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まるくなり、対話する


ジュンク堂9階から降りて、本を見ようかとも思ったけれど、なんとなくこの直後の充足感を塗り替えられたくなくて、池袋駅にむかっている 蒸し暑い路上に急に放り出されて、地に足のついていないかんじ カラフルな広告がばーーーっと目に入ってきて、話をしっかりきいたり、話したりできない世界に戻ってきてしまった…………と軽い絶望が降りてきた あの対話の場は現実なようで、現実では無いようで 同じ街で同じ時間が流れているのに不思議だ あの時間、ほかに池袋でこれだけ丁寧に話し、きく、そんな場所があったのだろうか

哲学対話では、とにかく「きく」ことに徹する。最初に提示されたルールは、①よくきくこと、②自分のことばではなすこと、③ひとそれぞれにしない、の3つ。話したい人は手を挙げて、鳥のぬいぐるみをもらう ぬいぐるみを持ってる人の話はとにかくみんなが真剣に聞く。お互いがそういう態度なので、普段の日常会話でよくある「喋り過ぎかな」「話し過ぎかな」という不安がない。これはなかなかすごいことだと思った。いかに日頃、まわりの見えない空気を感じ取り、場を保つために立ち回っているのかを実感させられた これをいうと誰がどう思う、次はこの人が話してないから質問しよう、あ、あのひとトイレに行きたそうだな…………………哲学対話の空間では、相手の話を聞く。自分の言葉ではなす。とにかくそれだけだった。全員が初対面で、しかも自己紹介もない。最初のそれぞれの一声は「〇〇とよんでください」とだけ。相手のバックグラウンドを知りすぎないからこそ、あらゆる雑念が排除されて対話に集中できたのかもしれない

開始の時間になり、お二人が奥から出てくると(あの原宿さんだ!)(あの永井さんだ!)わあ〜!という気持ちが登ってくる でも、丸く円になって鳥を手のひらで包みながらはなす、というのをやっていくと、不思議とその場にでこぼこがなくなっていった おふたりの特別さが、いい意味で平らになっていく

前の人の話を引き継いでもいいし、しなくてもいい 急に思い立って自分の話をしてもいい うなずいて、わらって、うなってもいい ときには沈黙があってもいい ここにポジショントークはなく、それぞれがその場でいま湧き出た言葉がならんでいた そして、全員がきいていた 「……と思いました」 という終わり方が多かったのも、その表れだと思う 断定や否定、肯定ではなく、ただただ自分の思いをぽつぽつとおいていく それがとても心地よかった

哲学対話のテーマを選ぶ前に、全員で問いを出し合った。永井さんが「手のひらサイズの哲学」と言っていたのがすごく良かった。壮大なテーマでもいいけれど、日常の中の些細な問いをだしていく。みんなの問いを聞きながら、思わぬ視点に唸ったり、納得したりする 自分自身の問いをはなしたとき、ああ、共有できた、というよろこびがあった これを話してもいいんだ、聞いてくれるんだ、その事実だけでとても嬉しかった 全員初対面なのに、今まで誰にも言えなかった、というよりは言うまでもなかったひっかかりを話せることが、小さい小さい希望におもえた。
池袋ジュンク堂の9階で行われた小さい集会のように、はじめましてでも、急にでも、年齢も性別も異なっていても、いつでもどこでもひとは話し始め、ききはじめることができるのかもしれない。そんな小さなのぞみがめばえた。

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チェリー
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