藝大DOOR 当事者の話を聞く
当初いろいろ授業選択や情報発信については??と思うことが多く、
友人達にブツブツとそう話しては、
「藝大、とんでもない奴を入れちゃったと思ってるよ」
と苦笑されていた藝大のDOORプロジェクト。
様々なマイノリティーの人達の話を聞く授業が始まった。
授業もすでに4回目が終わった。
ここ2回は、文字通りの当事者の方々の話だった。
これが、すごく面白い。
枠組みを作っている人の話も貴重だけれど、
当事者の人達の話は、とてもリアルで、力がある。
今回はALSだけれど、それを積極的に発信している真下貴久さんの話。
真下さんは、ハフポストなどの記事にもなっていて、積極的にALSについての理解を深めるための活動を展開している。
彼がすごいのは、透明文字盤、目の動きを使ったPC入力システムなどをフル活用してコミュニケーションをとり、まわりの人を動かしていることだ。
前に、こんな夜更けにバナナかよ、という筋ジストロフィーの患者さんの映画をみたことがある。
主人公のボランティアを巻き込む力は圧巻だった。
が。彼は、言葉で語ることができた。
真下さんにはそれが、できない。
彼は、自分が発声できなくなる前の声を残していて、
眼球の動きで入力した文字を、過去の自分の声を使って再合成し、
プレゼンテーションをするという実に驚異的なことをやっている。
それと同時に透明文字盤を使って、目の動きから、介助者が彼の目の動きと瞳がさしている文字を透明文字盤越しに読み取り、音声化するという、アナログだけれど、恐ろしく熟練度の求められる作業で日々のコミュニケーションを実践している。
この技術はすばらしい。
これを多くの介助者が身につけると、コミュニケーションはかなり豊かになるだろう。私の父も長らく失語状態だけれど、こういうものがあったら、今よりも楽にコミュニケーションができるだろうか、と考えた。
こういう透明文字盤通訳になれたら、人を助けられるのではないか、とも。
そして、表音文字を使った言語の日本語は、この透明文字盤コミュニケーションに非常に適しているとも思う。
真下さんは穏やかな表情で笑う。
しかし、「う」とか「わあ」とか「ぎゃー」とかいう発声はしない。
彼の話を聞いていて、そうした言語以前の音が、どれほどコミュニケーションを豊かにしているのかに改めて気づいた。
彼の話を聞いていると、コミュニケーションとはなにか
豊かに人とコミュニケーションするとはどういうことか
本当に考えさせられた。
そして、豊かにコミュニケートする要素をそぎ落とされていったとき、
それを補うのは、人間性だったり、その人の本来持つユーモアだったりするのだろうか、とも考えた。
今回は、十分にはお話を伺う時間がなかったけれど、彼はALSを中心とした疾病をもつ患者さんのための訪問介護事業所たかのわを立ち上げた。
ALSの介護ができればどんな介護もできる、と真下さん。
しかし、そういう組織を立ち上げるのは、病気がなくても一大事。
それをやってのけちゃうパワー。それを支える人達のパワー。
驚くというより、圧倒される。
いったいどういう経緯で、また、実際どうやって立ち上げ、どう、動いているのかなど聞きたいことは山のよう。これについては、またいつか機会がありますようにと祈る他ない。
講義はたった90分。
彼はその間に質疑応答の時間も盛り込んでいた。
質問者とのやりとりに、彼の人柄がにじみ出る。
日本の大学は授業は、本当に質疑応答に軽視しているけれど、
彼とのやりとりは、その重要性をよくわからせてくれた。
そういう意味でも、とても充実した90分だった。
だんだん、面白くなってきました@藝大DOORプロジェクト
「とんでもなかった」と言っていた私が、一ヶ月で「なかなかおもしろくなってきた」と言い出したら、ちょっと見てみるかなという友人が出てきた。
関心のある方はDOORのウェブサイトへ。