かぐやSFコンテスト「リモート」について
十数年ぶりに書いた作品を評価いただいたので、どういう風に書いたのか、備忘録的に残しておきます。
こんなことを書くと面映ゆいですが、この文章ではラストまで触れてしまうので、その前に作品自体をお読みいただけるとありがたいです。
私が今回「かぐやSFコンテスト」に応募する際に決めていたことは3つ。
①1日で書き上げること
②2つ作品を書くこと
③オチをつけること
①1日で書き上げること
日中は仕事をしているし、夜は子供が寝るまでは片時も手が離せないし、土日は…と考えていくと、子供が寝静まった夜中しか執筆の時間はとれないことはわかっていました。
確か村上春樹だったか、短編はいつも一気に書き上げてしまう(し、その方がよい)みたいなことを言っていたことと、4000字程度なら一晩で書ける量だということは知っていたので、その通りにしてみようと思いました。久しぶりに書くので、あれこれ思い悩んで書くよりも、一気呵成に仕上げた方が、屋上屋を架す、みたいなことにならないだろうと踏んだためです。
②2つ作品を書くこと
新しい賞であり、しかも私はイーガンも履修していないような人間で、当然SFの賞に応募したこともなく、どういった傾向の作品がよいのかはよくわかりませんでした。
審査員の皆様はオススメ本を紹介していましたが、それに引っ張られるのもイヤだったので、敢えてその記事も読みませんでした(投稿後に拝見しました)。
そのため、2作品応募できるという要項は私にとってありがたいことでした。方向性の違う作品を書くことで、どちらかが生き残ることに賭けることができるからです。これは、総評座談会で橋本様が「振れ幅」という言葉でご指摘されていた通りです。
「リモート」は私の中では技巧的な作品であり、もう一作の「つくえ・くろにくる」は、「男の独白」「机について語る」という筋だけ決めて、後は好き勝手に書いたという感じです。
③オチをつけること
「SF」「ショートショート」というと、浅学な私がまず思いついたのは星新一の作品でした。あの豊富なアイデアと短いながらも最後に明かされるオチ、というのが私の中の「SFショートショート」でした。やはり、あっと驚く、とまではいかなくても、読者の心を多少は揺さぶる「オチ」がなければならないだろう、と考えました。
しかし、私はSFにあまり馴染みがないので、秀逸なSFアイデアが思いつけるはずもなく、その方向で読ませる作品を作るのは無理なことには気づいていました。少ない引き出しの中で、4000字という短い物語、どのようなオチが無理なくつけられるか。
そこで私が採用したのが「読みの視点」をずらすということでした。これならば、斬新なSF的アイデアは必要ありません。この方針までは書き始める前に決まってはいました。ただ、どのような文章で嫌味なく書けるかは、さすがに書いてみないとわかりませんでした。
「リモート」の初稿
小説を書いたのは十数年ぶりですが、その年数の間、頭の中ではいくつも物語を作っていました(子供を送り迎えするときによく考えます)。「リモートで動かせるロボットで学校に通うが、その中身は実は…」というアイデア自体は、かなり前から(少なくともコロナの前から)あたためてはいました。
最初はジュブナイル的に書こうと考えていたのですが、そうやって書こうとすると、恐らく4000字では収まらないだろうと思いました。また、舞台を小学校にするか、主人公を教師にするかなど、設定をこねくり回していたのですが、小学校では幼すぎるだろうということ、教師の視点は、サトルとの関わり方が難しくなりそうだと考え、同級生にすることで落ち着きました。ここまで考え、ようやく書き始めました。
さすがに最初に書いた原稿は消してしまったので残ってないのですが、確かこんな感じだったかと思います。
サトルが来ることは、サトルが来る前から僕は聞いていた。ヤマノ先生が予め教えてくれたからだ。僕は「ロボット」なんて言葉で表現するヤマノ先生がおかしくてたまらなかった。
でも確かに、僕はサトルを初めて見た時、「ロボット」っていう感じがした。
つくったファイルの最初の作成日時を、これを書くにあたって確認してみたのですが、6月21日でした。自分が思っているよりも早い段階で作っていましたが、このひと段落だけ書いて投げ出した記憶があります(いきなり①のルールから外れてますが)。この時点では単純な一人称の話者で書き始めたのですが、どうもしっくりこなかったようです。
語りについて
次に書き始めたのは締切の2日前の夜。仕方がないので「僕」のまま進めたのですが、どうもくどい感じがして、試しに「僕」を全て取っ払ってみると、意外に自然に書けていることに気が付きました。この時に「手紙」にしようとは考えていなかったのですが、なんとなく「僕」を使わないで書いた方がこの作品はよさそうだという勘のようなものがありました。
最初の数段落を書いた後、どうしてもラストが書きたくて、「君と最後に一緒に話したのは、その冬の一番寒い日だった」からは一気に書きました。このラストのエピソードについては、ほぼ手直しをしていません。ラストを先に書いたことで、この作品が「手紙」であることに気が付けました。なるほど、必ずしも頭から書く必要はないんだな、と、当たり前なことですが、素人の私には新しい発見でした。ちなみに、最後のくだりで「僕」が2回出てきますが、あれも「多分そうしたほうがよさそう」ぐらいに初めは書いたもので、読み直すと、あそこはきっと手紙じゃないんだろうなと感じられて、余韻を作れたと思います。
「サトル」と「君」の意図的な使い分けも最初から決めていました。ただ、英訳するときに、この書き分けは大変困難であることに後に気付かされました(手紙という形式を考えると、この作品で最初から「Satoru」を三人称で語ることは不自然です)。海外への発信ということであれば、そういうところまで気を配れるかどうかも大切かもしれません。
いずれにせよ、大枠は(ほぼ)一晩で書きあげることができました。
カオリとタイトルについて
直前まで頭を悩ませたのが、間に挟むエピソードとタイトルです。カオリのエピソードは本当に最後の最後に出てきました。
最初に考えていたのは、義足の同級生と短距離走で勝負する、というものでした。サトルは体育はいつも見学していたのですが、義足の同級生が走っていることを知って、どうして自分は走れないのか、義足も筐体も似たようなものではないか、とかなんとか言って、二人の勝負が始まるという筋書きです。細部までは考えていませんでしたが、周りも思わず固唾をのんで見守っていたが最後は応援しあって、ちょっと青春ニュアンスを含む仕上がりを予想していました。
しかしこの挿話は少々ピンと来ませんでした。「読みの視点」をずらすのがこの作品の肝でしたが、だからといって、ラストに至るまでの話が、ミステリでいうところの「燻製ニシン」として、ミスリーディングのように扱われるのは嫌でした。この話は「肉体と精神」をめぐる物語であり、そのテーマを生かすエピソードの方がよいだろうと考え、体育のエピソードはカットしました。カオリのエピソードが出てきたのは本当にたまたまで、自分の筆名と似ていることさえ気づかずに応募してしまいました(私は女性の名前に困るとすぐに「カオリ」とつける癖があります)。
この時点で3000字程度だったので、もう1エピソード付け加えることもできたのですが、間延びすると今度はラストのオチまで読者が持たないと思い、そのままにしました。これは自分でもよい判断だったと思います。
タイトルについては、応募フォームに入力するまで決めかねていました。できれば気の利いたタイトルにしたかったのですが、本当に何にも出てこなかったので、「リモート」という無味乾燥なものになってしまいました。結果的にはよかったと思いますが、タイトルというのは本当に難しいですね。
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以上、つらつらと書き始めてみたら意外に長くなってしまいました。改めて、小説を書くのは難しいなと、小学生みたいな感想でおしまいにします。