妻よ薔薇のように〜女は謝り続け男は黙る
水曜日は、5月に公開される映画の試写会。
妻よ薔薇のようにというこの映画、山田洋次さんの「家族はつらいよ」というシリーズの第三弾。「妻が家事をやめて家でする!」というテーマが、拙著(家事のしすぎが日本を滅ぼす)とリンクするというので、お声をかけていただいた次第。三世代同居家族で一切の家事をしきっていた「嫁」ふみえさんが家出をしたら、どうなるかというストーリー。
広報の方に伺ったら、山田洋次監督ご自身の日本は主婦の家事におぶさりすぎじゃないのかというお考えから、この映画ができたのだとか。なんか、ちょっとリアルすぎちゃって、喜劇であることを忘れて、日本の家庭の日常をのぞきみているような気分になってしまった。
この映画見ていると、女は驚くほど謝る。本当にしょっちゅう謝ってる。お姑さん役の吉行和子は、ふみえさんが出ていった直後にぎっくり腰で寝込んでしまうのだけれど、最初に夫に言うのが「すみませんね、こんな大変な時に」。夫が家事を引き受けて疲弊したところでも、やっぱり「すみませんね。」これ、ぎっくり腰になったのが橋爪さんだったら、「すまんね、忙しい時に」とは言わないだろうし、妻が嫁の分も働いて疲れたといったって、「ご苦労」くらいは言っても、「すまんな」とは言わないだろうけれど。
一方で妻がへそくりを盗まれたと知ったふみえさんの夫(西村まさ彦)は、妻に裏切られた!と怒りまくる。怒りを収めるべく、ふみえさんは謝る、謝る、そして、夫の機嫌をとる。そこ、謝らなくてもいいんじゃナイ、と思うところでも、「とりあえず」謝っておくのが、日本の女の流儀なんだなぁと、今更ながらにビックリ。
さすがに謝り続けるふみえさんは、あなたは悪くないとまわりに言ってもらえるという展開になり、ちょっと、見ている側としては気持ちが落ち着いたけれど。映画の中で、一体何回女がとりあえずその場を納めるべく「ごめんなさい」とか「すみません」と言うか、数えていればよかったと思うほど。
そして、一方、男の側は、「すみません」とも「ごめんなさい」といわなくてもいいように育っているらしいことが、映画を見るとひしひしと伝わってくる。謝られなれていて、相手が謝るのは当然だと思っているけれど、謝りなれていないから、謝るのがへたくそ。そのへたくそさを西村まさ彦が絶妙の表情で演じるのは笑えるけれど、これが現実かと思うと、笑えない・・・・・・。
その場の雰囲気を和ませるためにとりあえず謝るっていうのは、日本社会ではよくあることだ・・・・・・というのは、私のまわりの共通認識。ただし、それが家庭内の場合、圧倒的にジェンダーに偏りがある・・・・・・と思うのは私のひねくれすぎ?
得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)