、泣きじゃくったことがある。
この頃の私は、あの人に「お前と違ってこいつは〜」と比較対象として褒められる親友のことさえも、羨ましくなる自分が嫌で。あんなろくでもない環境に彼女を誘ってしまったことにも負い目を感じていたんだけど。

彼女がいたことで、一番消えてしまいたくなった瞬間に、自分を傷つけることを踏みとどまれたのはたしかだ。
でも、もうあの日々はとにかく余裕なんかなくて、いわゆる顧問ガチャみたいなものを恨んだし、あの人に同調し私を馬鹿にする他の同期の存在もきつかった。 親友がいることを恵まれている、なんて思えないほどずたずただった。

スタッフ、ダンス、演技、どれも皆から呆れられた記憶が大半だ。わたしのことを、こいつは褒めれば調子に乗る、そう言ってけなされていた。
最近やっと、経験上自信がなくて怯えている、だけど同時にどれもやりたいことなんだな、と気づけた。

そう思わせてくれたのは、大学時代の同級生や先輩のご縁で。 そこからつながっていろんな世界が広がって、楽しいって思える瞬間を教えてもらって、ここまでやってこれた、ということが自分には大きくて。
本当にもらってばかりなんだけど、いつか恩返しできるくらい、成長できたら。

脚本芝居と向き合うことは、今でも怖くないと言えば嘘だ。でも、それ以上にすきだから。何度も死にたいと思っても、死ねないと思う。
まだ納得できるほどの表現なんかできちゃいない。もっともっともっと。 焦がれる舞台の上で照明に照らされて、役者として息をする時間を存分に味わえなきゃ死ねるわけがない。

一生表現の中に身をおいて生きようという気持ちに素直になったら、不思議と今は病だらけで療養中の身でも、無敵な気持ちで長生きしたくなってしまった。
何度も部活だとか、その後患うことになった病気とか、環境のせいにしようとしたし、体や心を壊し立ち止まる期間の長さを今も恨めしくは思っている。

ただ、その日々さえ、わたしという表現者の一部を構成している。 それらを抱きしめられない時があっても、最終的には余すことなく使って演じる、というのが、わたしがなると決めた、焦がれている、役者というものなのだと思う。


振り返るとハラスメントにぶちあたってからは、わたしは長い期間後ろ向きな気持ちで演劇と関わってきた。
でも、 それでもわたしは表現に携わることを、 今に至るまで選びとってここまで歩いてきてくれた。

頑張ったな。こんな言い方えらそうかな。でも、親友が言ってくれたように、わたしはわたしにも、わたしに触れてくださった方々にも、「死ぬなよ」って言いたいです。すこやかでいてほしい。

今私が頑張った、と言えるのは、生き延びていたら褒めてくれる人たちにたくさん出会えたからで。
結局恵まれてるんじゃねえか、という話になってしまう部分はある。だけど、大人になるにつれ、心身のすこやかさを守るために、自分を大切にしてくれる人と共に生きることを選びとれるようになった、ともいえると思う。

もちろん学校とか会社とか、社会の中で選択が難しい事はあるのだけれど、いつでも逃げられる、というか逃げていい。
逃げるということは決して悪ではない。 勇気を持って、あなたがあなたのために選択することが、悪であるはずはない。

自らの生活や命を守るために決断したとき、それを否定したり責める人もいるかもしれないけれど、 その人の人生はその人のものだ。
つらいと感じる社会という牢獄が世界のすべてじゃないから。死なないでほしい。それは、きっとエゴだし、わたしは、たとえばこれを読んでくださっているあなたを救えるような聖人ではない。

だけど、今までの消せなかった痛みも振り絞って、表現を一生続ける。わたしが、わたしでいるために紡ぎ続けたその先で、だれかのために、なんてのはおこがましいとは思っている。それでも。
わたしは、過去のわたしを救い続けられるように、命の限りやっていくから。それが誰かにも届くものになったら、共鳴できるときがきたら、そんなにも嬉しいことはない、本当に。

今でも、この人はきっと恵まれてやってきたんだな、と思うとき、ふっと妬ましくなることはある。そんなの、その人にだってみえないところで、事情があるかもしれないのにね。
理屈ではわかっても、金も健康も豊富にあるなんて、なんでわたしは、と思うことがある。わたしだって甘ちゃんで、だれかに妬まれてもいるだろうに。

好かれて褒められて認められたいから、今までいっぱいいい顔をしてきた。だけど、わたしの中身はもっときっと、普段他者にみえているよりみっともなくて汚れていて、それでも生まれた時にピカピカ光っていたまんまるのまっさらな魂を、どうにか守りたくて足掻いてきたんだと思う。

まだまだわからないことばかりで、救われてばかりで。失敗して、成功して、 いろんなことを繰り返すだろう。
いいことと悪いことはどちらも、どちらかが決して長く続くものではない。甘い、苦い、一つ一つ受け取ったり、時には捨てる勇気をもって、歩いていくことしかできない。

ただ、息を吸って吐く、歩けるだけで奇跡だから。いや、歩けなくても、いいとも思う。ただそこにいるだけで。呼吸が続けば、いいことが起こる確率があがる。

後悔がないわけではもちろんないけれど、 私はまた今、脚本芝居やりたいって思って。 舞台や朗読と向き合いたくて。 一生続けようって決めてくれた、そういう自分にもう一度出会えたことが嬉しい。

何度でも生きててよかった、そう思える瞬間に出会うために、これからも自分の魂に、すきだと感じるものに、誠実な選択をしていくことを誓う。もらってきた愛に、ご恩に報いるためにも。

曲がり道やいきどまり、転がったり蹲ったりもいっぱいしたけれど、精神のすこやかさ一つを手に入れられる選択をできたこと、良かったなと思っています。

今は、まずあなたにとって誇らしいわたしであれるように。尊敬する大切なすべての人に胸をはって隣にたてるわたしに、まだはるかかなた、だけど、きっと叶える。

舞台に立ち続けることを選んでくれた、 過去と今の私のことを大切に思っている。忘れずに、これから、わたしの速度で歩いていく。

迷ったら、何度でも芝居を通して出会えた数々のものと人々のこと、思い出してほしい。わたしは、わたしの「すき」に、背けずに不器用に生きているわたしのこと、ちゃんと大事で、この人生を愛しく思えているから。

向き合って、この世界で息をしてくれて、すきな場所で生きると決断してくれて、ありがとう。自分のこころに傷をつけてきた数年間を、わたしはやっと赦せる、それに気づくための長い冬を越える旅だったのだと思います。

これからも沢山考えて、選びとった数々の日々を愛おしく思いながら息をしていく、やさしい人生であらんことを。
痛む時は抱きしめて、舞台で昇華して、そうやって生きていこうと思う。


現在療養中、無職なう!サポートいただけると大変励みになり、心が喜び駆け回ります。いただいたお金は日々の表現活動費(舞台を企画する際の制作費用など)や生きるための力(交通費や夢のため貯金など)にしますので、何卒…!!