【読む刺激】『何が私をこうさせたか 獄中手記』
朝鮮人虐殺を正当化するため
大逆事件を捏造された金子文子の自伝
《初出:『週刊金曜日』2018年3月30日号(1178号)、境分万純名義》
歴史否定者が、南京大虐殺や「慰安婦」についで注力している関東大震災後の朝鮮人虐殺。かれらによれば、“不逞鮮人” の放火や投毒、暴動などの破壊行為に対する自衛の結果ということらしい(注1)。
注1 たとえば『週刊金曜日』2018年1月26日号(1169号)、加藤直樹〔「朝鮮人大虐殺はなかった」のデタラメ 工藤美代子著『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』の真実』〕
『何が私をこうさせたか』の著者・金子文子は、朝鮮人の夫・朴烈とともに、まさにそうした詭弁によって大逆事件を捏造され、死刑判決を受けたのだ。わずか23歳で獄死した文子の自伝の文庫化は、時代が求めるものと言っても過言ではない。
当時の政府は、対外的な思惑から、朝鮮人虐殺を正当化する必要に迫られた。そのためには逮捕・起訴に相当する不逞鮮人をでっち上げねばならない。
そのスケープゴートにされたのが文子と烈だ。そして、皇太子裕仁暗殺を計画・共謀したという筋書きがつくられていく。
流言飛語が、あえて言い換えればフェイクニュースが、どのような極限にいきつくか、これほどわかりやすい例もないだろう。
時宜といえば、3月中旬(2018年)に開催された「大阪アジアン映画祭」も、映画祭というものの存在意義を実感させた。オープニングを飾ったのは、ほかでもない、昨年(2017年)、本国で大ヒットした韓国映画『朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキスト』(イ・ジュンイク監督、注2)である。本書をはじめとした史料を丁寧にたどっている同作で、烈にもまして魅力的に描かれているのが文子なのだ。
注2 2019年、『金子文子と朴烈』と改題して劇場公開された。
大審院法廷の1シーン。「地上の平等たる人間世界を踏みにじる悪魔的権力は天皇であり皇太子である」と朗々と述べている文子に、傍聴席から野次が飛ぶ。と、「静かにしろ―っ!」と睨みつける、その迫力。本書の冒頭で、同志だった栗原一男が「すこぶる感情的で、よく話し、よく笑った」と書く文子の気質に基づいた演出だが、陳述内容そのものは公判記録にほぼ即している。
これに先立つ予審でも、文子は舌鋒鋭く天皇制を批判している。その一方で植民地支配に抵抗する朝鮮人に深い共感を示す。
そうした思想はどのように形成されたのか。また、天皇による恩赦も拒否し、弾圧を逆手にとって国家権力糾弾の機会として利用するという肝の据わり具合は、いかに醸成されたのか。その答えが本書なのだ。
両親ほか無責任で身勝手なおとなたちによって、無籍者として育てられ、親族間をたらい回しにされた幼少時代。
なかでも、朝鮮植民者の親戚のもとで過ごした7年間はひどかった。使用人並みにこき使われ、些細なことで食事を抜かれては厳寒の戸外に放りだされた。
ある日、近所の「鮮人のおかみさん」から「麦御飯でよければ、おあがりになりませんか」と声をかけられ、12歳の文子は声を出して泣く。
またもおとなの都合で日本に戻された文子は、意に反する結婚を強いられて出奔する。ときに17歳。好きな学問を修めて自立するため、そして、自律した人生を手に入れるため。彼女の人生の結末を知りつつも、「東京へ!」という節を読むたびに、透明感のある明るさを覚える。
「生れ落ちた時から私は不幸であった。(略)私は始終苛められどおしであった。(略)けれど、私は今、過去の一切に感謝する。(略)運命が私に恵んでくれなかったおかげで、私は私自身を見出した」
予審判事に言われて書いたこの自伝は、烈との出逢いで閉じられる。解説者の山田昭次による優れた評伝『金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人』(影書房、1996年)との併読を勧めたい。
『何が私をこうさせたか 獄中手記』
金子文子=著
岩波文庫
1200円+税 ISBN978-4-00-381231-0