「ファーサイド」について
おかげさまで、拙作「ファーサイド」が、「日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト(さなコン)」で、日本SF作家クラブ賞を頂戴しました。
こういう機会はそうそうないので(最後じゃないといいな…)、作品の成り立ちについて(自分のためにも)残しておこうと思います。個人的に私は異稿を研究するのが好きなのもありますので、作品の解釈とか、そういうことは出てきません。あしからず。(〇次稿は便宜的な名称です)
第0次稿
実は最初に投稿したのは「あと七日」という掌編です。
これは、星新一的なオチをつけようと思って書きましたが、自分としてはあまり気に入らない出来でした。ということは、あっと驚く「オチ」をつけようと思って書くのは、この共通書き出しの設定ではちょっと難しそうだなという感触を得ました。
第1次稿
私はこのくらいの長さならプロットを作らないので、基本的には書いて捨て書いて捨てを繰り返しています。
・「世界終末時計」をもじって「世界終末カレンダー」をつくること
・歴史改変的なSF(パラレル)にすること
・舞台を冷戦下にすること
のアイデアだけは決まっていたので、とりあえず書き出してみました。
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。1962年10月23日。ワシントンの天気は晴れ、華氏75.4度。世界終末カレンダーはというと、キャスターの言った通り、12月24日を示している。昨日からカレンダーは1日進んだ。ケネディ大統領の演説のせいだろう。
「あんな赤いヤツら、海じゃなくて国ごと封鎖しちまえばいいんだ」
父さんはそう毒づいた。母さんは目で窘めたが、もちろんそれは父さんの意見に反対というわけではなく、ぼくら子供たちにとってよくない言い方だ、という話なんだろう。
今日は学校はないのかな、とわくわくしていたけれど、スクールバスは普段通りにやってきた。奥に座っていたマイクがぼくの顔を見ると、「ギブミーファイブ!」と、いつもと同じようにからかった。
ぼくの父さんは変わっていて、「ファイブ」という珍妙な名前をぼくに与えた。理由は単純で、五番目の子だからだ。うちの家系で男は薄命のようで、父さんの弟は、朝鮮戦争の帰りの船で、甲板から飛び降りて死んだそうだ。だから、久しぶりの子供が男の子だったとき、父さんは「どうせこいつも長生きしないだろう」と、名前を適当につけた、そう言っていた。
「five」と仮題のつけられたこれが〆切の1か月前ぐらいで、ここで投げ出されています。初稿では、各家庭に「世界終末カレンダー」が設置されている設定でした。頭の中では核戦争の代わりに「怪獣」のイメージがあり、学校に行く途中でシェルターに行くことになり、怪獣使いの少女と会うみたいな流れにしようと考えていました。
第2次稿
ところが初稿は面白くない。少なくとも自分が面白く書ける力はなさそうだったので、これもすぐに捨て、舞台を少し変えました。
朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。1962年は、そんな毎日だった。テレビは毎朝、世界終末カレンダーの残り日数を神妙な顔をして告げ、ときどきキャスターのフランク・ブレアが、気の利いたジョークか警句を呟き、次の話題へと移っていく。
これは最終稿とほぼ同じ書き出しです。気に入った書き出しができると嬉しくなりますよね(なりませんか?)。
しかし、展開はだいぶ変わっていて、「クミ」という人物と「ぼく」が出会う話になっています。
朝食を食べたらすぐにでも出発したかったのだけれど、マーサが邪魔をしてきた。「どこいくの? 私も私も」と、いつもの「私も」攻撃で、ぼくを悩ませた。ぼくが断り続けると、マーサはしくしく泣き出した。マーサは賢しい子供で、泣くときは金切り声なんかあげず、静かに、ちらりと横目でこちらを見ながら、憐憫を感じさせるように涙を流すのだ。父は黙って新聞を読み、母は渋い顔でぼくらの顔を見比べた。仕方なくぼくはマーサの肩に手をかけ、戻ってきたら遊んであげること、人形でおうちごっこをしてあげることを約束した。そう約束してようやく見せる笑顔は格別で、ぼくとしては憎たらしくも愛すべき妹だった。
農場についたときには、もう陽がだいぶのぼっていた。遠くでは麦の刈り入れのためか、ダウンブルドンのごおごおという音が、何もない空にこだましていた。クミは小屋の屋根の上で、ぶらぶら足を振りながら、空を眺めていた。声をかけると、軽やかに飛び降りる。小さな猫みたいだ。
「じゃあ行ってみようか」
クミはぼくにベニヤ板を差し出した。ぼくは受けとり、頭の上に載せて、麦畑へと歩いていく。
「今日は何について話をしたい?」
春小麦は実り高くすっくと育っている。クミは黄金色のそれをかきわけかきわけ、事もなげに進んでいく。
「君が見たっていう、摩天楼《スカイスクレイパー》について」
「いいね」
麦畑にしたのは、当初は「ミステリーサークル」を作るという設定を考えていたからでした。私のアイデアメモには、こんな記録が残っていました。
1962年を再現し続ける男の話。
実際は第三次世界大戦みたいな感じのシェルターを使っている。
もしくは1962年を保持し続けるところみたいな?
