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なるべく捨てない 片づけメモ ホームに入っている親のもの

先日、母の死蔵食器を娘と分け合い会をやって
なんとなく、私は、わけられるものは生前に賑やかにわけちゃった方が
あげる側もだけれど、もらう側も気持ちが軽いんじゃないかと
思った。

ご近所に94になるおばあちゃんがお一人暮らしをしていて、
数年前にお連れ合いが亡くなられた時に、お焼香に行った。
帰り際におばあちゃん(子ども達はおばちゃんと呼んでいる)が
「おじちゃんの形見よ」といって、よくかぶっていた帽子をくださった。
ありがたく頂戴しては来たのだけれど、我が家にそれをかぶる人がいるかといわれれば、いるわけではない。
どこかに紛れて汚してしまうのも申し訳ないので、
谷中に引越てくるとき、私が持ってきた。
だけれど。

なぜ人にあげるかというと、自分ではもう使わないからだ。
使わないけれど、まだ使えるものを、ゴミにするを避けるために
人にあげる……というのが基本のスタンスだろう。

だとすると、あげる側、もらう側、ともにwin-winでいくためには、
なるべく「ほしいと思っている人に」「気持ちよく」もらってもらう
ことが大事なんではなかろうか。
亡くなった人の形見です、と言われて渡されたものはNOといいにくい。
下手に捨てたらバチがあたりそうだから、捨てられない。
一方的にやってきてのしかかるような重さがあるような気がするのは
私だけだろうか。
そう思うと、
「ほしいと思っている人に」「気持ちよく」もらってもらう
ためには、できれば、生前に、あげたいと思っている人と話をしながら、
ほしいものを選べる方がいいのではないかなぁ、と思うのだけれど、
どうだろうか。

当母のものは、そんなスタンスで、徐々に片づけていこうと思っている。
衣類も、少しずつ、もらってくださる方に渡したり、
NPOなどに寄付したり。
また、娘に出動してもらったり……

問題は、ホームに移った父のものだ。
そして、幸か不幸か、その量は母の持ち物の比ではない。
その大半は、雑誌と本だ。
母は、図書館に寄付したいと思っていたようだけれど、今ドキそれを受けれてくれる図書館などそうはない。
一つの方法としては、チャリボンなどで、本を古本として買い取ってもらい、売上げを大学図書館に寄付するという方法がある。
父が長く関わっていた学校では「読み終わった書籍、観終わったDVD、聴き終わったCD、遊び終わったゲームソフトのご寄附をお願いしております」とあり、寄付すると、「大学が提携する会社で査定され、買い取り金額が大学基金へと寄附され」ることになっているらしい。
が、実は、コロナがなかったら、私は父の仕事の関係の人や私の知人でその分野の人達に来て頂いて、One day open studyをやろうと思っていた。
二日くらい、父の書斎をあけますから、どうぞお役に立ちそうなものはお持ちください、というものだ。

これが実現しなかったのは、コロナの問題もあるのだけれど、実は母が父の存命中に勝手にものを処分することに強い難色を示したからでもある。
お父さんが生きているのに、勝手にそんなことはできない、というのだ。

自分のものなら気楽に人にあげられるけれど、
お父さんのものはさすがにそうは行かない。
という母の言い分もまぁ、わからなくはないけれど。
でも、実際には、誰かにあげちゃったって父にはわからないのだ。
といってあげちゃわないところが、愛情なのか……。

まぁ、とりあえずは、母の意向を尊重して、なにもしていなのだけれど、
父の書斎に入る度に、手前の棚も奥の棚もぎっしり本の詰まった本棚に、
正直圧倒されるというのか、うんざりするというのか……。
早く手放したい気持ちになっちゃうのだ。

そうこうするうちに、母が、展覧会の図録は誰かの役に立たないだろうか、
と言い出した。
父の書斎にも図録がいくつかあったのだけれど、
母は母で自分がいった展覧会の図録をとってあった。
見る人が見れば面白いものだし、役に立つと思うから捨てたくない、と母。
検索してみたら、図録を扱っている古本屋さんが愛知にあった。
少しでもお役に立つ方に渡したいというのが母の希望。

とりあえず、母の図録を父の書斎に移動。
父が買い集めた絵画の本などと一緒に、
近々ここに連絡してみようと思っている。

父が亡くなったら、亡くなったことを言わずに、Open Studyをやって
本を持っていただければな、と思っている。

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得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)