【続・在留特別許可】実録:成田空港の「秘密の扉」を知った日(1991-1992)③[完結]
本稿は、〈実録:成田空港の「秘密の扉」を知った日(1991-1992)②〉に続く書きおろし体験記です。いよいよ舞台は成田空港、「秘密の扉」にまつわるクライマックスの完結編です。
省庁組織や法制度などは、特記ない限り当時のままです。
(承前)
1992年1月も下旬になり、義弟ラシェドの来日予定日が近づくと、シャヘドは旅行にあたっての注意書きを、頻繁にファクスで送った。
ラシェドが日本に来て最初に対峙するのは、いうまでもなく入国審査である。入管の発想、外国人を見る視線というのは、火のないところに煙を立てるようなものだ。それだけに、ラシェドの内向的な性分や、ときに見せる気弱な表情を思いだすと不安がつのった。6人きょうだいのなかで、最もおしだしが弱い。いちばん末の14歳の妹ピムのほうが、よほどしっかり見えるくらいなのだ。不必要にびくびくすることはないが、ない腹を探るような、引っかける質問をされるかもしれないから気をつけるように。
シャヘドは、何度か国際電話でも呼びだして注意をくり返した。
「騙されているんじゃないですか」と外務省
1月27日の午前中、外務省外国人課・金井氏からの「至急連絡を」という伝言が留守番電話に入っていた。いぶかりながら電話すると会議中。かけ直した3回目でやっと本人が出た。
妙に緊迫した口調で「まだ入国していないようだが、どうしたのか」と言う。31日に到着予定だと答えると「有効期限は3カ月なのだから気をつけるように」と念を押す。どうも、査証を売りとばしたのではないかと疑っていたようだ。言葉のはしばしに、そう思わせるふしがあった。
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