どちらが美しいか
『やって(やり終えて)から文句を言え』
現世で一番嫌いな母を御せないため縁を切ったが、芯は好きで自身が規範としている実父の言葉である。ただ、「やるという約束」をしていないものに対して強いられる場面では、考えを改めなければならないと気づかされた。
企業(個人)が「契約」を交わして仕事をする。その契約に記載の無いことを押し付け続けている輩に、ここ数カ月非常に迷惑を被っている。仮にも一部上場企業の冠名のある企業がだ。20年以上多くの企業を見てきたけど、ここまで下劣な組織は初めてである。
ここ数年の過剰な世界の混沌の中、自身にとって情報障害灯の役割果たしていた方が、先週また逮捕された話がXを通して届いた。現行のルールに真っ向から反発すれば、当然そうなってしまう。でも、ルールに守られた中から放辟邪侈(ほうへきじゃし)な振る舞いをする輩の方が余程タチが悪い。
法律から外れた社会を生きる人たちの話は好きなので、そのような話を扱う小説はよく読むし、最近は遊ばなくなったゲームでもシリーズを通して攻略していた。言ってしまえば『任侠』ものなのだけど。暴力的だし知略に富んでいて確かに悪い。それでも共感しつづけるのは、最低限のルール、暗黙のものも含めて、義理事、面子、信義は守るし、相手の立ち位置も最低限酌量する。人として生きていくために最低限守らなくてはならないことの上に成り立っているから。そして『躾』の字の通り『自身を美しく保つ』ための考え方や身の振舞い方が美しいから。
逆に前述した法の内側に居ながらな輩。別にあんたたちの仕事だけをしている訳ではない。
こんな気分の悪い一週間の中、前回ここに投稿した顔合わせをしてきた企業様から仲介者を通して連絡があった。要点は2つ。1つは、契約の話しの元となった仕事の開始の目途が立っていないこと。もう1つは、別の手伝って欲しい仕事を用意したのでうちに来てほしい。その間に本談の用意をするとのこと。
この週末も、自身の存在理由、本来の活躍の場、この世界とのかかわり方、この世界の腐敗の様子なんかにもんもんとしていたけど。
どちらが美しいかは一目瞭然。
決めた。