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『翡翠の海におちる』

 むらさき色の煙がパチパチと火花を灯した。と思えば、それは青色に淀んでゆき、とうとう黄色い星屑に落ち込んだ。
 診察台に俯せになっているナンは、漢方葉巻の鳴る音に、卑しい笑い声を立てる。
「大した医師だよ、先生。今時こんなに漢方魔術に手こずるプロも、中々お目に掛かれないぜ? 」
「うるさい」
 フウは年甲斐もなく不貞くされた。お互い、もう26だ。
「もう一度やる。少し待っていろ」
 彼は口に咥えていたクコの葉巻をバケツに吐き捨てると、席を立って作業台へ向かった。ウッドボウルの中で潰されたクコを、イチョウの葉で丁寧に包む。
「さて、湖先生は貴重なクコ煙草を、あと何本無駄にするのかな」
「今度こそ成功させる。集中できないから少し口を閉じていてくれ」
 座り直し、施術を再開する。難しくもない、基本的な漢方魔術だ。
 葉巻の煙が楠を取り巻く。
 あか、橙、きいろ、みどり……二秒かかって、やっとむらさきまで辿り着く。薬草術を職にしているにしては、遅すぎる。おまけに不安定。
「よろしく頼むよ、湖雪晴フウ・シュエピン先生」
「う、うるさい」
 彼の顔が引き攣るのを、鼻で笑って、目を閉じた。
 瞼に広がる天体の中、彼の華奢な指が描く螺旋を感じ取る。魔術図式だけは一丁前。流石は後天的魔術師エリート様だ。
 葉巻が弾ける鋭い音。だが制御能力の低さは相変わらず。
 指先が強張る。動揺してるな。これじゃ、いつまで経っても終わらない。

 楠はいつだったか、彼に尋ねたことがあった。「どうしてマッサージ屋なのか」お前の第一魔術は洗脳術だったはずだ。「それに、お前より優秀な術師なんて、中々お目に掛かれない」なのにどうして。
 そしたら彼はこう答えた。
「残念ながら、先天的魔術師ブランドのキミたちとは違って、後天的魔術師エリートの僕には、選択の自由があるんだ」と。
「ああ。そう、だったな」
 言われてみりゃ、そうか。
 全く正論だと、頷いたのに、どうして彼は俺に謝ったのだろう。楠には理解できない。

 「先生、あのさ」

 たったひとりで教室に残る彼の背中を忘れない。楠たちが飛行訓練をしている間も、戦闘技術を磨いている間でも、彼はひたすら椅子に座って、机にしがみついていた。図術式のしすぎで手が腫れ上がっていたのも知っている。
 でも、今後彼が魔術に対しどんな犠牲を払おうとも、後天的努力エリート先天的才能ブランドには勝てない。彼は、どう足掻いても、楠と同じになれないのだ。
 そう考えると、これが彼のプライドなのかも知れないと、楠は思う。
 だから彼は、他の魔術師がするように、彼を甘やかせない。彼は立派な魔術師だ。誰が、何と言おうと。

 「今度その葉巻落としたら、詐欺マッサージ店として魔法局に通報するからな」
「えっ」
「まじだぞ」
 ニヤリと笑って、深い休息に落ちた。

【湖雪晴の打!闹!魔法医院・番外編『翡翠の海におちる』 完】

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