【読む映画】『私の中のあなた』

家族愛を盾にする「危険な」映画

イントロダクション:インド映画『盲目のメロディ インド式殺人狂騒曲』(2018)に関する別ブログ記事と合わせてご覧ください。

 監督のニック・カサヴェテスという名から即座に連想するのは『グロリア』(1980)だ。「ニューヨーク・インディーズ(独立系映画)の父」ジョン・カサヴェテスが監督し、得がたい存在感と演技力が光るジーナ・ローランズ主演、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞のハードボイルド。

 老朽化したアパートに独り暮らしの50代女性グロリアは、マフィアの秘密に絡んで一家皆殺しにされる寸前の隣人から、その秘密と幼い息子を託される。「アタシは子どもがキライなのよ。とくにアンタの子どもは」と憎まれ口をたたくも、前後を顧みる余裕はなく、少年との逃避行に。
 2人を追うマフィアの男たちは、頭目(とうもく)のかつての恋人グロリアに「おまえに用はない、ガキだけ渡せ」と迫ってくる。その瞬間、グロリアの拳銃が組織を相手に火を噴く。

 逃走につれ、ブロンドが映えるウンガロのスーツがくたびれていくのに反比例して、たった独りで義を闘うグロリアは、ますますカッコよくなった。初見時20代だった私は「あんなふうに年をとれたら」と憧れたし、この印象はいまも変わらない。

 このように長々と書くのは、ひとつに、『私の中のあなた』の監督に対して、父が監督し母が主演した快作をふり返り、根本的に考えなおす必要があるのではないかと言いたいからである。

 本作の主人公フィッツジェラルド一家には、3人の子どもがいる。ある日、末っ子の11歳の娘アナが、両親を相手取って裁判に訴えた。「これ以上、ケイトのために手術を受けるのはいやだ」と。 
 ケイトとはアナの姉で、サラ・ブライアン夫妻の最初の子どもだ。生後すぐ白血病と診断され、その治療には適合ドナーの組織が不可欠。夫妻はそのために遺伝子操作でアナを「創った」。
 以来、出生時の臍帯血(さいたいけつ)から、血液やリンパ液、骨髄などを分けあたえてきたアナだったが、いよいよ腎臓をという段になって弁護士を雇い、叛旗を翻したのである。看護に専念するため専業主婦になる前は弁護士だった母親は、「姉を愛していないのか」と驚愕し激怒し、末娘を法廷で迎え撃とうとする。

 プロットは、結末こそ変えているものの、米国ベストセラーの原作『わたしのなかのあなた』(川副智子訳、早川書房、2006年 映画と同題の文庫版もあり)を、ほぼ敷衍(ふえん)している。類似の実在事件を記事で知ったことが原作執筆のきっかけだったという。

 どうにも理解に苦しむサラの自己正当化弁論だが、いくばくかの説得力もあるのかと思って原作を照らしても、拾えるのは、たとえば要旨こういった断片だ。
「未成年の子に代わって親が決断を下すのは、憲法が保障するプライバシーの権利」
「青い瞳をもつ子や IQ 200の子がほしいという『デザイナー・ベビー』とは違う」
「燃えている建物の中にいるのはわが子のひとりで、その子を救いだす唯一のチャンスはもうひとりを送りこむことだった。救う手だてを知っているのは、もうひとりの子だけだから」。

 ケイトの人権を尊重するのは結構だが、アナの人権はどうでもよいのか。まさに優越的地位の濫用ではないか。映画も原作も、最も肝要なはずの問いに答えていそうで、そうではない。

 私が常に関心をもつ問題のひとつに、「北」から「南」へ向かう臓器移植手術の需要や、そこに絡む臓器売買・人身売買がある。
 行きがかりであずかった少年のために命を賭けるグロリアとは対照的に、実子にさえ初めから間違った選択をしたサラは、第3世界の貧しい子どもに適合ドナーが見つかりでもしたら、その「利用」にみじんも葛藤しないだろう。本作も、金銭授受が介在しないだけで、臓器売買の亜種にすら見える。しかも家族愛を盾にしているので、余計に始末が悪い。演出や演技などをうんぬんする以前の、非常に危険な映画だと思う。

監督・脚本:ニック・カサヴェテス
原作:ジョディ・ピコー
出演:キャメロン・ディアス、アビゲイル・ブレスリン、アレック・ボールドウィン、ソフィア・ヴァジリーヴァ、ジョーン・キューザック
2009年/米国/110分

初出:『週刊金曜日』2009年10月16日号(771号)。

訂正(3月22日):初出の誤記、グロリアのスーツのブランド名を訂正しました。

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