ダイニングテーブルが諸悪の根源?
今日、某テレビのYディレクターとやめ家事の話をしていてふと気がついたこと
戦後、日本の政府が西洋のライフスタイルを導入するにあたって
ものすごく重視したと思われるのが、寝室と食事をとる部屋の分離だった。
寝る部屋で食べるのは不衛生だ、というわけで。
これが、公団などのDKスタイルにつながり、
キッチンにテーブルと椅子をおいてご飯を食べましょう
っていう形式の定着につながっていくわけだけれど。
そして、ここで先日の床下収納の写真をもう一回見ると
ここにテーブルと椅子があると、床下収納は成り立たない、わけだ。
母などに言わせても、床の多くが収納に当てられていたのに、
テーブルをここに置くことで、床収納がNGになった。
よって、全ての食器や調理器具を、棚に収めねばならなくなった。
でも、日本のキッチンは狭い。欧米のように棚が充実していない。
なおかつ、茶碗と汁椀、どんぶりなど、基本的に椀がおおいので、
欧米のように重ねたりたてたりしての収納に限度がある……
ことが、混乱の第一歩だったのではないかなぁ。
で、もう少しいうと、なんで、床下の収納が可能だったかっていうと、恐らく日本人は家の中で裸足で生活しているからだ。
欧米だとキッチンに土足で入る。
舗装が十分でない地域だったら、そうなると、床下収納は厳しい。
もう一つ、私のまわりを見ていると、裸足で外に出て、裸足でそのまま家の中に入ることに抵抗のない人は南国出身の人などには案外といる。
衛生面を考えると、どちらのケースも、食べものや食器を床下に収納するのは難しい。
そうなると、キッチンの床下にあれこれ収納できる生活様式はそうは多くない。でも、そのお陰で、日本ではあまりキッチンに食器棚をいくつも据え付けずにやってこられたのだろう。
そこに、入ってきたのがダイニングテーブルだ。
まだね、テーブルだけだったらよかった。
この写真の下手に写っている机のように。
でも、ここに椅子が何脚かくると、状況はかなり悪化する。
床板をひょいと持ち上げることはかなり難しくなるからだ。
かくして床下収納は、すみにおいやられ、深くて使いにくいものになったのだろうなぁ。
よかったのにね、茶舞台でご飯でも。
だって、結局は茶の間でお茶飲んだり、おやつ食べたりするんだから。
生活感にかける役人の、杓子定規な西洋化の弊害が、今の散らかるキッチンのはじめの一歩だったかもしれないなぁ。
得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)