徐々に歴史が変わっている、記憶が改変されていく
1962年の話と見せかけて、実際はそれを再構築していく二重の歴史改変みたいな物語にしたかったようです。「クミ」はたぶんその中のバグみたいなもので、「ダウンブルドン」も架空の機械だし、こんな片田舎で「摩天楼」を見たことのある少女というのも変な話なので、そこら辺から徐々に読者に違和感を抱かせていくみたいな流れにしたかったのかもしれません。
第3次稿
でもこれもすぐに捨てています。恐らく冷戦下の設定を生かしきれないと考えたのでしょう。次の原稿では、最終稿に近い冒頭の場面が続けられています。
そのころぼくは、学校へは通わず、麦の刈り入れの手伝いをしていた。ノースダコタは春小麦で、ちょうど秋が収穫のハイシーズンだった。
ぼくの仕事は、麦わらを集めて運ぶことだった。麦わらは、だいたいが牛や羊の飼料になるため、隣のマイルズさんの牧場へ売られる。日が高く昇りきらないうちに収穫し、一輪車を使ってせっせと倉庫へとわらを運んでいった。
しかし、「クミ」の設定は残っていて、
クミと会ったのは確か、その日だったんだと思う。「あと七日」とブレアが告げた日。その日、彼女はぼくよりも先に屋根の上にのって、空を見上げていた。「やあ《ハイ》」とぼくが声をかけると、不思議そうに彼女はぼくを見た。首を少しひねって、短い髪がまつげにかかる。彼女の後ろには太陽があり、ぼくは目を細めながら彼女の輪郭をとらえようとしたが、なかなか難しかった。
と続いています。しかし、この手のボーイミーツガール的な設定が気にくわなかったのか、すぐに書き直されていました。
Bと会ったのは確か、その日だったんだと思う。「あと七日」とブレアが告げた日。その日、彼はぼくよりも先に屋根の上にのって、空を見上げていた。「やあ《ハイ》」とぼくが声をかけると、不思議そうに彼はぼくを見た。首を少しひねる。今思うと、Bはブルース・ウィリスに似ていた。頭の具合とか、大柄なところとか。もちろん、当時はブルース・ウィリスなんて知るはずもないから、ぼくとしては奇妙な中年男が屋根にいる、としか思えなかった。
少女じゃなければ中年男にしてやろうという安易な発想で「B」を出しています。ブルース・ウィリスのBってなんのこっちゃ。なんのこっちゃと自分でも思ったのか、その日のうちに、ようやくロバのようなというくだりに書き直しています。
Bと会ったのは確か、その日だったんだと思う。彼は非常に奇妙な姿をしていた。ぱっと見た感じは、くたびれたロバという感じだった。それは、当時妹にせがまれてよく読んだ、SPUNKY THE DONKEYという絵本の中に出てくるロバによく似ていた。頭が大きくて、毛むくらじゃらで、耳が真上に立っている。真上に耳? そうだ、真上に耳がついていた。耳に似た何かだったかもしれないけど、耳のような形状をしていた。耳さえなければ、彼はもう少し人間らしい姿であったことだろう。彼はごろんと仰向けになって、小屋の屋根の上に寝ていた。上半身にはチョッキを着て、下半身は何も着けていなかった。だらりと睾丸が垂れさがり、腹から太ももにかけては、黒いごわごわとした毛で覆われていた。
ここら辺でようやく、この話をどうしていきたいか、この話のテーマは何か、自分で道筋がつけられた感じです。
第4次稿
道筋をつけ、デニーと初めて会ったあたりまで書いたところで、先にラストの場面を書ききっています。終わりが決まった時はよくやります。
「トゥデイ」はまだ続いていたが、ブレアはとうに引退して、別の男性キャスターが毎朝、カレンダーの残りの日付を告げていた。ぼくはノースダコタの家を買いとり、一人で、「トゥデイ」を見ている。父さんは交通事故で、母さんは癌で亡くなっていたから、広い家をぼくは持て余しながら、毎朝テレビを見ている。右手には新聞、左手には、きゅうりの挟まったサンドイッチをもって。
しかし、最後のパラグラフがだいぶ違います。
暗号回線にメッセージが届いた。どうやら、「プレゼント」の準備が整ったらしい。ぼくは「クリスマス」のコールを送る。明日、あのキャスターは、カレンダーの残り日数を見て、何をコメントするだろうか。人類の「限界」を嘆くのだろうか。それでも、まだスタジオに立ち続けることができるなら、君は幸運だ。いや、それを君は幸せと思うだろうか。神のご加護を《ゴッドスピード》。人類に。
と、ややスパイものみたいな締め方で書き終わっています。この形が最終稿のパラグラフにも影響した部分があり、書き直したい個所です。
第5次稿
実は、最後まで書けなかったのがシェルターの部分で、それ以外の場面(デニーがやってくる場面や、最後に焼かれる場面)は先に書いてしまっていました。シェルターでデニーと家族の関係がよくなるという構成はもっていたものの、その内容が最後まで出てきませんでした。
おそらくすぐに諦めたので版は残っていないのですが、パラレル設定を強調するために、現実の「世界終末時計」はキューバ危機には全く反応しなかったのですが、アメリカの情報公開法であるThe Freedom of Information Act (FOIA)がこの世界では変化しているというくだりをデニーと父親が話すという流れを書いていました。が、これも気に入らなかったのですぐに消しています。
妹をあやすということで、何か遊び道具を出すために「月」をモチーフにしました。
「いいえ、その大きな一歩を踏み出すのはアメリカになるでしょう」
穏やかにデニーは訂正した。
「月は様々な影響を地球に与えています。たとえば潮の満ち干きは月の引力によるものです。これは今から百年ほど前に
最初は月の潮汐についての蘊蓄をデニーに語らせようとしたのですが、「月の裏側」についてここでようやく設定が出てきて、この物語の題名「ファーサイド」が出てきます。言い換えれば、ここまでまったく「裏側」のテーマが出てこなかったのです。
そして、このテーマが出てきたことで、ラストが今の形に変わっていきました。
今回の作品を「運がよかった」と書いているのはそういうことで、なかなか主軸が出てこなかったというのがあります。今の自分にはあっている方法ではあるものの、もうちょっと何とかしていかないといかんなとは思います。