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源義経(みなもとのよしつね)#歴史人物紹介

歴史好きなので紹介したい人物がおります!

源義経(みなもとのよしつね)。

彼の生き方は単純明白だ。

「平氏に復讐をしたい」この一点のみだ。

彼の父は源義朝。平氏との合戦で戦死をした。

彼の兄は源頼朝。当時12歳(所説あり)であった、頼朝は命だけは平氏に助けてもらい伊豆に島流しをされた。

義経の合戦は言わずと知れた、天才的。スタンスは奇襲を得意とする反面、壇之浦の戦いのときは「勝てる」という確信を持つまで考え抜き戦術を見出した。

彼は数々の名言を残した。

「人よりも百倍臆病であるとすれば、
百倍勇気をふるい立たせればいいではないか。」

→義経はこの言葉で自分を鼓舞してきた。

「一ノ谷の合戦を前に平氏の大軍を前にかなりビビッたそうだ。。義経は勇敢なイメージであるが、実はかなりの臆病者。同時に臆病が異常の勇気に転換が出来る人である。シンプルな言葉だが、現在でも十分に使える言葉だ。

「道なくば岩をよじ、山をつらぬいていくまでよ。」

一ノ谷の合戦で挟み撃ちの作戦を立てる。しかし、挟み撃ちまでの目的地までが道はない。前例がない道に対して言った言葉。

「鹿も四本足、馬も四本足」

その道は鹿しか通れないことを知る。馬に乗った義経は、その言葉を吐いた。

義経の言葉はいつもシンプルであり、的を得ている。

現代でも十分な教えになるはず。

悲しくなるくらい人の気持ちが理解できない。

残念なことに、合戦では天才だが、悲しくなるくらい人の気持ちが理解出来ない。アスペルガー症候群では?という見解もあるくらいだ。また、生粋の甘ったれ性格でもある。

義経にとって「人の気持ちがが理解出来ない」ということは、かなりの致命傷である。

武士は合戦で武勇を披露するのが仕事であるが、会社勤めと同じように、ただ結果を残せば良い訳ではない。一緒に働く人を尊重するのも大切な仕事なのである。義経はそれが出来ない。。優しい言葉をかけれない。

なので、部下から頼朝へ苦情がはいる。

「御曹司(義経)は傲慢だ!」「九郎(義経)殿は自分だけ手柄を立てようとしている!!」

兄、頼朝が怒るわけだが、義経は怒られている意味がわからない。

合戦以外では、そんな一面も持っている。

最終的に頼朝の手によって殺されてしまう。

彼が得意とした奇襲戦法を次に使うのが400年近く時を経た、織田信長の桶狭間の戦いである。

いかに奇襲戦法というのがどれだけ難しいのかが理解できるし、

「功績」「残した言葉」などは英雄そのものである。



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